そりゃとは?/ アイフル
[ 405] ■Tant Pis!Tant Mieux!そりゃよござんした。■
[引用サイト] http://malicieuse.exblog.jp/
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この試合、王国 対決でございます。しかも「新教国」対「旧教国」の対決であります。私は現在、地上波の民放局M6 エムシスで生中継観戦中で、解説者は懐かしのルブフ Franck Leboeuf だったりしますが、画面から「アングロサクソンの魂がぁあああっっ」など爆笑なキーワードが飛び交って、試合を一層面白くさせています。21世紀にもかかわらず、無敵艦隊が一点先制して、まもなくバイキングが一点取り返す。・・・面白すぎ。 なんと美しい正統派のシュート!今や滅多に見なくなった十字を切ってのグラウンド入りを続けているからこそ、天はスペインを見離さなかったのだ。降臨、再び! イタリアもフランスも勝ちたいなら十字切んなさいよ。 (-。-) ボソッ それにしても、このロシアのロゴこそ時代錯誤っつぅか、鷲が左足に持っているタマコロは「真の王権」の証ではあるまいか?ちびイエズスさまが持つタマコロが有名だったりしますが。 なんというか、この黒が基調のロシアのロゴは不気味なほどの強さというか、ろまのふというか、かーげーべーというか、近代民主化がそこにあるの?とつぶやきたくなるほどの威圧感を醸し出す雰囲気を漂わせておりますね。映画のロッキーだったか、うっすら開いた口からギンギラギンの歯が見えたファイターはソヴィエトびとだったっけ?なぜかこのロゴからあの見下した視線と不気味な笑顔を思い出してしまいました。 一方、フランスのゴールキーパー、グレゴリィ・クペはサイドからのボールの飛び込みに弱すぎです。グレゴリィはお鼻を中心にきゅっとまとまった顔立ちの美男子だからでしょうか(仏蘭西びと♂にしてはかなりのハンドサムだと思います)。こんにち、オランダが獲得した4点のうち3点は究極サイドからのシュートです。画面からは隙をつかれているように見えました。 13日の金曜日18時手前に始まったイタリアvsルーマニアの試合結果は1対1のマッチ・ニュル match nul、引き分けでしたけれど、こちらはひとえにイタリアのゴールキーパー、 ビュフォン Gianluigi Buffon さまがいらしたから、マッチ・ニュルで済んだって感じぃ。どうもイタリア・ナショナルチームの覇気が今ひとつですが、いつ見ても美しいから、ま、いいや。 この私のイタリアチームへの気持は、美味しいニュッテラがあれば「それでいい」のと同じのようなもの(わけわからん?わかりますよね、この気持。)美味しいパンは「勝利」に値。 そんな水無月の日曜日の午後、お日さまが顔を出したこともありまして、何もすることができない日曜日のおフランス、人々は誰からともなく散歩を提案するものでございます。車に相乗りして、郊外へぴゅーんと出、牛臭い脇道に路上駐車。こんにちは、シャロレちゃんズ。 秘密の花園にいざなわれそうな、ここを歩いていったら果たしてこの世に戻ってこれるのかと不安になるような小道ですが、こういう道を歩くのが好きな仏蘭西びとはゴロゴロいます。しばらくシュマーンを歩いていたら、 日本語に訳すと「聖別されたパンの小道」です。べに BENI というのは動詞のbenir の変形で、日本語に訳すと「(ヒトのために)神の加護を祈る、祝福する」という意味になりますが、この動詞ばっかりは今のフランスでも聖職者のみの動作に当てはめられる単語かなあ、と思います。たとえ神聖皇帝であってもサルコぢにはあてはまらないというか、マスコミがサルコぢの動作としてbenir を用いると多分にイ ヤ ミ 僕のかわいいミヨちゃんも居なければ、西日を浴びて「明日考えましょう」と決意するスカーレットの影さえ見つけられませんでしたが、果てしない麦畑とその先に教会の尖塔。 日曜日だから農夫も農婦もおりませんが、この麦畑にもアンジェラスの鐘も晩鐘の音も届きます。