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小字とは?/ レイク

[ 450] 町名、字名(大字、小字、字)、丁目とは何か?
[引用サイト]  http://uub.jp/arc/arc.cgi?N=61

普段何気なく住所などで書いている、町名、字名、丁目ですが、来歴は地域によってまちまちですし、実はどのようなルールによって命名されているのかよく分からない部分も多いですよね。この掲示板でも、多くの議論が交わされました。
町名という言葉の意味の中に字名が含まれていると考えています。おそらく、この2つの意味が文章の流れによって暗黙に使い分けられるために混乱したのではないでしょうか?
字名(あざめい):市区町村の後につく地域名称で、番地の前の部分。都道府県や市区町村のように接尾語ではなく、接頭語として付加する。大字、字、小字の3つがある。
京都市内には同じ名称の大字が複数ある場合があり、通り名称をつけて区別しているため、通り名称まで含めて字名としてよいと思います。
ちなみにこの例は今出川(いまでがわ)通りという東西に走る通りと浄福寺通りという南北に走る通りとの交差点から数えて西に2つ目の大字である東上善寺町という意味です。交差点からの道案内表記でありもっと複雑な場合もあります。東西に進む場合は東入ル(ひがしいる)、西入ル(にしいる)、南北に進む場合は下ル(さがる)、上ル(あがる)を使います。「上」に「る」は普通「のぼる」と読み、「あがる」は「がる」と振り仮名を付けるのが普通ですが、京都の通り名称では「上」に「ル」だけで、「あがる」と慣用的に読みます。下ルも同様です。また、同一の大字でも基点にする交差点が異なると表記内容が変わります。郵便番号簿には複雑な例がたくさん記載されています。
東上善寺町は区内で1つしかない字名であり本来は通り名称を付けなくても特定可能なのですが、慣例でつけて表示するようです。
なるほど、そういう仕組みなのですね。ということは、字という大きなカテゴリーの中に町も含まれるわけですね。「大字永田町」となるべきところが、省略して「永田町」になってしまう。そう理解して差し支えないでしょうか。
ただ、「町」の文字がつかない場合は字名だとすると、霞ヶ関、新宿、日本橋、渋谷なんかも字名ということになるのでしょうか。個人的には、なんだか理解しにくい感じがしますが...。
それから、「字」を「あざ」と読ませるのはどんな経緯からなんでしょう。どなたかご存じの方はいらっしゃらないでしょうか。
私が以前住んでいた、仙台市では、住居表示による地名(一番町1丁目や、花壇など:以上仙台市青葉区にある地名です)を呼ぶ場合に、「町丁名」という言い方をしていました。もしかしたら、住居表示をしていない場所の字名もひっくるめた言い方なのかもしれませんね。
たとえば,少し前で話題にした千葉県の「千葉郡幕張村」(のち幕張町。現千葉市花見川区と習志野市のそれぞれ一部)の場合,従来の馬加(まくわり)村・武石村・長作村・天戸村・実籾村の5村が統合されて発足しました。そこで新生「幕張村」は従来の村単位に「馬加」「武石」「長作」「天戸」「実籾」の5つの大字を編成しています。
たとえば,千葉県(東)葛飾郡の「豊四季村」。ここは町村制施行に際して単独(ほかの村との合併を行わず)で「豊四季村」となったので,新たに“大字”を編成することはありませんでした。のち1914年に「千代田村」(のち柏町,現柏市)に編入され,そのときに「豊四季」という大字が編成されています。
「字」というのは,それぞれの「大字」,つまり旧村の下位区分です。旧村とは,16世紀末から17世紀はじめにかけて行われた検地を通じて編成された近世の「村」を明治になって引き継いだものですが,その村の中の区分として「字」というものがありました。制度上で意味を持つのは,1873(明治6)年に始まる地租改正事業で,個々の土地所有者=地租負担者を台帳に登録する際の“コード”として採用されたことにあります(この際の“登録番号”が「地番」(○○番地)です。裏返せば,官有地はこのような台帳に登録する必要がないので,登録番号=地番が与えられず「無番地(番外地)」となったのです)。
長野市は“住居表示”による新町名の編成がほとんど進んでおらず,県庁所在都市ながら都心地区で「大字長野」「大字南長野」「大字西長野」「大字鶴賀」という“大字つき”の呼称を公式地名として堂々と採用しています。これは町村制施行により「上水内郡長野町」が編成されたときの前身である「長野町」「南長野町」「西長野町」「鶴賀町(の一部)」を引き継いだものです(「大字鶴賀」については,のちに旧鶴賀町のうちの残りの地区を含む芹田村が編入されたときに「大字鶴賀」の下に再統合されています)。
このように“都市”では中世末期以来「町」または「丁」(「まち」「ちょう」)という共同体が成立するようになります。京都の上京・(中京)・下京地区にある無数の「町」は,そのような共同体が早い段階に成立したものと考えてよいでしょう。
江戸時代には,特に城下町の「町人地区」でそのような「町」が多く編成されました。個々の「町」(丁)は,農村に編成された「村」がそうであるように,住民の共同体であり自治単位でもありました。
一方,城下町の区域を統合しても「区」となるほどの大きさがない場合には,盛岡城下町が「(南)岩手郡仁王村」となったように「村」や「町」として編制されたところもあります。
いずれにせよ,こうした経緯を経て,「町」は都市内部の地区呼称である,という“暗黙の了解”が成立したように思われます。
「市制・町村制」下で「市」になった都市の多くでは,「大字○○」という呼称よりは「○○町」という呼称が好んで使用される傾向があるのも,この暗黙の了解によるものではないでしょうか。
でも,それは決して必須事項ではなく,長野市のように都心部で「大字○○」という呼称をそのまま使用している自治体もあれば,多くの自治体がそうであるように「大字○○」も「○○町」も用いず,「○○」で済ましていることも珍しくありませんね。
ただ,統計資料上では「町丁字別」での集計が行われます。ここでは,お互いは同一級の地域区分として扱われています。
法令上の根拠がある,というよりは,従来の呼称をそのまま引き継いだものではないか,と私は考えています。
これは「東上善寺町」というのが“公式の町名”であって,“今出川通浄福寺西入ル2丁目”というのは京都特有の座標表現による“通称”です。
おそらくは「字」という表記が先にあったのではなく,「あざ」という言葉がはじめにあって,それに「字」という字を当てたのでないか,と思います。
私の町の近所の邑楽郡明和町は、町制施行して間もない自治体ですが、村から町に移行する際、各地区名を「大字○○」であったものを、町になった時は「大字」を除いた○○だけにするという条例を作っていましたね。また、私の町もつい最近まで市内に数多くの大字○○があったのですが、条例によってすべて「○○町」へ整理されました。
もしかしたら、市区町村内の行政上の地区名は、国家レベルの法令があるのではなくて、各自治体が条例によって定めるものなのかもしれませんね。
とはいえ、仙台市の場合、一番町、国分町、本町などの住居表示もありますね。また、前橋市中心部ではほとんどすべて「○○町」という住居表示です。しかし、一番町は本来は「東一番丁」ですし、「本町」は住居表示ではじめて造語された地名ですから、何ともいえませんが。
また、住居表示がされた地区では必ず「丁目」がつくというわけではなく、たとえば、千葉市花見川区花見川や、同中央区東本町、同亀井町などは、「丁目」で区分されない住居表示地区です。
とはいえ、たとえば住居表示で「丁目」を用いるところでも、○番△号と住居番号を整理しているところ(千葉市花見川区幕張本郷1丁目12-2などのように)と、千葉市花見川区幕張町のように、丁目以下に地番がそのまま残っているところ(幕張町1丁目3000-1のように)があることはどういうことなのだろうとずっと疑問に思っています。
この幕張町の例の場合は、「丁目」と区切っているけど、あくまで「町」の下位区分ということなのでしょうか(つまり住居表示はしていない)?
全国で合併予定の市町村がありますが、合併した場合の字名なしの地区の合併後の地名標記は旧市町村名を使う場合が多いです。
住居表示実施した場合「丁目」のついた町はほとんど「町」を外しますが、地元の八王子市では住居表示地区で「丁目」がついても「町」をつけています。(一部を除く)
「旧幕張町(大字)馬加」は千葉市へ編入されて「幕張町」となりました。さらに現在,「幕張町」は1〜6丁目に区分されていますが,これは旧馬加地区の下位区分の「字」を継承したものだと思われます。
80年代以降,この「幕張町」のうち宅地化された地区が分離して「住居表示」による新町名が編成されました。
千葉市の場合,郊外では「○○町」というのは住居表示の行われていない地区の指標と考えてほぼ構いません(ただし都心部には「栄町」「弁天町」その他の“住居表示済み新町名”が存在します)。
習志野市の場合も,津田沼町と幕張町北部が合併して「市」となったときに,従来の大字は「谷津町」「津田沼町(久々田から改称)」「鷺沼町」以下,「○○町」というフォーマットになりました。それが住居表示によって「谷津1〜7丁目」「津田沼1〜7丁目」という新町名になっています。その中で,いまだに住居表示が実施されていない一画が「谷津町」として残っているのですね(おそらくは「津田沼7丁目」の一部となるはずなのですが,諸般の事情があるのでしょう)。
たとえば合併前の旧上溝町を引き継いだ「上溝」地区からは「千代田1〜7丁目」「星が丘1〜4丁目」「横山1〜6丁目」などというように。これらは河岸段丘となっている相模原台地最上段の都市計画地区についてですが,“一段下”の上溝旧市街でも宅地化した地区を対象に住居表示が実施されて「上溝1〜7丁目」という“新町名”が編成されています。
ここでは“住居表示実施済み地区”も“未実施地区”もともに「上溝」となっているので,相模原市の統計では“未実施地区”を「上溝」,“実施済み地区”を「上溝丁目」と区別しています。これは同じような組み合わせのある「上鶴間」地区その他でも同様。
...どちらも町名であり字名でもあると思います。町名と字名は排他的にキチンと住み分けをしている言葉ではないと思います。一方、町名という言葉が市区町村レベルの町を指し示す言葉でもあることが、さらにややこしさを増していると思います。
>ただ、「町」の文字がつかない場合は字名だとすると、霞ヶ関、新宿、日本橋、渋谷なんかも字名ということになるのでしょうか。個人的には、なんだか理解しにくい感じがしますが...。
...ご指摘の通り、字名だと思います。字名は市区町村と番地の間の名称であって、「町」の文字が付く名称もあれば付かない名称もあると思います。てへへにはあまり変な感じはしませんが、このレスを最後まで読んでいただけると蘭丸さんの感覚の方がより現代的なことがわかると思います。このような違和感、新鮮な響き、などから新しい地名に時代の感覚が生じるのでしょう。最近の合併でのひらがな地名も、字レベルの地名でも同じようなものかもしれません。
>「町丁名」という言い方をしていました。もしかしたら、住居表示をしていない場所の字名もひっくるめた言い方なのかもしれませんね。
...他にも「町字名」「町丁字名」という表記もありますね。検索エンジンでは結構引っかかります。住居表示をしているしていない、「町」の文字がつくつかないに関わらず、この部分の名称をまとめて指し示す言い方のようですね。
...現在では大字も字も同じ様な扱いのため、来歴の違いは知りませんでした。ということは、「小字」もまた異なる来歴があるのでしょうか? ご教示いただければ幸いです。
>町になった時は「大字」を除いた○○だけにするという条例を作っていましたね。私の町もつい最近まで市内に数多くの大字○○があったのですが、条例によってすべて「○○町」へ整理されました。
...わざわざ条例をつくるということは、法的には「大字○○」も「○○町」も市区町村名以下の名称としてはどちらでも同じということですね。市区町村も都道府県も接尾語なので、接頭語の大字や字は異質な感じがしたのかもしれませんね。てへへには感覚とか印象の問題のように思えます。
町名と字名は、キチンとした排他的な関係でもなく、どちらがどちらを含むという包含関係でもなく、同じレベルの別の言い方とするのが妥当と思われます。大字や字の成立過程での当事者の判断や場所により、使われ方が異なると考えられます。
というのが、より正しいように思います。字や大字は徐々にすたてれいく途中にある地域名称区分用語なのかもしれません。「大字」という言葉も明治初期には斬新だったと思います。
この場合は久美浜町中心部の「大字なし」地区内の区分として「小字多茂ノ木」という呼称が使用されているのではないかと推測します。これは久美浜町での慣用によるもので,この場合は,いわゆる「字」と同じなのだと思います。
なお,久美浜町は中心部以外の地区では「大字」が編成されているけれども,“本来の久美浜地区”と思われる久美浜駅周辺には「大字」が編成されていないようですね。
たとえば長野県の下諏訪町は,ダム問題で有名になった砥川を境に東側の「大字なし」地区(下諏訪中心地)と西側の「(大字)社」地区から成り立っていて,「大字なし」地区には下諏訪宿の各町以下,「社」地区もいくつかの「字」に区分されています。
>おそらくは「字」という表記が先にあったのではなく,「あざ」という言葉がはじめにあって,それに「字」>という字を当てたのではないか,と思います。
漢和辞典を引いてみると、「字」の字義に地名の区分というものはもともとないようです。最後に「〈国訓〉あざ。村の小区分。」という記載があり、やはり、「あざ」という言葉に「字」の文字を当てた、という解釈が妥当なのでしょうね。
>また、住居表示が実施された地区では必ず「丁目」がつくというわけではなく、....最近の地図は、この>2つの意味の「丁目」が同じように扱われて区別できないので、ややこしいですね。
基本的に「丁目」で分割することと(現実には複数の町字名を統合した上で分割することが多い)住居表示を実施することとは別問題ということなのだと思います。ただ、一般的に住居表示を行う際に、ひとつの町の領域を平均化する方法として「丁目」による分割がともなうことが多いのでしょう。
ですから、千代田区、新宿区、板橋区などで「○○町」のまま「丁目」で割らずに住居表示をするケースが見られたり、反対に「丁目」で割っていても「△△二丁目123−4」のように地番そのまま(住居表示未実施)の地域もあるのだと思います。住居表示済みの「丁目」と住居表示未実施の「丁目」は本質的に同じもの、すなはち「△△二丁目」そのものが町字名であると考えていいと思います。
このように考えると、「丁目」が成立した経緯は分割ですが、できたものは下位区分などではなく「△△一丁目」と「△△二丁目」はそれぞれ完結した町字名で、たがいに同格のものと解釈したほうがいいのではないかと思われます。
字の記録は、私の聞き及ぶところでは平安時代にまでさかのぼり、制度的に明確化されたのが太閤検地のころ。その後、明治初年の地租改正の時点から、行政地名として、地籍簿などの正式文書に記載されるようになった。明治9年の内務省による地所名称区別細目によれば、字は町村中の区分であって数十百筆の地を轄するものであるそうです。
それから「あざ」という言葉はの語源は諸説ありますが、その中でも畦を起源とする説を、私は推しています。
また、[6610]の記述は、大字と字の区別が不明瞭な記述になっていますね。ご本人が来歴の違いを知らないと言っているくらいですから全く気にしていないのでしょうが...。ちなみに小字は字と同じですね。言い方がところにより違うだけ。
住居表示の方法については、昭和37年5月に「住居表示に関する法律」が公布され、標準パターンが示されました。
これにより名古屋では、その法律に沿って住居表示の変更が行なわれ、その影響で地下鉄の駅名変更が行なわれた。
(2)地下鉄「伏見町駅」の周辺からは伏見という地名は無くなっていたにもかかわらず、旧町名から町を取った
(盛り場ブルースの「栄・今池・広小路」よりも、「花の錦三」の方が、夜の名古屋でのブランド価値は高いのです)
[6633]蘭丸さん,詳しい説明をしていただき,ありがとうございます.やはり私も可能な限り正式な表記を行いたいと考えています.ただし,海外向けの場合,「〜丁目」の部分は「-」(ハイフン)のあとに算用数字を書いています.また,受け取った郵便の差出人住所を見て「〜丁目」が略記されているのか,それとも無いのか,判断に苦しむものは差出人による表記に従っていますが.
