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含みとは?/ アイフル

[ 659] 極東ブログ: 米国の時代が終わるという話の奇妙な含み
[引用サイト]  http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/06/post_e33f.html

話はどうか。端的にいえば、米国の時代は終わるということ。そしてどうなるのか? 田中宇のいうような多元的な世界になるのか。
ザカリアの考察には大統領選挙による米国の変化の可能性は含まれていない。この時期に出すのだから、なんらかの意味が合いがあると考えてよいのだろうが、そこは読み取りづらい。強いて言えば保護主義への牽制だろう。
議論の起点は米国人の内省にある。イラク戦争の泥沼化や金融危機といったことから、意気消沈しているが、もっと深い問題があるとザカリアは説く。
アメリカ人の不安はより深いところに根ざしている。不安を生んでいるのは、秩序を乱す大規模な嵐が世界で吹き荒れているという感覚。ほぼすべての産業や、生活のあらゆる面で、アメリカ人の今までの常識が通用しなくなっているようだ……。
アメリカ人は、いまだに反米主義の実態や度合いについて論じている。一部の人々は、反米感情の高まりは深刻かつ憂慮すべき問題であり、信頼回復が必要だと訴える。その一方で、影響力が大きければ反感を買って当然、反米感情の多くは嫉妬の裏返しだから無視してかまわないという声もある。
日本から見ていても、たしかにそのように見える。でも、ザカリアは、「反米」が終わったと言う。もちろん、それがまた米国が世界の中心に来るという意味ではない。逆で相対的には米国は弱くなる。
米メリーランド大学の研究チームは組織的な暴力による死者数を記録してきた。そのデータによれば、80年代半ば以降、世界的にみて戦争は減少しており、組織的な暴力については現在、50年代以降で最低のレベルにある。
見方にもよるし異論もあるのだろうが、この先に引かれる、現在は「人類史上最も平和な時代」という評価は妥当だろう。
情報革命が起きたのは最近のことだから、報道する側も、ニュースを受け取る側も、あふれる情報との付き合い方をまだ模索している段階にある。
つまり、情報と実態がずれている。私見を挟むが、現在は、生活の実感のようなものがメディアに吸い取られるような状況である。
無差別で残酷なテロは、そのニュースに接した多くの人々に心理的なダメージを与える。「自分が犠牲者になっていたかもしれない」と思いがちなのだ。実際には、テロで死ぬ確率は極めて低い。
中国とロシアがアメリカに敵対姿勢を取ったところで、その脅威のレベルは知れている。ロシアの軍事費は350億ドル相当にすぎず、アメリカの5%だ。中国はアメリカに到達する核ミサイルを約20基保有するが、アメリカには中国を射程に収めたミサイルが830基(大半が多弾頭)ある。
サウジアラビアやペルシャ湾岸の新興の非民主主義国家は、いずれも親米国だ。アメリカの軍事力に守られ、アメリカの兵器を購入し、米企業に投資しており、多くの場合、アメリカの言いなりになる。イランが中東で影響力を拡大しようとすれば、アメリカがわざわざ反発を招くような政策を取らない限り、これらの国々は親米色を強めるだろう。
これは、見方を変えれば、その国々の民主化を構造的に抑制しているのが米国だし、少しものを考える人なら、日本も同じだなと気が付く。
あるいはイラク戦争。この戦争はイラクに長期にわたる混乱と機能不全を引き起こしている。200万人以上の難民が近隣諸国にながれ込み、当然ながら政治的な危機がこれらの国々に波及すると予想された。だが、ここ数年中東を旅して回った私は、イラク紛争がこの地域の安定にほとんど影を落としていないことに驚いた。
そんなのはザカリアの個人的に印象に過ぎないと言うこともできるし、反例を挙げることもできそうだが、問題はその反例の規模だろう。総じて見ると、ザカリアの印象のように、中東は安定していると見てよいのではないか。
ザカリアはこうした議論を進めながら、諸国のナショナリズムの台頭と米国の規範化(率直に言って米国はダブルスタンダードだった)を説いている。
私としては奇妙な感じだ。日本から見るかぎり、依然米国の時代は終わってないと認識してよさそうな印象があるからだ。
それは一種の企業病よね。官公庁や企業に雇用されて「自分から無茶言って飛び出したら後が怖いから言わんと黙っとこ」くらいに平穏にやってる分には、全然問題無いんよ。実際、無いし。つーか、それは別にどこ逝っても変わらんでしょ。中小企業でもベンチャーでもヤクザの使いっ走りでも、商売そのものが上手く逝ってて将来に不穏を感じる要素さえ無ければ、その世界の中に居て受け得る利益は当然得るし、そこで自足しさえすれば、それ即ち「平和」なんだから。