装束変われど、ミレーの世界を思い起こさせる風景に出会えたのでした。 イッターリアとフランスの勝利を願いたいところが、アントーニオさまは確か兵士となることを希望したのに、船酔いして、ポルトガルの実家に戻ったお坊ちゃんだったような記憶があるぞよ。それでも、勝利を〜っ!そこんとこ、およろしくですよ、あんとわーぬ。 ココんちではなぜEuro 2008にトルコが出場しているにもかかわらずイングランドが出場していないのか不思議だな、と話題になったりもしますが、トルコがイングランドより強いから2008年度欧州蹴球選手権に出場しているのでありましょう。 闘魂込めてヲッチしてはおりませんでしたが、我が観戦感想は「優等生な決勝進出」とでも申しましょうか。試合開始直後、中盤、最後の最後に満遍なくシュートを決め、自らの力の配分の巧さなど、夢見るサッカー少年たちに見せられる模範試合だったかも・・・なんて思いました。なんかスコラーリ監督の下、成長し続けているポルトガルチームのように見えるし、まだチームが成熟しきっていないとしたら行く末がソラ恐ろしい強さどすえ。4ヶ月とはいえ、日本にいらしたのよね、フェリポン。明日は、なんとっ、13日の金曜日。 今度の金曜日、おフランスはオランダと、イタリアはルーマニアと対戦です。もうどーでもいいけど、解説者がヴぇんげるさまだから観てあげようかと思っています。17日はCグループの予選最終戦でフランスvsイタリアです。なんだかなー。もしフランス・コケコッコーズが決勝リーグに残ったらミラークルということで。 |
[ 406] そりゃおかしいゼ
[引用サイト] http://okaiken.blog.ocn.ne.jp/
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3分の1まで喫煙者が減るとは思えない。仮に減るとしても、3分の1になるまでは相当の年月 がかかると思われる。税収増は極めて現実的な提案である。 「喫煙者にとって大きな打撃になる」とコメントが、各紙に見られるが、それは大間違いである。喫煙による被害の方が、よほど打撃が大きい。その健康被害を本人が拒否しているだけである。議員連盟も、禁煙を前面に出している。 健康被害による、医療費も見えないところで減少する。喫煙者も本数を減らすかもしれないし、健康にも悪くはない。誰も打撃を受けることなどない。 一箱1000円は何も突飛なことでなどでない。いきなり3倍の増税などもってのほかとする意見もあるようだが、消費税など0からロクな論議なしにいきなり3%に設定された。数学的には無限大倍である。 喫煙者のマナーの悪さも目につく。以前新幹線の喫煙車両を通って、非喫煙車両に行ったことがあったが、喫煙車両の人間は一様にマナーば悪く、通路に物を置いたり服装の乱れや大声で話すなど、不愉快な思いをしたことがある。喫煙車両だけ特異な世界だった。 JTなどのタバコ関連業者が反対するのも解らなくもないが、いずれこうした時代は必ず訪れる。それを見越した営業方針を早期に行うべきである。 喫煙でポーズを決めていた時代は過去のものである。習慣性が高く、たばこの害が科学的に立証されてきている現代で、なお喫煙することで周辺への人たちに害を与えることも考慮するべきである。喫煙は、ある種犯罪行為である。 今回の秋葉原の通り魔事件を、いち早くほとんどリアルタイムで報道したメディアは、NHKでもなければTBSでないようである。アメリカのCNNテレビが驚きをもって報道していたらしい。 銃規制の厳しい日本で、アメリカ以上の無差別殺人事件があったと報道している。 日本のメディアは、日曜日の馬鹿げたタレントのバラエティー番組が満載の時間である。誰もやらせの視聴率を稼げる番組を打ち切らなかったようである。CNNが報道専門の番組であることを、差し引いてもなんだか釈然としない。 その後の報道も、殺害された人たちへの同情や、犯人のその日の異常な行動と携帯ブログの公開などばかりである。 この男のブログを見ると、絶望的な境遇の「派遣社員」という身分を、やはり「敗者」と位置付けている。