ところが,郵便番号7桁化の際のポスタルガイドには「〜丁目」の部分が番・号の部分と一続きにハイフンで結ばれた表記が例示されています.原則を郵政省(当時)が踏みにじっているわけですから,一般の方々が簡単な表記に流れてしまうのは無理もないのかも知れませんね.
住居表示未実施地区で、住所上「丁目」が現れる地域については、以上の理解でいいと思います。私が例示した千葉市幕張町のほか、桐生市広沢町、相生町、川内町、梅田町など、大宮駅周辺の各町などが、相当すると思われます。
しかしながら、正式な住所には現れませんが、地域の町内会レベルや、行政が地域との連絡調整のために設置する小区域レベルにおいて「丁目」単位のコミュニティが形成されていることも多いのですね。私の町では、「行政区」と呼ばれ、市役所と地域との橋渡し役をお願いしている区長さんは、住所レベルの「町」単位ではなくこの「行政区」単位にいらっしゃいます。これらの「丁目」は住所上は現れてきません。太田市の場合、旧太田町の中心地区にあった一丁目〜六丁目は、他の地区とともに住居表示で「東本町」、「本町」、「西本町」に整理統合されましたが、一丁目〜六丁目は、現在でも、この「行政区」名として健在です。この太田市の例の場合、「丁目」が現住居表示を細分する形にはなっていないのですが、住所上は○○△丁目となっていなくても、地域通称で○○△丁目という言い方をしているところは、存外多いのではないかと思います。
私は、このローカルな地域名称と、住所上「丁目」区分を採用する住居表示未実施地域とを、同一視していたため、[6606]で幕張町における「丁目」が、「小字」的な下位区分なのかという認識をしたものです。
とはいえ、このローカルな地域名称としての「丁目」も、たとえ住所表記上に登場してこなくても、地域コミュニティ上は重要な地域区分であるので、住居表示で「丁目」を使う場合、住居表示未実施地区で住所に「丁目」を使う場合と同義と捉えていいのかもしれませんね。
(3)住所表記には登場しないが、地域コミュニティを規定する小字的な「丁目」。(1)と(2)の態様に準じ、住所を細分して設定されている場合と、住居表示等によって住所が統廃合されたため、必ずしも住所を細分する形とならない場合、とがある。
仙台市でも同じですね。私は長らく大字○○(現在は○○町)地域に居住してきたため、住居表示の感覚は、在仙当時に培いました。
仙台城下町は、この区分が厳格に運用されていました。たとえば、伊達家の重臣の住む一角は「片平丁」、「堤焼」の窯元の職人が多く住んだのは、「堤町(つつみまち)」というように(現在は、この地区を中心に「片平一〜二丁目」と「堤町(つつみまち)一〜三丁目」の住居表示があります)。
仙台駅東側には住居表示未実施地区が多く、住居表示実施地区を挟んで「東八番丁」や「東九番丁」などの町名が飛び地的に分布しています。
ちなみに、この東○番丁というのは、第一義は、街路の名前で、現在の一番町通りが「東一番丁」で、そこから東に「東二番丁」、「東三番丁」、・・・と割り出されたものです。
…というより,武家屋敷地には「町」や「丁」という区画自体がありません。「神田駿河台」や「番町」などのような地区名や「三番町通」「神保小路」などの街路名はあるのですが,江戸の行政区画としての「町」はそもそも町人町の自治単位として編成されたものですから,本来武家屋敷地は対象外なのでしょう。
そしてたとえば「麹町」の場合は「十三丁目」,「本郷」の場合は「六丁目」まであるわけですが,それぞれの「丁目」は自治単位としてはいずれも単独の「町」であって,「麹町」あるいは「本郷」が全体で“1つの自治単位”をつくっているわけではありません(町が成立する過程では,麹町なり本郷なりが分割あるいは分離を繰り返していったのでしょうが)。
(なお,麹町十一丁目〜十三丁目は外堀と四谷見附をはさんだ西側にありました。そこで,こちらは「四谷区」の一部となり,現在は新宿区四谷1丁目の一部になっています。)
江戸では「町奉行」は「まちぶぎょう」,「町役人」(町人側)は「ちょうやくにん」と読む習慣であるようです。もちろん,町奉行が管轄するのは町人町の区域ですね。
>また、[6610]の記述は、大字と字の区別が不明瞭な記述になっていますね。ご本人が来歴の違いを知らないと言っているくらいですから全く気にしていないのでしょうが...。ちなみに小字は字と同じですね。言い方がところにより違うだけ。
のご意見からすると、丁目の数字は符号や番号扱いではなくて、漢数字で表記すべき地域名称の一部分なのですね。ちなみにこんな表記をみつけました。
二丁目という町名もしくは字名のようです。地域コミュニティがそのまま住所表記上の地域名称になったような感じですね。
>二丁目という町名もしくは字名のようです。地域コミュニティがそのまま住所表記上の地域名称になったような感じですね。
同じ様な名称として、埼玉県春日部市には大字「八丁目」(通常は”大字”は省略することが多いですが)という大字があります。(例、春日部市大字八丁目○○番○)
以前からこの「八丁目」という地名は、気にはなっていたのですけど、残念ながら「八丁目」の地名の由来は私にはわからないのです。もしかしたら「八丁目」に対する「○丁目」という地名・地域が周辺にあって、その中から「八丁目」だけが現在にまで残ったのか、それとも、たまたま「八丁目」という名の地名があっただけなのかな。
例として市原市を挙げると,市原市に○○町というのは数少ないですが存在します。市原市の例規集を見ますと,第1編第1章「市の区域内における字の名称」の中にちゃんと○○町というのが列記されています。
地方自治法第260条によると,町・字の区域変更/廃止/新規および名称変更は市町村議会で決議することになっています。ということは,その名称が町名なのか字名なのかを市町村は知っているのです。市原市のように条例でズラズラと列記している場合もあります。何らかの形で市町村には文書が存在するはずです。
岩手県の例規集には,県内のすべての町/大字/字/小字/地割が列記されています。ただ,一番知りたいことが「町または大字」というタイトルで濁されていますが。
これらは現在の城西三丁目の西側から御廟一丁目の東側の内,西米沢駅から東進する通りや米沢駅から相生橋を経て喜多方方面へ西進する通りに面した部分を除いた地域に相当します.
タクシーに乗って行き先を告げる際など,旧町名の「通り名」の方がわかりやすい場合も多いのですが,タクシーの運転士さん達にとっては住居表示と「通り名」の双方を憶える必要があって負担になっているかも知れません.
東京都北区の住居表示板ですが、けさ、明るくなってから実際に確かめてみたところ、必ずしも「○○三丁目21−10」というパターンではないことが判明しました。
「○○3丁目21−10」というアラビア数字で丁目を記した表示板も存在したのです。これは、比較的新しい建物で見られました。同じ街区であっても、周囲が「三丁目」表記なのに大通りに面した新築物件などでは「3丁目」と表記されていました。ある時期から表記方法を変更したと考えられます。
さらに実地調査してみたところ、ひとつの町内すべてがアラビア数字で表記されているところを次々と発見しました。おそらく、こういった地域は住居表示の実施が比較的遅かったと考えられます。
行政側が「1丁目」というふうなアラビア数字での表記を容認していることになります。もしかすると「1丁目」方式のほうが多いのかもしれません。
住居表示板は建物の座標を示すことが目的であること、世間の多数が「●●4−32−1」という表記をしている実態に役所が合わせたこと、などの事情によるものと思われます。
また、北区の区報『北区ニュース』の区役所所在地の表記は「東京都北区王子本町1−15−22」と、なんともっとも簡略化された方式で書かれていました。もはや、行政側でさえ「△△一丁目」そのものが町字名(固有名詞)であるという本質にこだわることなく、「X丁目」を符号あるいは番号とみなしているということなんでしょうね。
しかし、各世帯がそれぞれに表示する横書きのプレートを見ると、「一番町1丁目1−1」などのように、「丁目」の中の数字にアラビア数字が使われていましたね。
行政が必ずしも「×丁目」を符号あるいは番号とはみなしていないと、私は思います。広報などの一般住民に周知することが目的となる場合に、世間で一般的に使われている書き方を使っているということなのだと思いますね。公的な文書や、広報内でも健康診断の実施地区を知らせる場合など、地区ブロックを明確に周知する必要がある場合などでは、「一番町一〜四丁目」などと書いていると思いますよ。
とはいえ、従前から地域名称として「丁目」による区分があった地域において、住居表示後に「丁目」が符号としての意味合いを強めてかつての「丁目」ごとの地域コミュニティを示す意味合いが薄れていってしまうという場合であれば憂慮すべきであると思いますが、もともと「丁目」のない地域における新町名での「丁目」に関しては、その符号化に関しては致し方ないのかなとも思ってしまいますね。
この街道(地域を東西に貫く深沼街道のこと)の左側(YSK註:北側)に六字の名号の碑が立っている。<中略>一遍上人が・・・この地に来られ、ここで念仏引通が行われた時、道端の平らな石に六字の名号即ち南無阿弥陀仏の文字を書かれた。ところがこの六字の銘がそのまま石に刻んだように浮かび出たのがこの碑であるということである。地方民はこれを「六字の銘」と呼んでいたが、後世訛って「ろくちょうのめ」というようになった。これがまたそのまま地名となったのが六丁目であるという。
この六字の銘が今でも六丁目の道端にあるかどうかは分かりませんが、四街道の碑といい、1つの碑が地名として成熟していく事例はけっこうあるのかもしれませんね。
>岩手県の例規集には,県内のすべての町/大字/字/小字/地割が列記されています。ただ,一番知りたいことが「町または大字」というタイトルで濁されていますが。
...石川県の例規集には「町、字の区別」の欄がありました。ただ、やはり一番知りたい町、字の定義は書いてありません。
興味深いのは,野々市町の御経塚町,押越○丁目,押野○丁目,野代○丁目の備考欄には「金沢市より編入」と書かれていることです。事情を知らないのですが,これは部分的に「市」から「町」に降格になった地域と考えられるでしょうか?