アメリカの志向する(そうと見做される?)平和ってのは、そーゆーもんでしょ。そこからはみ出たかはみ出ざるを得ない人々にとっては、生き地獄かもしれんけど。
日本だと、NHKやNTTやJR(旧国鉄)や郵便局や官公庁みたいな、私の集合体なのに自他共に?半ば公なるものと認識されて市場に於いて過半かそれに近いくらいの勢力を得て、一挙一頭足が周辺界隈に不断の緊張を与える?的な。そういう組織にくっついて居さえすれば、無茶言わない限り利益出るし生活って保障されるよね?的な。
そういう風景を求めると、アメ公のポジションって何となく分かるんじゃないかと愚考。それに対して不要不急?にガタガタ文句垂れてるのはどこの誰なんだ、と。誰でもいいけど。
テレビのニュース観てていっつも思うんだけど、只のアジや馬鹿の世迷言みたいなクソ情報でも、何遍も何遍も繰り返し言ってると何時の間にか人って影響されるんだなぁ的な。謀略ってそーゆー地道なところからの弛まぬ地ならし凄い重要だよねって休みのたんびに草むしりやって空き缶拾って犬猫と甥っ子(勇者友蔵2歳半)の世話してる私は思うのよ。
民営化や民主化の行き着く先(笑)が碌に掃除もされずに空き缶家庭ゴミだらけの田舎の沿道だったりする?のを見るとさ。お前らいい加減にしろよな?と思うことはあっても、それ以外の感情が湧くこたぁ無いんですけど。
勿論程度にも因るけど、ある程度「私」「個」のグレードアップが無いことには、その先へ進むのは時期尚早なんじゃないの? と。道端見ててつくづく思うんです。能力主義(濃緑も可?)成果主義(生家・盛夏・聖歌・製菓・生花・正貨・制化・精化・正課・西華・青果・正課・聖火・製靴・声価・精華・青化・臍下・惺窩・正価・西夏・聖化・勢家・斉家・清家・所為かも可?)拝金主義(背筋・排菌も可?)一辺倒で(行き過ぎるが為の?)余りにモラルが欠如したやり方ってのは、どんな政治体制でもそれそのものを鈍磨疲弊させるから遺憾のですよ。
…と、諸事無能な野ぐその分際で思いました。世の中バランス重要ですわい。バランスを乱すほどに突き抜けないとそもそも駄目なんだけど、その上でバランス重視(笑)せんと遺憾あたりがダブルスタンダードなんでしょうね。剣呑。
世間の親子関係上下関係って基本がどーなんだか知りませんけど、親・上が推定危険地域へ出向くときに正面ばっかり向いて子供の方(後ろ)に目を向けないでガンガン突っ走るのは、後ろの子供すんごい不安だと思いますよ。置いて行かれる・捨てられるって、そー思って付いて行くのは辛いでしょ。先導者が手間でも何でもこまめに後ろ向いて「今このへーん」とか言いながらコツコツ歩んだ方が、後ろ的には楽でしょう。分かっててのんびりしてそれで結果遅れても自己責任なんだから。幼少期にある程度そういう経験を積んで「大人になったら概ねの人は前だけ向いてるもんなんだ」とでも見極めるなら、元服とかそーゆー仕来たりでもあるなら話が違うんだろうけど、そーでも無いのが闇雲に世間に放り出されて「ぶつかって学べ」とか行き成り言われても嫌がるに決まってる。ぶつかったら痛いし下手すりゃ遺体に成るんだからさ。痛い異体にぶつかって遺体になったら事件だろうが、そんなもん。
昔と違ってのんびりしてないんだから、だからこそ親でも学校でも何でもいいけど、取り敢えず教育しとけってことなんじゃないんかと。昔は時速80kmで車かっ飛ばす馬鹿居なかったけど、今はそこかしこに居るんだから。純真くんが目暗滅法に道路出たら轢かれて怪我するのが当たり前って、何で予めそう言っとかないのか不思議でしょうがない。
重さ数百キロの物体が時速100kmで突っ込んでくるって、それそのものは「バランスを乱すほどに突き抜けないとそもそも駄目」な具現化のひとつだと思うけど、それの存在を認めた上で、じゃあどーやってバランス取るの? ってことを考えないと話にならんよね。そもそも時速100kmで突っ込むな馬鹿ってのが正着手に違いないけど、そうは言ってもやるヤツが居るのもまた常なんだから。その「常」を認識した上で立てるのが、対策ってもんかと。あくまで対策だから別に無駄でもいいんだよ。立てるだけ立てて無駄に終わればそれが幸せってのが対策なんだから。
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[ 660] 少年少女達の波乱含みの小学生ライフ、『少女少年学級団』 DAIさん帝国/ウェブリブログ
[引用サイト]  http://dai.at.webry.info/200805/article_5.html