かつては、このような境遇の社会の底辺に位置する人たちを、無産者階級(プロレ タリアート)と呼び、労働者として団結して雇用者や社会に立ち向かう戦いがあった。 勝てなくても、何らかのはけ口があったのである。少なくとも、労働改善や僅かな賃金アップなどは勝ちえたものである。 今や労組の組織率は20%少々らしい。食料の自給率に連動しているわけではないが、この二つのデータは何故かしら、類似の動きを見せている。食料問題にも見られるように、その20%の中身も心もとない。 一部ではあるが、この男のブログを見ると、叫びをあげているのが分かるが、解決の方法を持たなかったのである。あるいは、小林多喜二の時代のように頑強な体制への反発力も今の若者にはない。 彼らには、正当な理由もなく解雇されることや、合意ない労働時間の延長も労働基準法に違反することをほとんど知らされていない。知っていたとしても、組織化されない個人では何の手だてもない。 非正規雇用者たちが、この国の企業を支えている。非正規雇用者たちが、バブル以降の不況時代から企業の収益を回復させた。むろん彼らには賞賛の言葉もなければ、対価に見合う賃金も支払われることもなかった。 この種の事件は、小泉・竹中による新自由主義を理念に描く連中の、競争原理を最大の原理とする新自由主義にもとづく「カイカク」が生み出した産物である。 秋葉原で通り魔事件があった。今までにない被害者の悲惨な事件である。全く罪もない人たちを、ただ社会の不満からの犯行に及ぶ行為は許せない。 どうも最近この種の、誰でもいいから殺したかったというような事件が多すぎる。キレやす い若者たちが大量に出現しするのは、ファーストフード化した食事情も無関係ではないと思うが、それでだけでないように思える。 福田首相は、原因の徹底究明を記者会見で発言している。官房長官にいたっては、ナイフの規制をやらねばないなどと言っている。 最近この種の事件が起きると、その多くが派遣社員かフリ−ターか自称何とかや無職ばかりである。今回のこの男も、自分の携帯ブログに会社での不満などを書きまくっていた、派遣社員である。 自らの不満の解消方法も場所もない、社会的弱者の悲鳴のように思える。競争原理一辺倒が生んだ、格差社会に排泄された人間の事件である。 大手電機会社にいた友人が、本社から外れ数年札幌支社に転勤になった。勤務を終えて 、本社に帰ってみるとワンフロアーに数人しかいなかった「派遣社員」が、半数を占めていた。10年前のことである。今ではさらに増えて7割にもなるらしい。 派遣社員は、昇給も昇進もなく労働者としての権利も行使できない立場にある。彼のところでは、派遣社員は年齢や経験に関係なく、全員が同じ給料であった。給与は友人の三分の一程度であった。 派遣社員は、一年で全く異なる会社に移される。労働者の権利を削ぐためである。50才を過ぎても、昇給がなく仕事の熟度が上がらない。それでも仕事がればいいと、しがみついているだけである。 特定の技術者たちに制限されていた派遣社員の雇用を、ほぼ全面的にあらゆる業種に開放した。その一方で、企業の税金は見事に減らし、規模が大きいほど減税の幅は大きく設定された。 所得税も、年収200万円以下を大きく増税し、1200万円以上を減税させた。大きくなると恩典があるような政策は、競争原理を煽る新自由主義の基本理念である。 こうして、日本は不況から脱したと、財界から評価されるかもしれないが、低所得層を大量に輩出することで企業の収益を上げただけである。企業さえよければ、景気を測るあらゆる指数が高くなるのである。小泉・竹中改革路線の思惑通りである。 今回の事件の原因を、ナイフの長さに閉じ込めようとする為政者の思惑を見抜かなければならない。出口をなくした格差社会の底辺層の、呻き声ととらえなければならない。 日本が大量の食糧を輸入し始めたのは、終戦後の飢餓に乗じたアメリカの小麦の売り込みであった。緊急輸入された人道的な支援が終わったとたん、アメリカが余剰小麦を大量に日本に売り込みはじめた。 