野々市町の例規集を見ますと,金沢市との境界論争の末に上記の区域が昭和32年4月10日に金沢市から編入されたようです。一部の地域では,どちらがいいかの投票があったようですが,全て野々市町を選んだようです。
東京都北区では、各戸に取り付けられている「町字名+街区符号+住居番号」の住居表示板は横書き、各街区の通り沿いに取り付けられている「町字名+街区符号」の街区表示板は縦書きとローマ字表記の併記、という形で統一されています。
ですから、[6698]で私が述べたかったことは、横書きだから「1丁目」になっているのではないということなのです。すなわち、横書きスタイルの住居表示板に「一丁目」方式と「1丁目」方式が混在しているのです。そして、私が推測する限り、「一丁目」方式のほうが「1丁目」方式よりも比較的古いものであると考えらる、ということでした。
あるいは、当初より両方の形が存在し、同時並行的に住居表示が行われてきたものの、ある時期から「1丁目」方式に統一されたとも考えられます。ひとつの町内全域でアラビア数字表記がされている地域を次々と発見したことから、今ではこのように考えています。
そうですね。あくまで、行政は「○○X丁目」までを町字名としていることには変わりはないと私も思います。
北区でも、全部が全部「X丁目」表記をアラビア数字にしているというわけではなく、条例などの公的な文書ではきちんと漢数字表記になっていますし、区営住宅の公式の名称は「●●一丁目アパート」というふうになっているようです。(これらは北区のホームページを参照しました。)
住居表示に関するテーマが今月中頃に話題となっていましたが、私からも遅れレスになりましたが書き込みさせて頂きます。
このうち「大泊船見町五丁目」は町丁目名であり地名で、「19番」は街区符号、「9号」が住居番号を表すことは、既出につき改めてご説明するまでもないことと存じます。そのため「丁目」は地名の一部であって番号符号の類ではないので漢数字で表記し、また地名愛好家の立場から「丁目」を略すべきではないと思いますが、それらを略して街区符号と住居番号とつづけて「大泊船見5-19-9」書こうが、要は判ればいいことだと思います。
面白いのは「住居番号」で、それぞれの街区の角地を起点とし、そこから右回りで10メートルおきに番号をとり、10メートルおきのピッチ(フロンテージ)のどこに住居の入り口があるかによって決められていることです。ですから、上記の住所を頼りに現地に行き、「19-3」という番号を見たとすると、そこから右回りに9-3=6、つまり60メートル行けが「19-9」に行き当たるということです。
と、言うことで全国津々浦々でこの「新住居表示法」に基づいて住居表示の変更が実施されました。が、道路や線路などの「恒久的な施設」によって町域を設定し直すのに伴い、歴史的な地名の「大量粛清」が行われたのは大変残念なことです。
「坐摩(いかすり)神社」のあるところで、中世には「摂津渡辺」と呼ばれた地で(そういえば高校の社会科で見た副読本の歴史地図に「大阪」のことを「渡辺」と書いてあった)、源頼光の四天王と呼ばれた渡辺綱を始祖とする渡辺党という武士団にいきあたり、全国の渡辺姓のルーツとも言える町名でした。
ところが1989年2月13日、大阪市東区と南区を合区して新たに中央区とするのに際し、この区域にも「新住居表示」により町域を統廃合することとなり、北久太郎町、北久宝寺町や横堤に囲まれたこの狭い渡辺町は新たに設けられる「久太郎町四丁目」の一部に組み込まれ、廃止されることとなりました。
が、渡辺町廃止の計画は地域住民のみならず全国の「渡辺さん」の大反対になり、そこで大阪市は知恵を絞りに絞り、数字で表される「街区符号」の一つとして「渡辺」を残すというユニークな解答を出しました。
大阪都心の地図を引き続き見ましたところ、大阪市中央区道頓堀一丁目にも「漢字街区符号」が存在致しました。
漢字街区名は大阪市に多いようです。大阪ドームには隣接して北2や南2があります。また、大阪市鶴見区の例では、浜、諸口、焼野は近接しており、既出の渡辺と同様に何らかの住民運動があったのでしょうか? ご存知の方はご教示ください。
ちなみに、若林区には住居表示されていない土樋が別にあります。土樋二丁目以降がこの地域に住居表示されていく予定であったことが推察されますが、1970.2.1に住居表示が行われたようですので、30年以上もこのままであるようですね。
そうですね。住居表示に関する法律の制定で全国各地の由緒ある地名が消えました。この法律では道路や水路などによるブロックで構成する街区方式と通りを挟んだ両側で構成する道路方式の二通り定めているのですがほとんどの自治体が街区方式を採用しています。
過去ログ[9279]でも紹介されているように金沢市では住居表示でいったん消えた町名を復活させているのですが、他にも理由はありますがこの街区方式によって思うように進まないのが実状です。
本題とはずれますが、それにしても「だんな」さんというのはこれまで星の数ほどのハンドルを見てきた中でも最高傑作だと思います。なんというか、この脱力感!
普通考えられるのは住居表示が進められるなかで自分たちが住んでいる町の名が消えるのをおそれた住民たちが反対し抵抗したからではないでしょうか。
そうなのでしょうね。ただ、それにしてもなにも中途半端に二丁目だけ残さずに町名の根幹はそのままにして地番を再配分すればすっきりすると思うのですがね。
そうそう、この「内神田」という町名はまぎらわしいです。「千代田区内神田」と書かれてあると、「千代田区内」の「神田」に見えてしまいます。
東京では神田界隈の他にも新宿区の市ヶ谷地区や千代田区の一部などに住居表示されてない地域がありますね。
新宿区はすごいですね。区の東半分は見事に昔の地名が残っています。ここの場合は昔の町名のままで住居表示を実施したところと、住居表示未実施のところが混在しているようです。
千代田区の場合も神田界隈以外は、古い町名のままの住居表示実施地区のようです。これは中央区日本橋界隈もそうですね。
住居表示というのは都市の建物の表示をわかりやすくということで大々的に実施されたはずなのに、国の中枢のある東京都心の地名がその原則に従わなかったというのは皮肉なものです。
一例として住居表示実施に際しては「丁目をつける場合は○○町ではなく町をとって○○とする」という原則があります。東京の下町はほとんど徹底してこの原則に従ったのですが、都心の永田町、有楽町なんか結局そのまま住居表示実施となりました。
有楽町は実は住居表示実施に際して「有楽」となりかけたそうなのですが、当時「有楽町で逢いましょう」という歌がヒットしたこともあって地元の反発が強かったとか。
これは日本の「街区方式」でも同じですね。私の住む建物の住居番号は3軒の建物で共有しています。それから、もともと1区画だったところの真ん中に新しい道路ができて2区画に分かれても街区符号は同じままのことが多いですね。
一方、住居表示未実施地域では住所を地番で表すことがほとんどですが、地番の場合は同じ番号ということは有り得ません。はじめに採番したときは連番だったのでしょうが、分筆合筆を繰り返せば枝番を使っていてもじきばらばらになってしまいます。また、はじめの地目によっては隣の土地でも、もともと連番になってなかったりしてさらに混沌へ向かいます。[13929]でfさんが車のナンバーに喩える所以です。
金沢市は「街区方式」をとったために現在すすめられている旧町名の復活がなかなか進みません。いま復活させた町は街区で構成されていり(主計町)、住宅が少ないところ(飛梅町、下石引町)です。
フォローアップありがとうございます。おそらく神田多町の話は有名なので出ているかなとは思ったんですが、神田・日本橋の一例に挙げるということで、特には引用・リンクは考えなかったんですが、やっぱりあった方が良かったですね。
住居表示実施に際しては「丁目をつける場合は○○町ではなく町をとって○○とする」という原則があります。東京の下町はほとんど徹底してこの原則に従ったのですが、都心の永田町、有楽町なんか結局そのまま住居表示実施となりました。
江戸時代末期、982を数えられた町地は、町人居住地の町名で、武家地や寺社地には町名はありませんでした。その名残で「○○町○丁目」といった住居表示があるのではと推測されます。
新宿区の東半分といえば、旧牛込区と旧四谷区で、ともに東京15区時代の東京市内ですね。一方の西半分は旧淀橋区で、東京市編入直前は豊多摩郡にあった4町ですね。そこらへんにも旧町名残存率の違いの謎が隠されていそうです。
江戸時代末期、982を数えられた町地は、町人居住地の町名で、武家地や寺社地には町名はありませんでした。その名残で「○○町○丁目」といった住居表示があるのではと推測されます。
私が[10386]で申し上げたかったことは、住居表示実施の際の原則は、それまで「○○町××番地」だったところを、機械的に「町」をとってしまい「○○△丁目」にするということなのですが、ありがたきさんが上でおっしゃっていることは、要するに以前から「町」と「丁目」を併用していた区域は住居表示実施後も「町」と「丁目」を併用しているということなのでしょうか?
つまり、江東区などは住居表示実施以前は「丁目」はなかったが、中央区や千代田区では「丁目」のあった地区が多かったということなのでしょうか?
要するに以前から「町」と「丁目」を併用していた区域は住居表示実施後も「町」と「丁目」を併用しているということなのでしょうか?
今一度整理すると、明治初頭に江戸の「町名」を継承した、現在の千代田区や中央区の町名は、○○町が非常に多い一方で、朱引の外の「府外」ちいきは、大字・小字などの名前を転用したものも多く、○○町はそれほど多くないという状況があります。
については、その転用された「○○町」が、住居表示法公布を受けた昭和30年代後半で盛んに行われた町名地番整理の際に住民の強い要望その他で「町」がとれないまま「丁目」がついた、という流れがあったことも含み多く残っているということと補足し、読み替えて頂ければ幸いです。
なお、東京で昭和の頭に「住居表示」(ここでは前述の住居表示法による表示とは区別して下さい)を定めた際、それらは市、区の事務とされたため、新町名の扱いが均一的でなく、地域によって差が出来たそうですね。その最たるものが千代田区や中央区の「神田」「日本橋」を冠した町名群ではないでしょうか。
また、たびたび変更される町界変更、町名変更でしたが、時の東京市は「東京市公報」にてその都度、新町名にカタカナのルビを入れて告示したそうです。東京市は律儀に事務を行っていたんですね。
先日名古屋に行ったとき、街区or道路の事を思い出したのですが、「道路方式」と「街区方式」を併用しているところって他にもあるんでしょうか?
三冠地名を探していて偶然発見したのですが、北海道厚岸郡厚岸町には、「太田1の通り」〜「太田9の通り」というのがあります。これは、道路方式の例ではないでしょうか。
[14604]のまとめレスを町名関係のアーカイブに採用していただいているようですので、置き換え用に、関連する記述を一部改めて投稿します。いつも「まとめレス」でご迷惑おかけします…。
さて、その中で「丁目」の表記方法についての書き込みが、[6633]の蘭丸さんを始め幾つかあります。私の住んでいる市にも、住居表示実施地域の「丁目」と未実施地域の「丁目」が存在します。私は後者の地域に住んでますが、長年「3丁目」というふうにアラビア数字を使っていました。ところが、戸籍謄本は「三丁目」、土地の登記簿謄本も「三丁目」になっており(それらの記載ルールが漢数字なのかもしれませんが)、丁目の表記方法は漢数字が正しいのではないかと思うようになりました。
そこで、丁目の表記方法は「住居表示の実施・未実施に関わらず、共に丁目までが大字なので、漢数字が正しい」、また、言い方を変えれば「大字の名称にはアラビア数字は使用しない」というふうに結論付けても良いかどうか、アドバイス戴けませんか?
ハイ、そのとおりです。ちょうど身近にいた土地家屋調査士の方にも、念のため確認してしまいました。土地家屋調査士の講座で、先生が言ってたそうですよ。書込みをプリントアウトしてその人に見せたら、このような類のことを、一般の人が質問してるんですか?と驚かれました。
さらに言えば数字はなるべく算用数字を使うようにしています。(縦書き・手書きで)「一二二三一番地」など、目によくありません。
情報ありがとうございます。早速調べてみましたところ、少なくとも「太田5の通り」は住居表示法に基づく住居表示は未実施で、地番を用いた住所表記になってる模様です。
花巻市の東十二丁目は「十二丁目」の東にあります。また、万丁目シリーズは万丁目が南北に分かれ、さらに北万丁目が上中下に分かれたものです。十二丁目、万丁目とも人名が由来らしいです。
また、秋田県由利郡象潟町には字1丁目塩越〜字5丁目塩越があり、福島県伊達郡保原町には字1丁目〜字12丁目がありますが、ここの表記はアラビア数字になっています。漢数字とアラビア数字、どちらが正しいのでしょうか?
