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静岡銀行とは?/ アットローン

[ 555] エコ静岡銀行
[引用サイト]  http://www.takeuchikeizai.jp/sonotaron/sizuginn.htm

つぎに不良資産の状態について、貸付け総債権額に占める不良債権の比率(ここでは不良債権に関する数値はすべて金融再生法ベース)でみると、全国銀行平均の8,6%に対し、静銀は4,8%である。その上、不良債権に対する保全率(引当金・担保などによるカバー率)が高い。危険債権に対する保全率は、全国銀行平均が約70%であるが静銀は90%だ。要管理債権への保全率は全国銀行平均の16%に対し、静銀は実に75%に達している。静銀の場合、すべての不良資産が回収不能になったとしても、担保や引当金でカバーされていない不良資産は300億円以下であるから、中核自己資本5000億円に較べると、それは些細な金額であり、経営はビクともしない。
現在、銀行の不良債権問題における中心的課題は危険債権と要管理債権の処理であり、政府は今後2年間でそれぞれ半分ずつに減らそうとしている。全銀行の危険債権と要管理債権のなかで、担保や引当金などによってカバーされてない金額は16兆円に達する。しかし、全銀行のTier1資本の総額は16兆円で、そのうち中核資本は6兆円にすぎないため、、自己資本不足に陥る銀行が多いと見られる。
不良資産処理の過程で景気が悪化して、企業倒産の拡大、不良資産の増加、株式の含み損の膨張といった要因から、銀行の自己資本はさらに減少し、生存が危くなる銀行が増えるだろう。大手銀行は外資などに高金利の優先株を引き受けさせたり、合併差益を利用したりして、自己資本不足の危機を乗り切ろうとしているが、大規模な公的資金の投入が避けられないかもしれない。静銀はこういう金融危機を安全な場所から高見の見物を決め込むことができる。
静銀の本店を訪ねると、これが日本で最良の銀行かと不思議に思える程質素だ。本店のドアーを押すと、受付に守衛さんが一人で腰掛けており、その前の壁には普通の事務用の椅子が五脚置いてあるだけであり、訪問相手先にはその守衛さんが連絡してくれる。役員室も質素だ。
静銀は、地元では「シブ銀」と呼ばれている。まず経費節約が徹底している。1970年代には、ボールペンは芯だけを交換し、コピー用紙の追加には管理職の判が必要だった。現在でも用紙は両面を使い、トイレの電気は消えている。会長や頭取が上京する時は、新幹線の普通車を利用する。会長といえども勤務時間を守り、午後5時を過ぎてから駅前の理髪店にいく。
先日、静銀を訪ねたとき、「今月の水と電気の節約目標は達成したが、紙はまだ目標に達していない。用紙は両面を使い、縮小コピーにしょう。」という行内放送が流れていた。静銀はISO・14000の認証をとり、環境への負荷を軽くするという目標を追うと同時にコスト削減を目指している。
一方大手銀行は、働きやすい環境をつくって、能率の向上を目指すべきだと考えた。平行員はボールペンやコピー用紙を自由に使い、トイレの電気は付けっぱなしであり、勤務中に行内の理髪室に行った。役員は疲労が蓄積されると能率が下がるという理由で、近い距離でも新幹線のグリーン車に乗った。頭取や会長の出張には秘書が同行した。
長銀で役員になると、航空機はファーストクラスに乗る事ができた出来た。80年頃ニューヨークの空港で、旧制静高で7年も先輩だった静銀の鈴木専務(当時)がビジネスクラスから降りてくるのに出会ったことがある。ファーストクラスから出てきた私は赤面し、挨拶もそこそこに逃げ出した。長銀が倒産し、大手銀行が倒産寸前の状態にあるのに対して、静銀が栄えているのは、経営の精神がまるで違うのである。
シブ銀の面目躍如たるのは、バブル経済期における融資姿勢だった。80年代の後半に金融が自由化された上に、円高不況の対策として金融大緩和政策が実施されので、バブル経済が発生した。大企業や中堅企業は社債・CP、株式の発行等によって直接に証券市場から資金を調達するようになった。都市銀行や長信銀は主要な融資先企業を失い、膨大な余資を抱えた。その余資は大企業への超低金利融資や、不動産業・建設業・ノンバンクなどバブル産業への融資に投入された。大手銀行は横並びで激しい融資競争を展開したので、バブル経済が加速された。
驚くことに、静銀はこの時期に大企業融資を抑制していた。金利競争が激しいので採算に乗らないからだ。また首都圏の不動産業やノンバンクから融資を引き上げた。静銀は首都圏の不動産には土地勘がない上に、一件当たりの融資金額が大きい。ノンバンクは首都圏やリゾート地の不動産開発に融資しているから、経営リスクが大きく、収益力が低い。いずれも危険な融資だ、と考えてからだ。。
静銀はもともと不動産業に対する融資をひどく嫌っていた。それは不動産がどのように利用されるか判らないので、融資リスクの計算ができない、その上不動産価格は大きく変動するからだ。不動産業者に対する融資を避けるという考え方は、3代目の頭取平野繁太郎から来ている。彼は1891年に生まれ、1949年から70年まで頭取を勤めた。2代目頭取の中山均(後に日銀政策委員)とともに、静銀の基礎を築いた人だ。