アメリカ穀物協会の当時の担当者は、その時を振り返り思った以上に日本が購入したことを驚いていた。片方では、「米を食べると頭が悪くなる」あるいは「脚気になる」と、小麦食の大々的キャンペーンを行った。 全国にキッチンカーを走らせ、とりわけ地方での食糧改良の普及を行った。当時協力した日本の、俄か仕立てのエセ「栄養学者」たちは、料理法に始まり栄養分析を書きまくっていた。 日本人はこうして、60年代をピークに米を食べることを次第に放棄していった。さらに、第2弾として、穀物協会が行って大成功したのが、家畜へ給与するシステムの普及である。 家畜は、本来人が食べられないものを食べて畜産物を生産するのである。家畜に穀物を給与させて、卵や牛乳さらに、鶏肉、豚肉、牛肉を生産させたのである。これは、人の小麦食への転換以上に成功した。 片方では、「物価の優等生」と呼ばれる卵は、雛を供給する特定の養鶏場から間断なく送ら れ、数度のワクチンを接種し、極めて限られた檻の空間で、大量の穀物を給与されて卵を産み続ける。わずかに生産性が落ちても、廃鶏として処分される。 ここでも、アメリカの穀物を普及させるために、多くのエセ「栄養学者」が、家畜への給与法の情報を大量に垂れ流した。その栄養学者たちが、牛に普及させたものにBSEの原因となった肉骨粉がある。 豚も牛も基本的には鶏と同じである。供給側の問題だけではなく、消費者には裕福感を与えさせることで畜産品は普及してきた。 日本の食糧事情が大幅に変ったのは、「キンダイカ」と称してアメリカ穀物を消費する形態を追い続けたことにある。アメリカ穀物協会の戦略的大成功が、日本の食料自給率を下げている最も大きな原因である。 衆参両院は6日の本会議で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」をそれぞれ全会一致で可決した。日本は国家として初めて、先住民族の存在を認めたことになる。 これは、国連が昨年9月の総会で「先住民族の権利に関する宣言」を採択を受けて、超党派の 議員で作る「アイヌ民族の権利や地位向上を協議する議員の会」が、根気良く根回しした結果である。 決議は、早急に突対策として、�.▲ぅ面餌欧慮生譟⊇ゞ気篳顕修瞭伴�性を有する先住民族として認める。�⇒�識者の意見を聞きながら、アイヌ政策を推進し、総合的な施策に確立に取り組む−−としている。 我々は、日本は単一国家であると教えられて育った。北海道に来て、アイヌ民族の存在を知り、歴史を知り愕然としたものである。アイヌ人から、名前や言葉など伝統文化を奪い、生命や財産や土地を奪った経緯は、何一つ教えられることはなかった。 松浦武四郎が、同化政策以前のアイヌの扱いを記述している。「成人すると(14歳ほどか)男子は飯場に売られ、女子は性の奴隷として扱われ、病気や怪我をすると居小屋に放置されて治療を受けることはなく、仲間同士で支えあうだけだった」と。 和人が行った不正義あるいは侵略行為は、これからは公の場で扱われることになるだろう。とりわけ、歴史的事実は教科書を通じて次世代に伝えられる意義は、決して小さくはない。 ほんの数年前まで「旧土人保護法」なる法律で、同化政策を行ってきた成果は極めて現実的である。彼らの多くは、アイヌ人としての誇りや自立心を削がれ、特に若者はそれほど強くは持っていない。 これからもアイヌの人たちの生き方は、大きく変わることはないと思われるが、先住民族として位置付けたことは高く評価されるべきと考える。 食料を真剣に考えている国家は、おおむね後進国である。実質世界最大の、食糧輸入国の日本のように、他国に食料を依存している国ではない。後進国は、人口の増加と穀物の世界的な高騰を、直撃されているからである。 その食糧サミットで、バイオ燃料に対する明確な態度を表示できなかった。超大国アメリカが、異論を唱えている以上、食料を燃料にすることへの警告は示すことができなかったのである。 古い中国の言い伝えである。ある国民のことを考えない為政者が、民が飢えていても一向に気 にしせず、かわいがっている馬にせっせと穀物とを与えていた。