初心者質問ですみません。地名コレクションの地名の種別として「大字・字・小字」の区別が書かれているコレクションがいくつかあるのですが、これはどうやって調べるというか判別されているのでしょうか。例えば、EMMさんが編集されている「狼」コレクションの青森県には下記の項目があります。
上記の「字・小字」の違いはどこかに明記されている資料があるのでしょうか。アーカイブ「町名、字名(大字、小字、字)、丁目とは何か?」を読むと市町村の例規集などで分かる場合があるようですが、EMMさんが「字」の種別の判別はどのようにされているのでしょうか。以前、「猫」「はさま」などのコレクション編集を行っている過程で途方に暮れたもので。よろしくご教授ください。
一音地名の分類上、「一音大字」「一音小字」を完全に分けていますが、その基準は極めて単純で、郵便番号の設定があるかどうかで分けています。ただ、それで本当に間違いがないのかどうかは今ひとつ自信がありません。
向日市は確かに大字相当を単位としていますが、八幡市はどうも小字単位のようです。(どちらも、「字」等の文字は使われていませんが。)
ですので、郵便番号を完全に信じていいのかどうかよくわかりませんが、基本的には参考にしてよいかと考えています。
ちなみに、今から5日午後まで家を空けますので、十番勝負には出遅れることが確定です(笑)。30km近い渋滞に飛び込んでまいります・・・。
狼・犬・天狗・瓢箪コレクションでは大字・字・小字を分けて書いてありますが、あれはきっちりやってあるように見えて実際は結構だだくさです。
実際に行った方法ですが、まずYahoo!地図で目的の地名を表示した時に左上に表示される住所で判断し、さらにマピオンの住所検索で表示された住所で修正してあります。
町村の住所で小字が表示されないところの場合は基本的に字名としてあります。ただし、小字が無くてもマピオンで検索して「大字○○」が冠されていた場合、及びYahoo!地図の右上の表示並びにマピオンの住所検索では小字が出てこないが地図中には小字が記載されている場合(通常の住居表示は○○n番地だが、地図中には昔から慣習的に使われている小字が記載されているところ)には○○の部分は大字名としてあります。
また、市の住所でもマピオンの検索結果、または合併協議会の新住所一覧で「大字」「字」が冠されていれば町名でなく大字名・字名としてあります。
前述の4コレクションではとりあえず町名としてありますが、実際のところどう判断するのがよいのかは、よく分かってません…。
上記のようにいくつかのサイトを見比べて個別判断しているので極めて非効率的ですし、必ずしも正確ではないと思っています。
グリグリさんの返答にはなっていないので恐縮ですが、「大字・小字」等の表記の件は私の地名考察のテーマでもありますので少々触れたいと思います。
田んぼを管理するのに、「田んぼの畦道の交わるところ」やそのそばに住むのは自然の流れだったのでしょう。
1889年(いわゆる明治の大合併)で、自治体としての市町村が合併等すると、新自治体は旧自治体の自治体名を「大字」としたのは皆さんご存知の通りです。又、集落であった時の「字」はその時に概ね「小字」としたようです。例外も数多く存在しますが、単独で自治体格を持ったものは「字」のままが多いと思います。
この「字真栄町」は大字がなく自治体名の後に直ぐ付きます。この「厚岸町」、大字がないわけでもありません。
偶々、厚岸郡厚岸町「厚岸」一丁目というような町名が無いですが、他の自治体にはありますからね…どちらの意味で「町」といってるのか分からないときが多々あります。
まず、これらについては、基になる二つの法律がしており、その意味(定義)が異なっているのでは、と思います。
政令で特別の定をする場合を除く外、市町村の区域内の町若しくは字の区域をあらたに画し若しくはこれを廃止し、又は町若しくは字の区域若しくはその名称を変更するときは、市町村長が当該市町村の議会の議決を経てこれを定め、都道府県知事に届け出なければならない。
・「町若しくは字の名称を変更する」とは、単に従前の町又は字の名称を変更する場合及び町又は字の区域を変更するとともに同時にその名称を変更する場合である。また、「町若しくは字の区域をあらたに画する」ことの中には、新しい町名又は字名を附することを含むからである。また、市町村の配置分合及び境界変更に際し、旧町村の字の区域及び名称をそのまま新市町村の字の区域及び名称とする場合には、本条の手続を要しない(昭和30年3月30日行政実例)
第三十四条 土地の表示に関する登記の登記事項は、第二十七条各号に掲げるもののほか、次のとおりとする。
第三十五条 登記所は、法務省令で定めるところにより、地番を付すべき区域(第三十九条第二項及び第四十一条第二号において「地番区域」という。)を定め、一筆の土地ごとに地番を付さなければならない。
不動産登記法 (平成十六年法律第百二十三号)及び不動産登記令(平成十六年政令第三百七十九号)の施行に伴い、並びに同法及び同令の規定に基づき、並びに同法及び同令 の規定を実施するため、不動産登記法 施行細則(明治三十二年司法省令第十一号)の全部を改正する省令を次のように定める。
なお、これら不動産登記法関連については、平成17年3月7日に全部改正されました。従前のものはこちらです。
一般に使用される「住所」は、郵便物が届けばよい、宅配物が届けばよい、ということにが主眼にしますので(例えば「マンション名+部屋番号」の表記は通常は正式な住民票では使わない・・部屋番号は、住居表示の枝番で対応する例はあるが)、「町」「字」の議論にはあてになりません。
昨今の市町村合併で、上記の地方自治法第260条第1項の規定による届出が、市町村長から都道府県知事あてに、多数出され、都道府県知事から告示されているはずです。その中では、「町」なのか、「字」なのかの区別は明確にわかります。ただし、何が「町」で、何が「字」なのか、その判断基準等は示されていません。
地方自治法第260条第1項の規定により、丸亀市の区域内において、次の表の下段に掲げる字の名称を当該上段に掲げる字の名称に変更し、平成17年3月22日から施行する旨、丸亀市長職務執行者から届出があった。
地方自治法(昭和22年法律第67号)第7条第1項の規定により、更級郡大岡村、上水内郡豊野町、同郡戸隠村及び同郡鬼無里村を廃し、その区域を長野市に編入する旨、長野県知事から届出があったので、同条第6項の規定に基づき、告示する。
地方自治法第260条第1項の規定により、平成17年1月1日から本市内の町の区域及び名称を、別紙のとおり画定及び変更する。
特定の業務に関係する方以外は、目にする方以外はあまりないでしょう(不動産の売買のときくらい)。法務局にある「不動産登記簿」です(あくまで、いわゆる「表示登記」と言われる、「土地の表示」に限ります。「権利登記」といわれる部分(所有権を表す部分等)は、印鑑証明書に基づきますので、地方自治法のものと同じです)。
ちょっと、中途半端な述べ方になってしまいましたが、長文になるので(既になっていますが)、ひとまず、これまでにしたいと思います。引用が多くて失礼しました。
とのことですが、これは必ずしもそうだと言い切れない面があります。同様の例が名古屋市内に散見されます(北区楠町大字〜、港区南陽町大字〜、緑区有松町大字〜など)から、何か名古屋市独特のルールがあるようにも思えます。最近見た例では、合併が絡みますが「青森市浪岡大字○○」というケースがありました。こういった例を見るとあたかも「大字」の上に相当する「何か」があるようにさえ見えてきて、名古屋市の例が飛び抜けて特殊というわけでもなさそうです。ぱっと見では、全国各地のいわゆる「広域大字」の類(愛知県では一宮市の「一宮市丹陽町」「一宮市千秋町」などがそれにあたります)ともとれます。
もともと大字の概念にはこれといった全国的な統一性があるわけではなく(以前にも挙げた岩手県独特の住所「第○地割」の存在もあります)、あいまいさが顕在していたところへ持ってきて、ここのところの合併に伴って生じた大字改変の取り扱いが各所でまちまちで、ますます混沌としてきているのは事実です。大字という概念を全国的に網羅し、統一した見解で纏め上げようというのは、多分無理だと思います。
これは地図の用途及び目的の違いによるものですね。住宅地図は1つ1つの建築物が主人公ですから、それらの住所を正確に記していなければ都合の悪い事態もあり得ます。一方、道路地図で大字の有無はハッキリ言ってどうでもよく、大まかに住所・地名が読み取れればよいので、判読不能にならない程度の誇張や省略が行われます(多分、郵便物が「大字」を入れずとも届くために省略される傾向が強いのでしょう)。また、地図が表す縮尺も表記の省略化を大きく左右する要素で、住宅地図は超拡大図が基本であり住所を略さずとも記せる紙面であるのに対して、道路地図では住宅地図ほどに拡大した図はごくまれである割に情報量は多く、どうしても省略が避けて通れないという、地図特有の事情が表記の揺れには見え隠れしています。ですから、どの表記が正しいのかを判断するのも、市販の地図がこれだけ表記の統一ができていないのですから、意外と難しいのです。ちなみに例として挙げられた「歩道橋の表記」ですが、これはユーザの立場にしてみればそんな厳密な表記は要らないのですが、何分道路に建植された構築物は官公署である警察が管轄することが多いので、この絡みできっちり書かれている…漠然とそんな気がします。
この説明でホッとしています。長年の疑問に対する回答にようやく出逢えた気持ちです。スナフキんさん、ありがとうございました。
レス元冒頭にも書いたように、あの文言は私が地図を編集していて思うことをしたためたものなので絶対ではなく、安心するのは早いかもしれませんよ(苦笑)。私自身「多分無理だと思います」という大いなる婉曲表現をしてますし。
ただ言えることは、全国的に統一性のないこれらの居住地名についてまとめたものが国土行政区画総覧であり日本行政区画便覧であるということ、それらもまとめこそすれども上下関係を中心に体系的に整理するまでには至っていないということです。また、最近の相次ぐ合併に伴って誤植や事実誤認が散見されることもあり、やはりこれをバイブルとして100%信用してよいとまでは言い難いですね。私が確認したとんでもない誤植は、岩手県西和和町(目次では正しく書かれていますが、大見出しにはこう書かれていました)なんてのがありましたし、青森県外ヶ浜町では旧蟹田町内の記述が町役場ホームページで見られる新住所一覧とかなり異なっている、といった具体例がありました。
普段からこのぶ厚い資料に目を通すことは日常茶飯事なのですが、例えば大字の下に相当する小見出しの「字」がなぜ同じ大字の中で2分割で表示されているのか(つまり「字」の項目が2つ以上立つ大字があるのです)、「字」と同格で表示されている「通称」との混在はどう説明すればいいのか、北海道などで大字に相当するランクに「字○○」という地名が記されているのはどう考えればよいのか、理解に苦しむ記述も多くあります。こういった表記の揺れを見ると、やはり地域ごとに異なる地名の考え方を纏め上げるのは、資料の収集能力があるはずの機関が作ったこれだけの物量の書物をもってしても難しいのだなぁ、と私は考えるのです。この公的要素の強い書物がこうなのですから、自分のところを含めて地図会社がこれを全国的に熟知し、完全に理解して地図作りができているはずがなく、殊に地名の上下関係だけに的を絞って道路地図を眺めておれば、おかしな記述は恐らく山ほど出てくるのだろうと思います(もちろん、自分のところで作ったアトラスを含めて、の話ですが)。ですから、
についても、やはり全国的にきっちりと上下関係を明らかにするのは難しかろうと思います。前述の「字○○」が、「大字なし」と書かれていないのにズラズラ並んでいるのなどは、大字の下にあるべき字・小字と同じものには見えません。昨今の合併に伴う住所変更の取り扱いでよく見られる「大字の語句を削除」という処置も、では新住所は大字ではなくなるのか、大字だけれども表現をしないように改めるのか、それとも全部が字や小字のランクになるのかなど、実際には全く分からないです。まあ、一般人には分からないでも何の不都合もないのでそれでよいのでしょうけれど、こだわりのある人、地名を研究したり論じたりする人には不親切ではあります。
ただ最後に一つ言いたいのは、私は「これではまずかろう」とは思っていない、ということです。地域によって考え方が異なる、こういう独自性・主体性があってもいいじゃあないですか。逆に日本全国を杓子定規に当てはめることができる地名体系だったとしたら、私はとてもつまらないと思いますし、そもそも「国土行政区画総覧」などという分厚い資料の存在意義もなかったことでしょう。そういうファジーな部分を楽しめるのが、日本の国民性というか日本気質というか、そんな気もします。これを失うのはもったいない、というのが私の気持ちですね。
政令で特別の定をする場合を除く外、市町村の区域内の町若しくは字の区域をあらたに画し若しくはこれを廃止し、又は町若しくは字の区域若しくはその名称を変更するときは、市町村長が当該市町村の議会の議決を経てこれを定め、都道府県知事に届け出なければならない。
手元に地方自治法がないので分りませんが、「町若しくは字の区域」の「町」「字」は法律上定義されているのでしょうか。「地方自治の本旨」とかいう概念がありますが、自治体の区域内のことである「町」「字」は、自治体に任されていると思うので「町」「字」を使おうと使うまいと「大字」を入れよう入れまいと基本的に自由では?自治体にはそれぞれ沿革があるので、「町」「字」に関する統一した概念は無く、いわば「従前の例」みたいなものだと思います。ただし、その変更過程を公にするために第260条があるのではないでしょうか。
大字の下に相当する小見出しの「字」がなぜ同じ大字の中で2分割で表示されているのか(つまり「字」の項目が2つ以上立つ大字があるのです)
境界変更などで新たに自治体の区域となった部分が、従前の「大字」と同じ名称だった場合、この例に該当する様に思えるんですが。
・もともと「字」しかなかった自治体に合併などで「大字」のある区域ができた。意識上は「字」の区域と「大字」の区域は同列ではないかと思います。
はい、私も同感です。私は「明確な概念の統一はない」ということも含め、事実をできるだけ正確に把握したいということなので。と思っていたら、
と言うご説明があり、まだまだ事実が明らかにされる余地が沢山あるのだと認識。奥が深いですねぇ。88さん、続報をお待ちしています。
「町」「大字」「小字」が個別に明確に識別可能なはずである、と言うことですが、合併により「小字」が「大字」昇格したりすると言うことであれば、この3つの識別を例えば地名コレクションでのコレクション範囲を決める基準に使ったりするのは、あまり適切ではないのかなと思います。まずは各々の基準で柔軟に対応すればよいということでしょう。ある程度の統一基準を整備するのであれば、コレクションの収集範囲、表記方法などまだまだ整理する課題が多そうです。
結局のところ,「地方自治法」でも「住居表示に関する法律」でも「町」「字」は“所与のもの”として使用されているだけに思えます。統一された定義なんてものはないのでは?