平野は昭和の金融恐慌を銀行員として体験した。その時不動産価格が暴落し、不動産担保金融が無意味であることを思い知らされた。昭和初期の日銀は、この経験から不動産担保の掛け率を20%以下にするよう指導した。バブルの時には、大銀行は不動産担保の掛け率を120%ぐらいにして融資した。平野からみれば、それは銀行として許せない行動だろう。
平野は融資に厳しく、しばしば「金がない人には金を貸すな。貸さないことが親切だ」と言っていた。少なくても必要資金の50%を自己資金で調達できない企業に融資するなというわけだ。平野は90歳を過ぎても、系列シンクタンクである静岡経済研究所の相談役として、元気に浜松から新幹線通勤していた。静銀は彼の目が黒いうちは勿論、その後も不動産融資にのめり込むことはなかった。
首都圏から融資を引き上げると、巨額な債務者預金が減るから、銀行の活動は縮小してしまう。その上に県内でも不動産やノンバンクの融資を避け、かつ自由化後の激しい競争の中で生き抜いていけるかどうか、静銀の首脳部は誰も自信が持てなかった。議論を重ねても結論が出ない。当時の酒井頭取の孤独な決断によって融資引き上げが決まった。
幸い、県内には機械工業、食料、化粧品、薬品、紙、木工等多様な産業があり、特に機械工業は自動車・2輪車・楽器等の部品メーカーを始めとして、専門分野では世界最高の技術水準をもった中小・中堅企業が数多くあった。健全経営の企業が多く、流通、輸送、建設、温泉ホテルなどの産業では、土地投機に走った企業が少なかった。つまり、県内には静銀好みの中小・中堅企業が多かった。それらの企業は信用力が不足しているので社債やCPを発行できない。そのため銀行融資に依存せざるをえなかった。酒井は審査力を磨き、汗をかいて預金を集めれば、成長できるはずだと考えた。
バブル崩壊後には、長期の景気低迷が続き、倒産の危機しそうな企業が多くなった。この時期、優良な銀行は収益率を高めろことができる。銀行は経営不振の企業でも、回復可能であれば救済資金を投入する。金利は融資リスクの応じて決められるから、経営不振の企業に対する救済資金は高金利になる。また多くの銀行は自己資本比率を高めるために、中小企業から貸し剥がしを行っていた。経営不振の企業は貸し手が少ないので、かなり高い金利でも借りるはずだ。優れた審査力によって回復可能な企業を見抜くことができ、かつ自己資本が充実している銀行にとっては、金融危機は儲け時だ。経営が安定しているので、フィービジネスも拡大できる。
静銀の収益率は高く、02年度の実績を見ると、総資産経常利益率は1,5%であって、欧米の代表的な銀行に劣らない。また中核自己資本比率は国際水準を抜いている。ムーディーズなどの格付け機関のレーティングが高いのは当然だ。
静岡銀行は昭和18(1943)年に静岡三十五銀行と遠州銀行が合併して設立された。静岡県の工業の中心は遠州で、ここからトヨタ、ススキ、ヤマハ、ホンダ、河合楽器を始めとする世界的企業が続々生まれた。最近では浜松ホトニックスが、小柴昌俊・東大名誉教授のノーベル賞受賞を支えた企業として注目されている。浜松周辺には、ベンチャー企業に出資するエンジェルや、市場開拓に協力したり、必要な専門家を紹介したりするベンチャー・キャピタルとしての機能をもつ資産家、起業家、信用組合等が多数存在し、企業の成長を助けた。
また二宮尊徳の報徳思想の影響を受け、節約と勤勉の精神が浸透していた。節約して資金を貯め、知人や資産家から出資を仰いで企業を起こし、企業の拡大資金を金融機関に依存するという風土ができあがっていた。遠州銀行はこういう風土から生まれた産業金融の銀行であり、中山均・平野繁太郎の両氏はいずれも遠州銀行出身だった。
静岡三十五銀行が立地していた静岡市周辺は木工製品、茶、流通等の企業が多く、問屋の支配や業界規制のもとで、リスクを避け安定的な経営を行っていた。ダイナミックな経営の遠州銀行の伝統と、慎重な経営を好む三十五銀行の伝統が、うまく静銀に引き継がれたといえる。
今から20年〜30年ぐらい前、私は頻繁に韓国へ出張した。しばしば日本経済が発展した理由を聞かれたので、「日本では、社長の家も本社建物もぼろぼろであるが、工場の中には、ぴかぴかに磨かれた最新鋭の機械設備がずらっと並んでいる。これに対して、韓国では社長の家も本社も立派であるが、工場は古い機械ばかりで、整理整頓されてない。それが経済力の差に表れている」と答えていた。この20年の間、静銀はかっての日本の企業のままだったが、多くの日本の大銀行はかっての韓国の企業のように変わり、東京に本社がある企業の多くも、大銀行と同じように節約の心を失い、規律を欠き、倒産の危機に追い込まれている。
静岡では静銀だけが渋いわけではない。スズキやヤマハのような世界的企業でも、本社はまるで中小企業のように質素だ。役員はタクシーと新幹線の自由席で移動する。私と同じ小学校で級生だった清水銀行の会長の杉山公一さんは「清水銀行は静銀よりもっと渋い。私は東京へグリー車で行ったことがない。トップがそんなことをすれば、職員に示しがつかない。」という。そういえば、こだまのグリー車には東京の大企業や外資系企業の幹部、代議士、タレントしかいない。

 

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