この為政者の馬鹿な行為は「駄」とい文字に残されている。 今、先進国の家畜たちは高生産を強要され、大量の穀物を与えられて、肥満と闘っている。日本は、おおむね2000万トンの穀物を家畜のために輸入している。非関税である。 先進国の家畜たちが、大量の穀物を消費することが、穀物の世界価格を高位安定させるだけでなく、モラルとしても問われる時代が近い。 カロリーを落とし大きなロスが生じてでも、穀物は家畜を通すことで畜産物を生産している。ところが、これをバイオ燃料に変えて間接的にでも、車に食べさせるのはそれ以下の行為である。 バイオ燃料が、環境にやさしいからとする、一面性から語られるべきではない。家畜には、人が食べることができないものや、残さを与えて畜産物に変換させるべきである。同様にバイオ燃料も、不要になった木材や芦などから生産されるべきで、人と競合はさせるべきではない。 世界の食糧危機に日本が最も貢献できることは、食料自給率を上げることである。食糧依存率を下げることが核心である。日本は駄目になってしまうのは、時間の問題である。 結婚していない日本人との間に生まれた子供たちに、日本の国籍を認めない国籍法は、憲法14条の方の下の平等の規定に反すると、最高裁判所が判断した。 国籍法の2条では、出生前に父が認知した場合は、国籍が取得できるが出生後では、認めないという。何とも不可解な法律である。要するに法律が、現状を反映することができないのである。それに、認知さない場合や父親が行方不明の場合などは、国籍は取れない。 こ れによく似たことを思い起こした。いわゆる「300日規定」と言われるものである。離婚届が出された後、300日以内の出生した子供は、元の夫を親とする法律である。諸般の事情から、結局戸籍すら取得できない人たちがたくさんいる。 確かに「性の乱れ」の指摘や、「道徳的な問題」からは外れる行為であるとされるが、それは親や社会の問題であり、子供たちには何の関係もないことである。 婚姻による家庭の形成が社会秩序の規範であることは疑う余地はないが、現実問題として法からはじき出される子供たちがいる以上、救済されるべきである。 また、タレントの向井亜紀さんのように、病的な理由から自らの受精卵による妊娠を他人に依頼した場合、親子関係を日本では認めていない。法は、やっと養子ならよいと認めた。 家畜の場合は、このような建前ばかりの論議は存在しない。DNA判定で、親子関係を確認でき誰もこれに反論しない。受精卵移植も盛んにおこなわれる。 こうしたことの関しては、人の社会は家畜以下でないか。つまりはこの問題は、単に法律が現状に追いつけないだけのことでないか。 今年の洞爺湖サミットの議長さんだから、日本の福田総理が演説をした。日本は緊急援助とし て、30万トンのお米を放出するというのである。先日このブログで書いたとおり、売れもしないのに約束で仕方なく輸入した米の放出である。 そもそも、日本はこんなところに出かけて、食料のことを言える資格がるのだろうか? 食糧(おコメ)を作らなければ、金を出すなどという前代未聞の政策を延々とやっている国である。世界にこんな国がかつてあっただろうか? 町村官房長官が、ついつい見直してもいいような発言をした。農政の経過を知らない軽々な発言であるが、感覚としては全くその通りである。 しかも、日本は実質世界最大の食糧輸入国である。経済大国日本が、高い円に支えられて世界から買いあさった結果、穀物価格に端を発した食料問題である。日本をはじめとする先進国には、責任の一端などでなく、相当の部分があるはずである。 それを何を今更、高騰した穀物について語る資格があるというのだろうか。日本で、食料のことを真剣に話す資格があるのは、減反政策に苦しみながらも、ひたすら主食の米を作り続けた農民にしかない。 潘基文国連事務総長は「一部食糧生産国が、食料の輸出規制を行っていることがさらに、価格を押し上げる」と冒頭演説した。自国民のために、輸出制限するのは当然の行為である。食糧とはそうした意味をもつものである。 