ところで、「字」といった場合は通常は「小字」のことだと思いますが、「大字・小字」の総称でも使われそう。これも悩ましいですね。う〜〜ん、考えると眠れなくなりそう。(笑
地方自治法第260条では条例事項としていないので、「町」「字」を調べるのは難しいですが、知事への届けが必要なので、過去の都道府県公報などで調査が可能かと思います。ただ、これかなり大変で、私は過去の字名変更を図書館で調べたことありますが、該当年の公報をマイクロフィルムで検索する作業は非常に時間がかかり疲れました。(調べに関係無い部分を読んだりして時間かかったのですが。)
札幌市の場合は、以前は北海道庁告示でしたが最近は市の告示で公表されています。ネットでも公開されていたんですが、なぜか去年から、沿革情報は見れますが、町名自体は登載中止となってました。
ところで、「字」といった場合は通常は「小字」のことだと思いますが、「大字・小字」の総称でも使われそう。
ちなみに,この3月に合併を行う相模原市・津久井町・相模湖町合併協議会HPで公開されている合併協定項目の中で「協議第19号 町名・字名の取り扱いについて」と題して
で,その意味での「字」である「大字上溝」の区域内には,「字田尻」とか「字虹吹」とか「字番田」という区画(いわゆる「字」ないし「小字」)があって,日常生活では今は使われることはまずないけれども不動産登記では使われるのでしょう。昔は「字相模原」という区画が1941年の「高座郡相模原町」発足以前からあったらしいのですが,今は「千代田」とか「星が丘」という「町」になっています。
(さらに蛇足ながら,“明治の大合併”に際して旧上溝村は単独で町村制による村となって「高座郡溝村」と称しました。後に「高座郡上溝町」となるこの自治体は,合併を行わず単独で発足した他の町村と同様に「大字」を編成しませんでした。だから,高座郡溝村の後にすぐ大字を飛ばして「字番田」と続いていたわけです。1941年に相模原町の一部となるに及んで,「大字上溝」という“字”が編成されました。)
要するに現・津久井町の支所を新・相模原市の出張所とするということですが,「編入合併」なので,存続自治体である現・相模原市の側で条例を準備するのでしょうかね。
それはともかく,「字」としては「津久井町大字青山」なり「津久井町大字根小屋」なりが全体で1つの名称なのだろうと思いますが,こういう表記をしてもいるのですね。
地方自治法の規定では、町・字については「条例」「規則」にする必要がある、とはどこにも書いていません(このため、各市町村のWeb版の例規集にも、記載の有無が混在しています)。繰り返しの紹介になりますが、
政令で特別の定をする場合を除く外、市町村の区域内の町若しくは字の区域をあらたに画し若しくはこれを廃止し、又は町若しくは字の区域若しくはその名称を変更するときは、市町村長が当該市町村の議会の議決を経てこれを定め、都道府県知事に届け出なければならない。
とあるので、我々一般人が確認するには、(1)市町村の議会の議決を確認するか、(2)都道府県知事への届出を確認するか、(3)その後の都道府県知事の告示を確認するか、しかないでしょう。
ここで気になるポイントなのですが、市町村の議決を要する案件なのに、「じゃあ、今はどこでどう決まっているのか?」と、話題にならないはずがない、と思うのです。つまり、それまでが曖昧なものを、急に議決する、ということが考えられない、ということです。
地方自治法施行に伴う切り替えについて定めたものに、「地方自治法施行規程」があります。これは、地方自治法の附則に
第六十六条 法律又は政令に特別の定があるものを除く外、従前の東京都官制、北海道庁官制又は地方官官制の規定によつてした手続その他の行為は、これを地方自治法 又はこれに基いて発する命令中の相当する規定によつてした手続その他の行為とみなす。
「地方自治法施行時点で使用していた「町」「字」は、当該市町村の議決を得て、都道府県知事に届け出たものとみなす。」
第四条 地方公共団体は、その事務所の位置を定め又はこれを変更しようとするときは、条例でこれを定めなければならない。
第一条 地方公共団体の事務所の現に在る位置は、地方自治法第四条 の条例でこれを定めたものとみなす。
#地方自治法第260条第2項の告示の箇所を訂正(訂正前は「告示をする義務がない」と書いていた・・まったくの事実誤認)
ヤフーのニュースで大垣市:あらた町→しんでん町 新田町、読み方変更−−3月27日から /岐阜というものがあり、記事の内容を見てみますと、新・大垣市の合併に伴い上石津町・墨俣町の区域の字の名称変更のついて岐阜県告示がなされたとのことなので、岐阜県のホームページで岐阜県公報を検索してみました。
というふうに独立して立てられている部分がありました。字や通称の表現方法は、中黒「・」で結んで列記していくのが普通なのですが、ここではどういうわけか個別になっています。これは単に郵便番号が独立しているからそうしているだけなのか、それとももっと別な理由があっての措置なのかは私にも分かりません。他にも帯広市に、
もあり、留萌市内においてはどうも「字」の概念がひとくくりでまとめられないように、私には思えるわけです。例示としてはこの程度でよろしいでしょうか。
私のフォロー以降に突っ込んだ見解が様々示されていますが、あくまでも私のフォローはフィーリングによるものであり、地方自治法など具体的かつ個別の法律話になるともう私は手も足も出ませんので脱落します(汗)。私が思うのは、恐らく大字や字は公的にはきっちり決められているだろうということ、けれどもその上下関係や相互関係を全国的に纏め上げるのは地域ごとの格差が激しく難しかろうということです。そしてそのことを私は必ずしも否定的には捉えてはいません。
何だ、地図屋のくせにとんずらか? と思われるかもしれませんが、所詮餅は餅屋ですから仕方ありません。地図屋にとって多くの知識を吸収するのは仕事上プラスになることではありますが、やはり法律の条文を読み解くのはあまりにも実作業からかけ離れすぎていて手に負えないのが実情です。後の議論は有識者ならびに関心のある方々に、無責任ではありますがお任せします。
何か歴史がありそうなんで、調べてみようかと思ってます。北海道だけなのかは分りませんが、正式な「字名」よりも「通称名」「地区名」のほうが慣用されている感じの自治体もあるので、部・区・自治会・町内会などの区域が絡んでいるのかもしれません。
留萌市は特に「大字留萌村」の地域が良くわからないです。市の中心部にも「大字留萌村」があるはずですが、道路地図には通称の町名が書かれています。正式な「字」より通称の「町」が一般的に使われるのではないかと考えています。
去年、石狩市やせたな町で「○○区」というものが誕生しました。最近流行っているのか、伊達市にも「大滝区」が誕生する様子です。
市町村内の「町」と「字」の名(「町丁字名」等と呼ばれるようです)に関しては既に アーカイブズ があり、今年になってからも名古屋市の住所に関する疑問を契機として、多くの記事 が寄せられています。
こちらでも、「町」や「字」は新たな定義を必要としない“所与のもの”として使われていることは同様です。
しかし、多数の「町」が連続する大きな市街地の「町」は、明治11年に「区」の中に取り込まれ、更に明治22年以降は全国各地で誕生した「市」の中へと取り込まれてゆき、独立した小さな市街地のまま自治体となった“田舎町”とは異なり、「字」と同じような「下位区分」となる運命をたどることになります。
「字」は「筆」を統轄する区域とした定義が示すように土地中心主義の言葉であり、住民中心主義の定義がされている「村」と「町」 (町村でな村町の順であることが農業国だった時代を表わしています) とは少し異なりますが、これとても新たな定義というよりは、以前から使われていた([6639] f さん)「字」という言葉を、新政府の土地制度の下で表現したものでしょう。
「大字」という言葉は、明治大合併による行政村の誕生に際して、旧町村の名称を新たな「字」として残す場合、同じ「字」という言葉が、従来からの存在である(a priori)「字」と共に階層的に使われるようになるので、混乱を避けるために「上位階層の字」という意味で作られたと理解されます。
従来の「字」は、そのままでよいはずですが、わざわざ「小字」という言葉を作った地域もあるのは「大字」と対比するためでしょう。
こんなふうに町、字が定義されていたわけですか、勉強になります。このあとも続きがありそうですが、一連の記事をあらためて読んでみると、興味深い内容続いています。(私の記事番号まで入っているのは恥ずかしかったですが。)
明治期の北海道庁告示などを調べたところ次のようなものがありました。(漢字体、仮名は原文と異なります。)
各地に唱ふる字の義は其地固有の名称にして往古より伝来のもの甚多く土地争訟の審判歴史の考証地誌の編纂には最も要用なるものに付漫に改称変更不致様可心得旨公達相成候条此旨相達候事
従来公称する区町村内土地の字名は容易に改称変更すべきものにあらざるも已むを得ざる事由ありて其改称変更を必要とし又新開地等にて新に字名の設定を要するときは事由を詳具し図面を添附北海道庁長官に具申すべし但町村に属するものは支庁長を経由し支庁長は意見を副申すべし
明治14年頃は、北海道の開拓が進み新しい村や地名がどんどん作られ、何か混乱や問題が生じたために達せられたのではないかと思います。このような状況が、明治16年、函館県が永田方正に命じて地名の調査に当らせる事になった背景の一つかもしれません。後に調査の範囲が全道に渡り「北海道蝦夷語地名解」が出版されています。
[48552]で記したように、明治22年(以降)に合併して生まれたた新しい町村の中に、旧村の名が「大字」として残り、それ以前からの本来の字と合わせて、市町村内を分ける地域区分は、大字と字(小字)との2重の階層構造が普通になりました。
例えば秋田県南秋田郡の旧・船川村には、もともと字船川があったので、明治22年の4村合併により、「船川村(大字)船川字船川」という3連続の船川になりました。明治27年の町制で町の名は船川港町になっていましたが、昭和29年(1954)の1町4村の合併市制により成立した男鹿市には、この「船川港」という町名が大字の中に持ち込まれ、「男鹿市(大字)船川港船川字船川」という実質3重構造かつ同名の字が実現しました。
同音地名連続となった事例は珍しいとしても、合併に伴なって新自治体内の町丁字名の階層構造が複雑化してゆく様子はお判りのことと思います。このように、旧自治体名が新自治体名と従来からの町名・大字名との間に割り込んで、階層構造の多重化が進行してゆく現象は、平成の合併においてよく見られるとおりです。
現実には「従来の大字の更に上位にある階層」が出現してきたということですが、新たに生れた階層には、明治合併の際に名付けられた「大字」のような「統一的呼称」が与えられていません。
形式的には、上記男鹿市の例に見られるように、「大字」が2重化したものとして処理している自治体が多いのではないかと思います。
姫路市の区 は、「町若しくは字」という言葉から はみ出した存在ですが、合併に伴なって旧自治体名が「新たな階層」として挿入された有名かつ特異な例です。
姫路市の「区」には区役所も設けられておらず、行政区というよりも、合併された旧市町村の「財産区」という性格があるのではないかとの推測もあります。
行政的には“市町村の区域内の町若しくは字の区域”の一種に、名前だけ「飾磨区」「広畑区」「網干区」…という呼び名が付けられているのでしょうか?
そして、呼び名の違いから「町」か「字」かの判別ができず、両者の実体の違いが明らかでないことも、“「字」は鬼門”である大きな理由でしょう。
最近では、従来の表記に含まれていた「大字」の文字を合併に伴ない削除した地域も目立ちます。これは、下記大垣市の例のように、旧自治体時代は「大字」であったものが、新自治体では「町」として扱うことになるための処置であることが多いのではないかと推察します。
たしかに 市原市の区域内における字の名称 の中には、白金町一丁目、中西町、茂呂町、八幡北町一丁目など“「町」の字が使われた「字」”があり、鳥取市の町名 には「町」の字が使われていない町名が多数列挙されています。
そもそも、「町」と「字」とにつき 歴史的な来歴の違いを論じるのはそれなりの意義はあるとしても、現行法における“市町村の区域内の…区域”としては区別する根拠を見出すことができません。
全く同一の区分が、たまたま従来の呼称を引き継いだ関係で2種類(称呼としては「町」「字」の付くものと、そのいずれの文字も含まないものとの3種類)になっているものと理解され、統計資料上の集計区分も、同一の「町丁字別」となっています[6604]。
なのかもしれませんが、「町」と「字」のいずれを選ぶのかは当該市町村の恣意に任されているように思われます。一般論としては、従来は「字」を使っている自治体が多かったものの、合併等を機に、都会的な気分のする?「町」に改める傾向があるのでしょう。
個々のケースはともかく、全国的な地域区分として論じる場合には、地方自治法の表現“町若しくは字”で十分であり、
後に「市内の町」になる「(市制施行以前の)区内の町」や町村内の「字」も“区域名称ハ総テ旧ニ依ル”考え方からすれば当然で、これが現在の“町若しくは字”という複数呼称の共存体制に持ち越されたものと考えます。
市町村内の「町」と「字」とを区別する実益がない同じような意味で、自治体としての「町」と「村」とを区別することも、地方自治法の下では、本質的には実益がないように思われます。
但し、こちらは商業市街地と農村との区別という集落の性格の違いをふまえ歴史的な使い方が定着しており、町村の区域が広がってしまった現代でもある程度通用します。
香川郡塩江町の編入に伴い平成17年9月26日から、次の表の左欄に掲げる区域において、右欄に掲げる町の名称を設定する旨の地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定による高松市長からの届出を受理したので、同条第2項の規定により告示します。
「高松市」の中に「塩江町」があって、さらにその中に「上西甲」や「安原上」があるように見えますが(新聞やテレビなどでも「高松市塩江町では・・」と言い、日常会話でもそう使いますが)、上記の告示のとおり、地方自治法における「町」は、「塩江町上西甲」「塩江町安原上」であり、「階層があるように見えるが正式には階層でない」が正当です。「高松市紙町」という地名がありますが、これと同等なものは、「高松市塩江町」ではなく、「高松市塩江町上西甲」である、ということです。
地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項の規定により、三豊市の区域内において、次の表の下欄に掲げる字の名称を当該上欄に掲げる字の名称に変更し、平成18年1月1日から施行する旨、三豊市長職務執行者から届出があった。
これら、高松市と三豊市の違いは、「町」「字」(ここでは「大字」)という地方自治法第260条第1項における表現は異なりますが、違いは不明で、一般生活上でも何の相違もありません。テレビ等では、高松市の例と同様に「三豊郡高瀬町では・・・」と報道されています。
なお、一般的な説明が、三豊合併協議会協定項目協議状況第13号資料の冒頭に記載されておりますのでご紹介を。
市町村の区域内は、町または字によって区画されています。これは即ち、土地の位置を表す表示(不動産登記簿上の表示)となるとともに、住所は、これを基本に表示されています。7町の場合、土地の表示については、町名、大字名、小字名、地番で表示されていますが、住所表示については、土地の表示から小字名が削除されたもので表示されています。
視覚的には大河原市街地の一部なのに住所は柴田町大字船岡。このエリアには2千人近い大河原住民的柴田町民が住んでいます。これも柴田七不思議の一つにノミネートしていいでしょうか。昨年の合併破談で最も落胆したのは、この大河原住民的柴田町民の方々だろうと思います。同情します。
もう一つ不思議なのは、昭和43年に大字船迫を分割し、西半分を大字本船迫としたことです。何故こんな時代になって、新しい大字を誕生させる必要性があったのだろう。考えても分からないのですが、分からないなりに考えてみると・・・。
以上の二点が考えられるのですが、本当の理由は分かりません。行政はどのような時に大字を新設する必要が生じるのでしょうか?。もちろん、市町村合併によるものは除いての話です。
◎この頃:軍都計画による区画整理区域(大字小山・大字橋本・大字清兵衛新田・大字下九沢・大字上溝・大字上矢部・大字矢部新田・大字淵野辺)について,区画整理による新街路網に基づき大字界を変更。
・現存:大字下九沢・大字上九沢・大字大島・大字田名・大字上溝・大字下溝・大字当麻・大字麻溝台・大字磯部・大字新戸・大字新磯野
1つは,麻溝台・新磯野 のように,敗戦後に旧軍用地が“解放”されて開拓団を受け入れた区域。もとの大字と切り離して新たに大字を起立しています。
同じような例として,千葉県の習志野原演習場跡地に起立された「船橋市習志野町」(1955年:戦後編入された旧二宮町・豊富村区域の大字を「町」に再編する作業の一環)があります。千葉郡大和田町が旧演習場内に起立した「大字安生津(あきつ)」(1947年),同郡幕張町が演習場内の旧高津厩舎の区域に起立した「大字愛宕」(1951年)は複雑な経緯を経て1954年8月に習志野市の一部となり,「東習志野町」となりました。ただし習志野の場合は,近世には「小金牧」の一部で“百姓身分”の者で編成された「村」は存在せず,明治の大合併以前に軍用地=官有地となったことから“「大字」の外”でありました。
大沼(大沼新田)の場合,こう言えそうです。江戸時代後期に開かれた新田のうち,清兵衛新田と矢部新田は幕末の段階でそれぞれ親村の小山村・上矢部村とは独立した村として扱われ,それが1878年の郡区町村編制法による編成作業でも独立した「村」とされて,大合併以降の「大字」に引き継がれた。しかし,大沼新田は淵野辺村に付属したものと扱われ,「大野村」発足の際にも「大字淵野辺」の一部とされていたものを,「相模原町」発足に際して単独の大字として独立させた。
“本来の古淵”の集落は境川に面したハケ(崖)の周辺に位置して,やや上流の淵野辺村に従属していたようで,したがって淵野辺村の一部とされました。
明治の大合併で「高座郡大野村」が編成されたわけですが,合併された3ヵ村に必然的なつながりがあるわけでもなく,「大野」という地名自体もともと存在しない,極めて“人工的”な枠組みでした。で,ちょうどそのほぼ真ん中に位置したのが古淵地区だったので,台地上の街道にそって村役場と小学校が置かれました。後には農協なども立地します。でも,すぐそばを通る横浜線は古淵をスルーしていますね。もしその頃に駅が作られれば,こちらこそが「相模大野駅」となったはずなのですが。
ともかく,戦後になって 大字淵野辺 から独立したのは,“大野の行政中心地区”として旧大野村北部の中心である淵野辺とは別個の地区として把握したほうがよいと判断されたのかもしれません。
「古淵駅」の開設は1988年。この間に「相模大野」の地名は,開設当初は「駅」さえ作ってもらえなかった小田急の分岐点のある 大字上鶴間谷口新開 に持って行かれてしまいました。
示していただいた事例により、旧軍用地に由来する麻溝台と新磯野は開拓集落の形成にあたって、そして江戸時代に開かれた大沼新田と、明治合併後に大野村の行政中心となった古淵の場合は、独立集落が新たに形成された後、かなりの時間を経た後で それらを追認する形で、いずれも相模原町時代に 「大字」が新設されたことがよくわかりました。
大沼新田は、清兵衛新田、矢部新田、淵野辺新田、溝境新田と同様に江戸時代に開拓された新田地名で、明治になってから開拓された橋本新開、下溝新開、谷口新開、篠原新開、中村新開、中和田新開という新開地名とは時代の違いを判別することができます。昭和20年以後に開拓された麻溝台や新磯野は、また異なる命名でした。
ここ原町田−淵野辺−橋本間には、仙石貢が武蔵野の地図上に豪快な直線を引いた甲武鉄道(現・中央線)[34522]には及ばないものの、かなり長い直線区間もあります。
・現存:大字下九沢・大字上九沢・大字大島・大字田名・大字上溝・大字下溝・大字当麻・大字麻溝台・大字磯部・大字新戸・大字新磯野
「大字」が消滅した地域には「町丁」が設けられ、相模原市内には地域区分としての「大字」と「町丁」とが共存しているという理解でよろしいのでしょうか?