男子と女子の仲が良くないクラスに転校してきた主人公の遥。ボーイッシュで男に間違えられることもしょっちゅうなこの主人公を中心に、まだ愛とか恋とか分からない小学生のお話が展開されていきます。
男子と女子が対立していたり、マセている子は先生に告白をしてみたり、行事に向けてクラス内で対立があったり、いじめ問題があったりと、小学校を舞台にしたこの物語は、小学生のリアルな問題が目白押し。そんな問題を重くなりすぎず、主人公の目を通じて描かれる内容は読み応えたっぷりです。
また主人公の遥は転校する前は野球をやっていたのですが、転校先では男子と女子の仲の悪さから野球をすることがままなりません。野球をするのは男子で甲子園に行けるのもプロになれるのも男子のみ。そんな風に男子から言われて、男子と女子の違いなどの問題に直面していく様、そして自分が女であることを意識していき内面が変化していく様も見応えがあります。
それは異性に対しての意識の芽生えという点でもあって、かつて甲子園に行ったことのある高校生のお兄さんに今までにない感情を抱き始める様も何とも初々しく甘酸っぱいです。風呂に入浴中に男と間違われて裸を見られた事に対し、思わず泣き出してしまったり、おんぶされて妙に気恥ずかしくなってしまうその感情。そのどれもが当の遥自身にとってみても説明しがたい初めての感情なんだけど、それはまさに恋心の芽生え。
「まだ愛とか恋とかわからない小学生の話」と1話目の出だしで始めておきながら、1巻の最後には「恋の季節到来です」と結ぶその展開に何ともやられてしまいます。主人公の遙のみならず、遙に激しく突っかかる男子とかその友人とかまでをも巻き込んで初恋の甘酸っぱさに満ち満ちていく様はホントに甘酸っぱいですよ。
小学校を舞台にしたクラスの問題のアレやコレも面白いですし、それと並行して恋心に目覚めていく思春期少年少女達も何とも甘酸っぱい。これは2巻以降の展開も非常に楽しみです。
そして、こちらは前述の『少女少年学級団』が連載となるきっかけとなった読み切り作。この読み切りが好評だったこともあり、同じような設定を用いた『少女少年学級団』の連載が決まったという経緯があるようですね。
で、こちらの読み切り作ですが、これがまた『少女少年学級団』とは違った面白さがありました。個人的には、むしろこちらの方が好みだったかも。
社宅に暮らす小学生の面々には、親の会社での上下関係そのままがクラス内に持ち込まれ、上下関係が出来上がっているという格差学級。そのクラス内階級という異質な部分から話がどんどんと転がっていって、次から次へと問題が立ち上がっては解決し、立ち上がっては解決していく展開がある意味コミカルで非常に面白いです。
格差学級に始まり、劇での配役選びから、男女人気投票。そしてそれらの問題に絡めた不器用な恋模様が繰り広げられていくのですが、メインはやはり恋模様ですね。好きな子に意地悪しちゃうという、小学生らしい愛情表現の下手さからなかなか距離の縮まらない展開が繰り広げられるのですが、それが最終的に上手くまとまっていく展開はやはり初々しく甘酸っぱく、そして切ないのです。この辺りの初恋に目覚めていく過程の甘酸っぱさは『少女少年学級団』にも通じるところがあって良いですね。
あと、この読み切りでは先生がホントにいい味を出していますね。この漫画が重くなりすぎずコミカルに運んでいったのもこの先生の存在は大きいよなぁと。しかし、胃に穴が空きそうな心労は抱えてそうだけど。

 

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