ベトナムやアルゼンチンなどの弱者を非難するのではなく、穀物を投機の対象にしているゴロツキどもや、日本のように家畜に食わせるために大量に輸入している経済大国を非難するべきである。 輸入制限を行っている国は、国民の生命を守るための行為である。食料を金儲けのために転がしたり、家畜に強制的に与え畜産物に変えるような時代ではない。ましてや、食べ物を車に食わせるような時代ではない。 来年5月から、裁判員制度は始まる。国民の日常感覚を裁判に生かす趣旨のようであるが、いくら読んでもこの制度の趣旨がよく解らない。 現在の裁判制度には、日常感覚、一般社会常識が存在しないことを、司法が自ら告白したことに失笑を禁じ得ない。それでは一般社会人の日常感覚で、人を裁けるのか。 法律を全く勉強したこともなく、法律の概念すらないような状態で、人を裁きその量刑まで判断することが正当な行為になるのだろうか。拒否すると罰せられるようであるが、拒否して堂々と罰せられたい。 何の法的な知識も経験もない状況で、いくら罪人といえど(罪人かどうかも判断しなければならないのであるが)、人の一生を決定する判断を公権力が、一般人に強要するのは容認できな い。 検察から提出された資料の真贋性を、短期間の間に一般人の日常感覚に判断させて、冤罪が起きない保障はどこにもない。検察側と弁護側に能力に大きな差がある時には、日常感覚は説明の上手い方になびく。当然のことである。 被告人から逆恨みを受けないとも限らない。被告人に面と向かって犯罪の重さを知らしめることを、何故一般人がやらなければならないのか理解に苦しむ。 弁護士一同が、ほぼこぞって賛成していることも不自然である。裁判官や検事は一般社会からかけ離れた存在である。その点弁護人は、社会の現実を見ているために、検事に対して有利に動ける判断しているのであろうか。 この制度は、どう見ても裁判制度、あるいは裁判官がが問題を抱えていて、それを一般人に押し付けようとしているとしか思えない。なら、裁判制度や裁判官の資質の問題ではないだろうか。裁判官に、一般社会常識、感覚を持たせることがもっとも重要なことである。 とんでもない内容のノンフィクションを読んだ。「カーブボール」ボブ・ローギン著、田村源二訳、:産経新聞出版刊、という題の本であるが、野球の本ではない。少々値が張る冗長な本をようやく読み終えた。 イラクからドイツに亡命した元イラクの技師のコードネームが、「カーブボール」である。単身亡命したカーブボールは、イラクの家族を国外に出したい。金がない。 彼は、情報を売ることで自らの評価を高めようとした。イラク国内で、生物兵器が生産される様子を、でっち上げ売り込んだ。 なんとイラク国内は、偵察衛星で詳細が突き止められているが、彼は移動するトレーラーで生物兵器を生産していると言ったのである。大型トレーラー3台で、各地を動きながら生産していると告げたのである。 技術屋の告発は詳細であったが、ドイツ国内では疑問視する向きもなくはなかった。細かいところで矛盾があったのである。 このカーブボールの「内部告発」に乗ったのがアメリカである。アメリカはイラク攻撃の、もっとも も信憑性のある情報として、大量破壊兵器の根拠にしたのである。 アメリカは、もともとイラク攻撃を決めていた。単に、攻撃の理由を探していただけなのである。イラク攻撃の、論理的理由などもともと存在しなくてよかったのである。大量破壊兵器は、侵攻する中で、その片鱗でも見つけられればいいと思っていたのであろう。 亡命者たちは、さまざまな情報を亡命国に売りつける。生活の糧を得るためである。なるべくばれないか、ばれるまで時間のかかる情報を垂れ流す。カーブボールの情報も、このたぐいのものであった。 本書はアメリカがまんまと乗っかったような表現であるが、どうやらアメリカは攻撃の理由にさえなれば根拠や信憑性など不要だったのである。開戦後事実が判明しても、何らアメリカは変わることなく攻撃と続ける。 |
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