町丁字別の人口と世帯数を見ると、上記の記事で「現存」とされた「大字下九沢」以下の地域も、「大字」の表記はなく、単に「下九沢」等と記されています。
つまり、相模原市における「大字」は、「町丁字という地域区分」の一種としては存在するが、「町丁字の表記」としては使われていないということになります。
準地元の ふじみ野市 の「町丁字という地域区分」を調べてみると、合併により表記から「大字」が除かれた「字」(例えば福岡)と、「町」(例えば福岡中央)という複数の種類の「町丁字」が共存することがわかりました。
しかし、相模原市とふじみ野市の例は、複数の種類の「町丁字」が同一市内に共存し得ることを示しています。
「町」と「丁」と「字」が種類としては異なるものであっても、現行法令上では、何らかの実質的な違いを持つものでなく、単に慣行の相違に由来するものであることは既に記した通りです。
「相模原市役所出張所設置条例の一部を改正する条例」では各出張所の管轄区域を以下のように定めています。
実はこの地は hmtの本籍地で、“串川村青山”だった時代から「大字」という言葉を含まない表記に慣れているので、この条例に使われた“大字青山”という表現には、大いに違和感がありました。
してみると、条例にあった“津久井町大字青山”という言葉は、「町名」や「大字名」である可能性が薄くなります。
ということを示しているように思われます。(お断り:このハイライトは強調のためで、引用ではありません)
しかし、既に今回の合併で生まれているたくさんの市の中には、上記相模原市のように「内部階層構造」の存在を思わせる公式文書があるのではないかと思われます。
ずっと反応したかったのですがなかなか時間がとれず流して参りました。広島市にはおそらく階層構造があると思われます。
以上のような階層構造を明確に示した例規は未確認(そもそも無いのかもしれません)ですが、状況証拠をご紹介します。
(1) 町の区域は、杉並台については現行のとおりとするものとし、町を設定していない区域については当該区域をもって新たに一の町の区域を設けるものとする。
(2) 町の名称は、杉並台については現行のとおりとするものとし、新たに設ける町の区域については湯来町(ゆきちょう)とするものとする。
●合併後の湯来町の住所の表し方についてでは湯来町の「大字」「字(小字)」を佐伯区に引き継いでいることが確認できます。
●広島市内の区別現行町名(廃止町名)一覧では、過去の町村合併地域でも同様の手法がとられ、その後の市街化にあわせ「町」を細分化してきたことが伺えます。(おそらく同時に「大字」を廃止してきたのでしょう。)
●次の地区で新しく住居表示の実施などをしましたでは、最近の「大字」や「字」の境界変更も図解してあります。
他の合併協議会についても、協定書を見るとこのような階層構造を使い分けているように思える自治体はいくつかあるのですが、私が見つけた状況証拠がいちばん豊富な広島市の例を挙げました。
東京特別区と政令指定都市は別にして、合併に当たって「区」を設ける市や町がこのところいくつか誕生しているようです。姫路市の区については以前から話題になっていますが、最近誕生した「区」は、合併前の町村の名を残すという意味合いがあるのでしょう。(兵庫県香美町小代区は例外([41848]今川焼))どれくらいの導入例があるのか調べてみました。(地図サイトの住所検索で「区」のつく住所を調べただけですので漏れがあるかもしれません。また今後の合併で「区制」導入を予定しているところがあるかもしれません。)
の話題がありましたが、姫路市のケースはよくわかりませんが、他の場合、区名の部分とそのあとのかつての大字名部分を含めた「○○区□□」が新たな大字名となっているものと思われ、住民の意識上はともかく、「法的?」には「○○区」という新たな階層ができたものではないと理解しています。しかし上記のうち、八戸市南郷区の住所表記は、たとえば「八戸市南郷区大字市野沢字黒坂」というように南郷区のあとに大字が来ています。この場合「南郷区大字市野沢」が大字名なのでしょうか、それとも新たな「区」という階層ができたということでしょうか。
ところで、上記で市役所・町役場の区にある出先の呼び方もいろいろあるようです。支所(石狩市・姫路市・美郷町)、総合支所(せたな町・紀北町)、総合事務所(上越市)、地域局(多可町・香美町)、地域事務所(宇陀市)があるなかで八戸市(南郷区)と南相馬市(3ヶ所)は、ずばり「区役所」でした。もしかして東京特別区と政令指定都市以外の「区役所」はこの4ヶ所だけ?
東京特別区と政令指定都市は別にして、合併に当たって「区」を設ける市や町がこのところいくつか誕生しているようです。
最近のこれらの「区」は「合併特例区」や「地域自治区」だと思います。これらは法的にできた新たな階層であると考えるほうが自然な気がします。
住所の表し方をこと細かく規定している法律は住居表示法だけであるからこそ、このような特例を条文化しているのでしょうか。
住居表示未実施域については各自治体毎に「従前の例」みたいなものであらわしていて、全国的に統一制度はないのだろうと思います。
最近のこれらの「区」は「合併特例区」や「地域自治区」だと思います。これらは法的にできた新たな階層であると考えるほうが自然な気がします。
ていねいな解説ありがとうございました。「区」には、ちゃんとした法律の裏付けがあったのですね。いい加減なことを書くもんじゃないですね。
ところでいろいろ検索していたら、総務省のサイトに地域自治組織の設置状況一覧(平成17年3月31日現在)というページがありました。それによると、[48751]の10市町の内、せたな町が合併特例区で、他の9市町はいずれも地域自治区のようです。また、「区」を名乗っていない地域自治区・合併特例区もかなりあります。というか相模原市のケースを含め「区」を名乗らない「区」の方が多数派のようです。
市町村と番地の間にある「町」や「字」について、地方自治法では「市町村の区域内の町若しくは字」と同列に扱った条文があるだけで、その内部に階層構造があり得るのか否か、「町」と「字」という2つの言葉を使った理由につき、全く語っておりません。
市街地にある住所若しくは居所又は事務所、事業所その他これらに類する施設の所在する場所(以下「住居」という。)を表示するには、都道府県、郡、市(特別区を含む。以下同じ。)、区(地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第二百五十二条の二十の区をいう。)及び町村の名称を冠するほか、次の各号のいずれかの方法によるものとする。
第一に、この法律は、あくまでも「市街地にある住居」の表示を定めたものであり、市街地にない住居の表示とは関係がありません。
第二に、この法律で定められた表記は、(通常用いられている街区方式の場合)「町又は字の名称並びに街区符号及び住居番号」であり、「町の名称及び番地」ではありません。
第三に、この法律はその附則で、「従前のならわしによる住居の表示」が住民に不便な市街区域について、すみやかな住居表示の実施を市町村に対して求めていますが、40年以上を経た現在でも、実施されていない市街地は多数あります。
つまり、市街地でも従前の「町名と番地」、「字名と番地」などによる表示で不便でない区域は、そのまま使われているわけで、今回のテーマは、まさにこのような区域で引き続き用いられている従前の「町若しくは字」とに関することです。
第四に、この法律は第六条で住居表示の(努力)義務を課していますが、言うまでもなく、「実施区域の住居表示」を対象とするものです。
裏を返せば、「住居表示実施区域外」つまり従前の「町若しくは字」が用いられている区域の表示法には、(他の法律も含めて)法律上の制約がないのだろうということです。
「町若しくは字」という言葉が使われている地方自治法第260条第1項は、普通地方公共団体の補則(第2編第14章)として定められた手続規定であり、「町若しくは字」の実体を規定したものではありません。
届出の手続面ではこの規定に従う必要がありますが、実体面では市町村がその思う通りの使い方をしてかまわない。[6666]黒髪さんの
【1】種別に関する「町」と「字」との使い分けが市町村に任されているのと同様に、表記についての使い分けにも制約がありません。
そして、「町若しくは字」の内部に階層構造があるとするのか、ないとするのかも当該市町村が思う通りで良いのでしょう。
では、「日田市中津江村」や「上越市柿崎区」は「字」なのか「町」なのか? 当該市町村がそのいずれかであると意思表示していればその通りであり、意思表示がなくて「町若しくは字」という曖昧な状態のままに置かれていても、一向に差し支えないと思われます。
今川焼さん[48758]が記されたように、大部分は「地域自治区」のようですが、おそらくその大部分は住居表示実施区域でなく、従って[41724]で紹介された住居表示に関する特例に該当する事例ではないと思われます。
相模原市内に設けられる予定の地域自治区も、住居表示実施区域ではないので、「町若しくは字」の名称として、「区」の字がつかない「津久井町(つくいちょう)」等を用いることは、むしろ自然だと思われます。
横浜線は比較的最近(と言っても20年ほど前)まで,駅間距離や駅の構造について汽車時代の名残をよく残していたようですね(当時は乗ったことがなく,まさか横浜線沿線に住むことになるとは思いもしませんでしたが)。“私鉄”(しかも軽便鉄道に近い)上がりで,やたらと駅がたくさんある相模線とは好対照です。
ところで,現在の古淵駅はかつての大野村の“官庁街”に最寄の位置にありますが,そこは横浜線が原町田駅のある境川の谷から相模原台地上に駆け上がる急勾配の途中です。汽車の時代には駅をつくることは不可能であったと思われます。坂を登りきってやや平坦になった(それでも橋本まで“1000分の5”ベースの勾配をじりじり上り続けます。並行する道路を自転車で橋本方面へ向かうと結構“来る”んですね)先,大野村北部の中心集落である淵野辺を控えた位置に淵野辺駅が設置されました。
建設当初は境川両側の“相原”をターゲットとした相原駅が次の駅となる予定であったところ,「高座郡側の相原村」,つまり橋本の住民の運動によって橋本駅が開設された,というのは地元でよく語られることです。
「大字」が消滅した地域には「町丁」が設けられ、相模原市内には地域区分としての「大字」と「町丁」とが共存しているという理解でよろしいのでしょうか?
たとえば 大字上溝 であった区域のうち,横山の段丘崖より上の“台地上段”の区域は1979年までに“一部の区域”を除いて住居表示事業が完了し,「千代田一丁目」などの「町」になりました。この区域で「大字上溝」として最後まで残ったのは,1973年の返還決定以降も国と県・市の間で利用計画の折り合いのつかなかった米軍キャンプ淵野辺跡地で,1984年にようやく「弥栄三丁目」となることで「大字上溝」が消滅しました。同時にキャンプ跡地の東半分が「高根三丁目」「由野台三丁目」となって「大字淵野辺」も消滅しています。
“台地中段”では相模線と鳩川に挟まれた市街地部分で1976年に住居表示が行われて「上溝一丁目」〜「上溝七丁目」となり,「大字上溝」から切り離されました。かくて,「上溝」では住居表示の行われた 1〜7丁目 の部分と,住居表示の行われていない 大字 の部分とが共存することとなりました。市の統計では前者の区域をまとめて「上溝丁目」,後者を「大字上溝」または「上溝番地」と表記することもあります。
この条例を改正する条例で「地域自治区津久井町」に設置することになる出張所の管轄区域についての表でも行っているように,どうも相模原市は条例で「大字名」を列挙するとき,2つめ以降は「大字」を省略する習慣であるようです。
けれども,たとえば1969年に実施された住居表示によって“新設”された「栄町」「豊町」「旭町」が「大字上鶴間」の一部から分かれたと市の広報にも掲載されているように,“正式なフォーマット”は「大字○○」というものであるようです。しかし,たとえば統計資料がそうなっているように市役所自身が「大字」を省略した表記を普通に行っています。
これらに共通するのは小さな区画で複数の丁目に分けられず,早い段階で住居表示の行われた(矢部新町を除く)区域であるということですが,ここに「番地」と表記しているのはなぜなのでしょうねえ。
ところで,たとえば「豊町」という区画名は思いのほか古い地名で,1954年の市制施行を目前に当時の相模原町が県に提出した要望書の中に町内の大字・区域別戸数の集計表が掲載されているのですが,その中に「大字上鶴間」の中の地区名として「上鶴間豊町」というものが見られます。「栄町」「旭町」なども同様。他にも「大字淵野辺」の中の「共和」,「大字上溝」の中の「弥栄荘」など,住居表示後に新設された町名も多く見られます(この資料,今日の帰路に立ち寄った橋本の図書館に置かれているのを偶然見つけました。面白そうな資料なのですが,今日のところは文字通りパラパラめくってみただけです)。
ところが,「豊町」の新設を伝える1969年の市広報に掲載された新旧対照図では,該当する区域を「字丙一号」と表記しています。行政上または帳簿上ではこちらが「正式」な地名で,「豊町」というのは“通称”だったのかも知れません。けれども,恐らくは町内会などの単位として“実体”のある地名として用いられたのは「豊町」の方だったのではないか,と思います。
このような区域名には外にも淵野辺駅南側の「榎町」というものがあるのですが,こちらは住居表示の町名とはならず,「鹿沼台一丁目」などとなっています。
もっとも、私は行政の専門家ではございませんし、深く調査したわけでもありませんので、推測に基づく一つの仮説と聴いていただければ幸いです。また事実誤認等あるかもしれません。ご指摘いただければ幸いです。
また既に多くの方がこの件につき述べられており、同感する意見も多くございましたので、過去記事と内容が重複する部分がありますが、ご容赦いただければと存じます。
1.地方自治法でいう「市町村の区域内の町若しくは字の区域」の「町若しくは字」は少なくとも国の立場から言えば、「町とされたり、字とされたりするもの」程度のものであって、市町村の区域内の特定の地域を「町」と解釈するか「字」と解釈するかは自治体の自由であり、「町」だ「字」だと分けない概念を採用するのも自治体の自由ではないか?
2.「合併特例区」や合併特例法の「地域自治区」を採用した場合に「住所」に冠するとされる「区の名称」は、住居表示未実施地域であっても、地方自治法のいう「町若しくは字」では無いのではないか?
まず「町であるか、字であるか」により法律上の効果は異ならないと思います。旧来の地名を引き継いで、それを(その時点で)体系的に整理した結果として、地方自治法の起草者は「概ね町と字(大字−字)という2つの体系に分けられそうだ」と考えたのでは無いでしょうか。だからあえて「町若しくは字」と規定したのでは、と推測します。ここに「町」と「字」を定義づけて明確に分ける必要性があったとは考えにくいと思います。町村の「町」や「村」のように地方公共団体であれば、それなりに区分しようという意思(必要性)があったと推測することはできますが、「市町村の区域内の町若しくは字の区域」は、地方公共団体でも無いのです。
また、これに関連して不動産登記法第34条が「土地の所在する市、区、郡、町、村及び字」としており、「市町村の区域内の町」が欠落しているように見える点についてもご意見が寄せられていますが、私は不動産登記法のいう「字」は、市町村の区域内の特定地域の呼称程度の意味であり、地方自治法のいう「市町村の区域内の町」も「字」に含まれるものと考えています。法務省令の「不動産登記規則」第92条には、次のような条文があります。
第九十二条 行政区画又はその名称の変更があった場合には、登記記録に記録した行政区画又はその名称について変更の登記があったものとみなす。字又はその名称に変更があったときも、同様とする。
2 登記官は、前項の場合には、速やかに、表題部に記録した行政区画若しくは字又はこれらの名称を変更しなければならない。
ここで、法務省令は「行政区画」以外のものを「字」であると想定していることが読み取れます。少なくとも法務省の考え方としては、「市町村の区域内の町若しくは字」は一括して「字」と考えているようです。
確かに不動産登記法は古くからある法律ですが、近年に全面改正されており、もしその「欠落」または「地方自治法の規定との齟齬」が国として問題になるようであれば、改正されたと思います。
所管官庁が異なり(総務省と法務省)、かつそんなに深い関わりもない法律の間であれば、国としては「町若しくは字」と「字」という齟齬があってもどうでもよいぐらいの認識なのではないでしょうか。これも「市町村の区域内の町」と「字」には、(少なくとも国レベルでは)明確な違いを設ける意思(必要性)が無いと考えていることの傍証のように思います。
まず合併特例法(旧法)において、地域自治区・合併特例区の名称を「住所」に冠するとした根拠条文を引用します。
第五条の七 合併に係る地域自治区の区域における住居表示に関する法律(昭和三十七年法律第百十九号)第二条に規定する住居を表示するには、同条に定めるもののほか、当該合併に係る地域自治区の名称を冠するものとする。(以下略)
第五条の三十七 合併特例区の区域における住居表示に関する法律第二条に規定する住居を表示するには、同条に定めるもののほか、当該合併特例区の名称を冠するものとする。(第2項略)
ここで話題の「住居表示に関する法律第二条」が出てきます。街区方式の規定まで、ちょっと長くなりますが引用します。
第二条 市街地にある住所若しくは居所又は事務所、事業所その他これらに類する施設の所在する場所(以下「住居」という。)を表示するには、都道府県、郡、市(特別区を含む。以下同じ。)、区(地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第二百五十二条の二十の区をいう。)及び町村の名称を冠するほか、次の各号のいずれかの方法によるものとする。
一 街区方式 市町村内の町又は字の名称並びに当該町又は字の区域を道路、鉄道若しくは軌道の線路その他の恒久的な施設又は河川、水路等によつて区画した場合におけるその区画された地域(以下「街区」という。)につけられる符号(以下「街区符号」という。)及び当該街区内にある建物その他の工作物につけられる住居表示のための番号(以下「住居番号」という。)を用いて表示する方法をいう。 (第2号略)
ここで、採用例が圧倒的多数の「街区方式」においては、市町村(あるいは特別区や政令指定都市の区)の次に、「市町村内の町又は字の名称」、その次に「街区符号」、「住居番号」と規定されています。
合併特例法は、「同条(住居表示法第2条)に定めるもののほか」という表現を使っています。従って少なくとも住居表示実施地域においては、「住所」に冠される地域自治区や合併特例区の名称は、「市町村内の町又は字の名称」では無いことになります。
これには、あえて「市町村内の町又は字の名称」では無いと規定する意図があったのではないかと推測しています。仮に「市町村内の町又は字の名称」(すなわち地方自治法の定める「市町村の区域内の町若しくは字の区域の名称」)であったならば、変更するためには市町村議会の議決を経る必要があります(地方自治法260条)。これについては合併特例法にも特例規定はありません。
合併特例区や合併特例法の地域自治区は、その廃止後、一般制度の地域自治区が置かれない限り、住所表記から名称は自動的に消滅することになっています。仮に合併特例区や合併特例法の地域自治区の名称を、「市町村内の町又は字の名称」としてしまうと、議決が無ければ消滅しなくなってしまいます。これを避けたかったのではと推測します。時限的に「市町村の区域内の町若しくは字の区域の名称」を変更する議決をしたものとみなす規定を置けば一見解消しそうですが、結局将来(区の廃止時)の市町村議会の議決をみなすことになり、適当ではないと思われます。
ここで、「住所の表示を事細かに規定している法律は、住居表示に関する法律しかない」というところが意味を持ってきます(地方自治法260条も、名称の変更の手続きを定めているに過ぎず、「住所」の構成要素を限定したものではありません)。住居表示未実施地域においては、住民票や登記の表示をどう書くかは、行政裁量の範囲内ということになるのです。(ここの論理展開は不動産登記法の「字」が広義であるという前述の解釈を前提にしています)
・「住所」に冠する合併特例区や地域自治区の名称は、「市町村の区域内の町若しくは字の区域の名称」ではない。
ということを立法府の意思として明らかにしておき、住居表示未実施地域については、行政がそれに追随したということではないでしょうか。
こう解釈しませんと、区の廃止時に、住居表示実施地域は自動的に区の名称が消滅し、住居表示未実施地域は議決されなければ区の名称が消滅しないという、おかしなことになると思います。
裏を返せば、「住居表示実施区域外」つまり従前の「町若しくは字」が用いられている区域の表示法には、(他の法律も含めて)法律上の制約がないのだろうということです。
もう一歩踏み込んでみましょう。「住居表示実施区域外」での住所のあらわし方は「町若くは字」を用いるだけではありません。たとえば京都市役所の所在地は次のとおりです。
この場合「河原町御池上る上本能寺前町」でひとつの「町若しくは字」とは考えないでしょう。「町若しくは字」に対応するのは「上本能寺前町」と考えるのが自然です。では「河原町御池上る」は何なのかといえば「通り名」です。
このように、「住居表示実施区域外」住所の表現には「町」でも「字」でもない別の「何か」が含まれていることだってあります。
今川焼さん[48758]が記されたように、大部分は「地域自治区」のようですが、おそらくその大部分は住居表示実施区域でなく、従って[41724]で紹介された住居表示に関する特例に該当する事例ではないと思われます。
はい。どうやら「地域自治区名」「合併特例区名」を表示してないと思われる自治体もありますね。「区」内に「住居表示実施区域」がなければ、「区名」を表示するもしないも、それぞれの自治体の判断だと考えられます。
一方、「区」内に「住居表示実施区域」があれば、それ以外においても整合性をとるために「区名」を表示するような気がするのですが、そのような実例があるのか探してみないといけませんね。
もしかするとどれでもない別の「何か」、たとえば「地域自治区」である可能性もあると、私は思うのですが、まあ結局は、
昭和61年と、いささか内容は古いですが、北海道の市町村が「町」「字」をどのように使っているか調べてみました。資料は「角川日本地名大辞典」です。判断に迷う部分もありましたが、その辺は独断と偏見で分類しました。
(8)「大字」のうち、「○○村」で終わるものがある市町村の数。「大字」の下に「字」が存在すると考えられる例「斜里町大字遠音別村字ウトロ」のほか、通称字名?では「増毛町大字別苅村字谷地町」というように村の下に町がくる例がある
この表における町名の数は、住居表示実施区域における町の名称区域の数であり、字名の数は住居表示未実施区域の字の名称区域の数である。
早い段階で住居表示の行われた区域であるということですが、ここに「番地」と表記しているのはなぜなのでしょうねえ。
住居表示に関する法律は、街区符号を用いて表示することを求めていますが、街区符号の表記は「○番」でなければならないとはしていません。早い段階では、「○番地」という「街区符号」が付けられたのでしょうか?
町・字については書き込みたいネタは、皆さんの議論が沸騰しているのでヤマほどあるのですが、もう少し整理してからにしたいと思います。
これらに共通するのは小さな区画で複数の丁目に分けられず,早い段階で住居表示の行われた(矢部新町を除く)区域であるということですが,ここに「番地」と表記しているのはなぜなのでしょうねえ。
1つ目は、市役所の出張所の業務は、単に住居表示「街区」に限定されたものでないからではないでしょうか。道路・河川等も含めたエリア全体を指定するためだと思います。
ご承知のとおり、住居表示は「街区」だけなので、道路、河川などは住居表示はなされておらず、地番のままです。
例えば、相模原市道部分であっても、最近市が個人から用地買収して拡幅したなどは、地番(相模原市○○町字△△×××番×)という地番が付いたままになっています(当然、住居表示はありません)。仮に、道路拡幅後国土調査(地籍調査)が入り、不動産登記法第14条地図(昨年改正までは17条地図)が作成されれば、14条地図上は「道」という表示になってしまいますが(国土調査後の地図では道路などは一筆ごとに表さずまとめて表示する)、不動産登記簿上はその地番のまま、「所有者相模原市」として現存します。
もっとも、「法定外公共物」(農道(里道、いわゆる「赤線」)、水路(いわゆる「青線」))は、地番が付いていません。いわゆる「無番地」の国有財産です。その一方で、従来からの里道や水路を個人が(一体利用するために)払い下げを受け、その代わりとして代替の里道や水路に相当するものを提供して施工し交換した場合、代替の部分は個人の土地を分筆して「建設省(国土交通省)」名義で残っています。これについても、国土調査で14条地図上は判明しない場合もありますが、不動産登記簿は地番つきでちゃんとあります。
つまり、住居表示が行われた街区部分に限らず、住居表示のない地番のみの部分や無番地の部分を含めて、出張所は業務をするから、ということでしょう。
#私の推測の弱いところは、この条例に無番地に関する規定がないことですが。厳密に規定する場合なら、「これらの土地に介在する公共物である市有財産を含む」のような表記があってもよいのですが。
理由の2つめは、住居表示を実施しても、地番そのものは並存しているので、今後の新たな住居表示の変更があっても、地番での設定ならば融通が利くため、あえて地番で定めたのではないでしょうか。
余談ですが、法定外公共物(「無番地」)は、文字通り地番がなく、不動産登記簿もありません。「地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律(地方分権一括法)」により、これらは平成17年3月31日までに、原則として国から市町村へ無償譲与され、現在では市町村所有の法定外公共物になっています(例外はわずかにあります)。
もう一つ余談ですが、「市道」は、すべて、所有権を「市」が取得している訳ではありません。元県道や国道が移管された部分があれば、「県」「建設省(国土交通省)」のままで登記されていますし、市道の中に上記の法定外公共物がある場合もあります(上記で今は市町村所有になっているがつい先日までは国所有であった)。合併前の市町村名義のままのこともあります。さらに、個人名義も残っています。戦前などは、地元地権者が土地を事実上提供し、所有権を移転しないまま自治体が道路施工をした例も多いらしく、登記簿上は個人のままです。じゃあ、どうなっているのか?・・・
第十八条 ・・・道路管理者・・は、路線が指定され、又は路線の認定若しくは変更が公示された場合においては、遅滞なく、道路の区域を決定して、国土交通省令で定めるところにより、これを公示し、かつ、これを表示した図面を・・道路管理者の事務所・・において一般の縦覧に供しなければならない。・・
2 道路管理者は、道路の供用を開始し、又は廃止しようとする場合においては、国土交通省令で定めるところにより、その旨を公示し、かつ、これを表示した図面を道路管理者の事務所において一般の縦覧に供しなければならない。・・・
極端に言うと、所有権が誰であれ、公示してしまえば道路は道路(市道は市道)、ということです(その分、機能管理は道路管理者がちゃんと行います)。もっとも、昔はさておき、今はちゃんと買収していますから念のため(だからこそ、土地収用法もあります)。
(8)全域あるいは一部地域に「行政区」などの名称で地名の項目が立てられている自治体。全域字無し(鷹栖町など)もあるが、ほとんどは「町」あるいは「字」が存在する。
3月20日の編入合併が行なわれた後も、「相模原市の区域内の町若しくは字」は、津久井町の11字と相模湖町の6字とが単純計算で加算された293町、32字になるだけであり、編入された17字の上に津久井町、相模湖町という「新たな階層」は生まれないと考えます。
それでは、新しい住所「相模原市津久井町青山」の中で表示されることになった「津久井町(つくいちょう)」とは何でしょうか?
京都の場合は直交座標的なラベルですが、[41724]で百折不撓さんが紹介された「住居表示に関する特例」で、地域自治区や合併特例区の名称を冠する事例もあります。
住居表示実施区域については、法律による制約があるので、ラベル付けのために特別法による特例を設けたのですが、津久井町のような住居表示実施区域外ならば、ラベルを付けるも付けないも、どんなラベルを使うかも自治体の裁量次第というわけで、便宜的に住民に親しまれた「津久井町」というラベルを選び、旧・津久井町(つくいまち)と区別できるように「つくいちょう」という読みを使うことにしたということでしょう。
ラベルを使う範囲及び名称が地域自治区のそれと一致するとしても、それは地域的なまとまりが同じだからそうなっただけで、地域自治区が作られるから津久井町を冠するという因果関係は存在しないと思います。
法律上の因果関係の有無はともかくとして、現実には「通達行政」によって、因果関係が作られているということのようです。
[48709] のタイトルとの整合性もその理由ですが、合併によって津久井が相模原“市”の管内になっても、地形が変って相模“原”になるわけではない、というこだわりが主な動機です。
と記しましたが、この意図は「わざわざ法改正を経なくても、行政府(国の省庁)の裁量で処置できる」という意味合いでございました。市町村が独自の判断で処置できるという意味ではございません。
皆様がご指摘の通り、この扱いの法的根拠は、住居表示実施区域については、「住居表示に関する法律」第2条になります。
それでは「住居表示未実施区域については、市町村(または市町村議会)の自由裁量なのか」という点ですが、実態としては、そのような運用にはなっておりません。
市町村が「住所」を特定するのは、住民基本台帳への記載によることになります。この住民基本台帳の記載法を定めた「住民基本台帳事務処理要領」(国から都道府県に対する通知)は、04年10月19日の総務省自治行政局長通知により改正され、上記の2と3の名称を住民票に記載する「住所」に加えることを定めています(通知内容引用・・・PDFです)。
その結果、国(総務省)の通知に従うならば、各市町村は住居表示未実施区域であっても、住民票の住所に「合併特例法による地域自治区」と「合併特例区」の名称を記載することになりました。
もっとも、地域自治区や合併特例区の名称に「区」を使わなければならない決まりは無いので、例えばせたな町の合併特例区は「大成区」・「瀬棚区」・「北檜山区」としましたが、同日に合併した士別市の合併特例区(旧朝日町の区域のみ設置)は名称を「朝日町」としました。朝日総合支所の住所「北海道士別市朝日町中央4040番地」は、「朝日町」が合併特例区の名称、「中央」が「町若しくは字の区域の名称」ということになります。
(2) 現朝日町の区域内の字の区域は現行のとおりとし、名称については現在の名称から「字」の字句を削除したものとする。
(3) 現朝日町の区域における住居表示については、市町村の合併の特例に関する法律第5条の37の規定に基づき、新市の名称「士別市」の後に合併特例区の名称を冠するものとする。
相模原市津久井町の「津久井町」、上越市柿崎区の「柿崎区」はいずれも「合併特例法に基づく地域自治区」の名称です。
このような総務省の通知があるものですから、05年10月1日の横手市の合併に際して、当初8市町村すべてに「合併特例法による地域自治区」を設置することで協議がまとまった後になって、横手市が合併前の「横手市横手町」について「横手市横手区横手町」や「横手市横手横手町」になるのは煩雑だとして、横手市だけが「一般制度の地域自治区」を選択することに変更した、というような事態が起こります。(横手市横手町は住居表示未実施地域です)
もっとも、住居表示実施区域については、法律通りの住所の表示法を使用することが民間にも努力義務として課されています(住居表示に関する法律第6条)が、住居表示未実施区域にはそのような法的な拘束は無いと思いますので、その点は異なるのかもしれません。
[48775]・[48804]拙稿にて申し述べましたのは、あくまで「法律なり行政なりの扱いとして、こういうことなのではないか」ということでして、地名についての「博物学的なアプローチ」としての分類論を否定・修正するものではございません。
たとえば、気仙沼市と唐桑町の合併協議において、旧唐桑町域には合併特例法に基づく地域自治区を設置することが決まっており、地域自治区の名称は「唐桑町」に決まっています。
(1)地域自治区における住居表示については、市町村の合併の特例に関する法律第5条の7の規定により、地域自治区の名称を冠することとなるので、合併前の「唐桑町」については、字名の前に「唐桑町」を冠する。
(2)地域自治区設置期間終了後の町名、字名の取扱いについては、唐桑町については、字名の前に「唐桑町(からくわちょう)」を付する。
合併協議でこのように決めた趣旨は「唐桑町」をこの地域を指す地名として永続させるということでしょうし、地域自治区の廃止により行政の扱いが変わっても、一般社会の意識として何かが変わるわけではありません。
士別市朝日町の「朝日町」と横手市横手町の「横手町」についても、博物学的なアプローチとしての「地名の分類」として異なる扱いをするかは、議論の分かれるところだと思います。
このような意味での「地名の分類」に正解があるのかは難しいところですが、議論としては非常に興味深いものだと思っております。
鷹栖町・東川町・新篠津村などほとんどの町村は「線号」の区画には「字」がないと考えられ、「行政区」などを設定しています。
この他、成立時点以降に変化があり、現在とは異なる状態だった自治体もあります。小樽市は当初「町」のみだったのが、合併などで「大字」「字(大字無し)」ができ、その後それらを廃止し「町」のみとなっています。(函館市、帯広市なども合併などで変化があった。)
[48818] の続き。この機会に北海道の地名をいろいろ見てみましたが、最後に本題と言うか、実はこれが書きたかったので書いちゃいます。
これ、奈井江町の字名なんですが、最初は「字美唄」と「字茶志内」のことか?と思ったのですが、一続きで字名(びばいおよびちゃしない)でした。接続詞のついた字名というわけで、珍しいのでは。奈井江町には「字茶志内」もありました。さらには「字茶志内美唄」も、こちらは「及」はついてません。地名というものは奥が深い。(「字美唄及茶志内」は美唄市にもあるとのこと。)
もう1つ。標茶町に「字標茶開運橋向」という地名があるんですが、もとは「字開運橋向」。架け替えで橋の名が「開運橋」から「標茶開運橋」になったために、字名も改称したとのこと。
なお、不動産登記法等関係法令は、平成17年3月7日施行で全部改正されましたが、基本的に改正前の条文に対する資料です(参考までに、改正後の法令も付け加えています)。
行政区画又ハソノ其名称ノ変更アリタルトキハ登記簿ニ記載シタル行政区画又ハ其名称ハ当然之ヲ変更シタルモノト看做ス字又ハ其名称ノ変更アリタルトキ亦同シ
行政区画とは、府、県、市、町、村のように、行政機関がその権限を及ぼすことができる行政上の単位である一定範囲の地域をいい、字とは、大字、小字をいい、行政区画に存在する一定範囲の地域をいう。
地番区域とは、土地について地番を起番する場合の基準とすべき区域であって、市、区、町、村、字などの行政区域を基準とすることとされている。
「これに順ずる地域」とは、例えば、甲市乙町1丁目という場合の「乙町1丁目」のような、「大字」又は「字」の付されない地番区域がその例と考えられている。具体的に、どの地域をもって地番区域とするかは、その区域に含まれることとなる土地の筆数等を考慮して定めるべきであろうが、現実的には、大字をもって地番区域としている例が多いようである。
登記所は、法務省令で定めるところにより、地番を付すべき区域・・(引用者中略)・・を定め、1筆の土地ごとに地番を付さなければならない。
であり、行政区画内を小分けする言葉として、すべて「字」という言葉で総括しています。不動産登記法やその関連法令の条文中の「町」は、市町村の「町」です。これは、地方自治法第260条の定義とは異なっています。
1954年8月30日に「市」とする案件を全会一致で可決した町議会の議事録が掲載されていますから,当然にこの日以降,「相模原市」となった同年11月20日以前であるはずですが,9月上旬辺りでしょうかね。あ,新聞記事にでも当たればよいわけか。
それはともかく,この申請書に「附表」として添付された諸統計資料の中に「戸数調」として1953年5月1日現在の地区別,ここでは「大字」を分けた「区分」という単位で戸数と男女別人口,1戸あたりの人数が掲載されています。
【淵野辺】 淵野辺榎町,淵野辺栄町,淵野辺幸町,淵野辺東町,淵野辺旭町,淵野辺山王,淵野辺中淵,淵野辺共和,淵野辺嶽の内,淵野辺相生町,淵野辺湯元町,淵野辺宝来町
【新戸】 新戸河原,新戸西,新戸陣屋小路,新戸東,新戸中央,新戸上新,新戸荒井耕地,新戸新道,新戸相武台下,新戸山谷,相武台前一般,相武台前住宅,病院前向出口一区,病院前向出口二区,病院前向出口三区,病院前向出口四区
この表はタイプライターで作成されたもののようで,「翠」や「虹」「芹」などは活字がなかったのか手書き文字で書かれています。「星ケ丘」などの「ケ」も大きな,つまり通常のカタカナの「ケ」であるようですが,大小の区別があるというよりは,活字セットに“カタカナの「ケ」”しかなかったものと思われます。附表の後半には手書きのガリ版刷りの表が掲載されていますが,町の支所を列挙した表の中には「大ノ北」「大ノ中」「大ノ南」(“ノ”はごく小さく表記され,ほとんど見えない)という表記さえ見えます。「正しく」は「大野北」「大野中」「大野南」。外にもガリ切り特有の略字を使いまくり。当然ではありますが。
この申請書は恐らく「公文書」に違いないと思いますが,そこでこのような表記は「誤り」では決してないのでしょう。この当時の表記上の約束では,漢字の舊字體と新字体の違いとか,「ケ」の大小の区別とかは,意味のない議論であるように思われます。このあたりの感覚は現代の私たちとは違いそうだし,役所自身が厳密に区別するようになったのはごく最近のことではないかと思います。
(念のため,「ケ」の大小の区別をいま調査することが無意味だとは言いません。各自治体の回答は私も楽しみに見ています。)
この「区分」,“小字”に対応するものもあるようですが,それとは別に編成されているようです。「橋本工機部」とか「小山学校寮」とかいうのは 字名 ではないでしょうね。上鶴間 の「相病」や 新戸 の「病院前」は,両大字の境界上に開設された国立相模原病院(旧臨時東京陸軍第三病院)による“区分名”です。小山 の「小原町」は,ここに進出した 小原光学(現オハラ) による呼称であるようです。
これらの“区分名”の中には住居表示による新町名となったものや,バス停や自治会名などに残されているものもありますが,今のどこなのか私にはわからないものも多くあります。一応,町域最西北端の「相原森下」から 北西→南東 方向の順で並んでいるようなので,ゆっくり探してみましょう。
現在に生きている町名としては 清兵ヱ新田(これも「正しく」は 清兵“衛”新田) で「清新」という呼称がすでに使用されているあたりも興味深いものがあります。
これは大ウソでした。やっぱり,「パラパラとめくる」のではなくて,きちんと資料を読まなければいかんなあ。

 

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