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殺傷とは?/ アイフル

[ 414] Alternative 笑門来福 > 思考実験:2010年「殺傷ゲーム禁止法」制定 : ITmedia オルタナティブ・ブログ
[引用サイト]  http://blogs.itmedia.co.jp/pina/2006/07/post_42e8.html

ここのところ立て続けに、少年少女や若者による、放火、殺人などの事件が起こっている。個々の家庭の問題や教育問題として取り上げられることも多い。しかし、これらの痛ましい社会現象に対してIT業界は積極的に取り組むことはできないだろうか。
私は、若い人たちがこれだけ人の命を軽く扱うようになった最も大きな原因は、家庭でも学校でもなくテレビゲームではないかと危惧している。ゲームの中ではあまりにも安易に人を殺す。しかも、昔のゲームと違い最近のゲームのリアリティの高さといったら、映画かと思うほどのクオリティだ。「リセット症候群」などという言葉もあるが、残念ながら現実の世界ではリセットしても死んだ人は生き返らない。
このような悪影響をなくすために、テレビゲームから殺傷シーンを一切排除するというのが「殺傷ゲーム禁止法」の主旨である。殺傷シーンがあるテレビゲームは一切販売してはならない。営業停止などの罰則も付ける。抜け道を通る輩も出るだろうが、これを社会的に「罪である」と定義付けるところにまず意味がある。
反対意見は、まずゲーム販売会社から出るだろうか?営業に影響が出ると。ストーリーが成り立たないと。ゲーム機の販売会社からも出るだろうか?市場の縮小を招くと。プレイヤーの反対署名なども起こるだろうか?楽しむ権利を守れと。もしかしたらマスコミからも?表現の自由を守れと。
しかし、昨今の事件はまだ前兆でしかないのではないかと危惧している。幼いころから人を殺すゲームに親しみ、命の重みに実感のない人たちがどんどん増えている。いま事件化しているのは、実はほんの一部で「俺だってやってたかも」と思う予備軍は数知れないのではないだろうか。そして、これからも。
殺傷シーンがなくても面白いゲームソフトは数多く存在する。ゲームソフトが世の中に不幸を撒き散らすツールとなる前に、この法律を制定してはどうだろう。既存のビジネスとの関係を考えると施行は2010年あたりが適切ではなかろうか。メリット、デメリット、出そうな賛成、反対意見、考えられる影響などについて、オルタナティブブログ読者の皆さんと一緒に考えてみたい。
テレビのニュース報道などで、殺人事件などの報道を、子供には見せないような(映画でいえば、R指定、ペアレンタルガイダンス指定のようなもの)仕組みがあってもいいのではないかと、思ったりもします。
どうもニュースを見ることで「ああ、このような方法もあったか」と感じて、実行に移してしまったケースが多いように思われます。ネットで知り合った人たちの練炭による事件も、ニュースで報道されるとその後に続いたことからも、ニュースは関連あると思うのです。
ゲーム(に限らずテレビ、映画、漫画といったコンテント)の内容を知り、子供に丸投げせず、適切なコンテキストを与える役目をするのは家族・学校・社会の責任だとおもいます。
…そこまで親も大人も成熟していないところに問題があると思います。「ゲームはよくわからないが悪いから規制しろ」…ゲームの内容について子供達と話し合ったことがありますか?印象できめつけていませんか?
詳しいことを忘れてしまったので申し訳ないですが、ある心理学者が「テレビ等で暴力的なシーンを見るとき、心の中ではその行為に参加している」と言っていたことを思い出しました。
先日、中学生の弟が暴力的な映画を見ていたとき、悪い影響を避ける為チャンネルを買える様に提案したら、母は「強制は良くない。」と、言いました。
これは、ゲームやテレビの殺傷シーンが現実の犯罪につながりうる可能性を低く見ている、ということでしょうか。
もしそうなら、殺傷シーンを含むゲームを法的に規制して、強制的に押さえつけるよりも、殺傷シーンに起因する犯罪が溢れる前に、危機感を持たせる策をとった方が有効なのではないでしょうか。
そうですね。報道も気になります。ただ、私が、ゲームの殺傷シーンが問題だと感じるのは、バーチャルリアリティ=体験だという点です。自分自身がバーチャルに殺す体験をするという点で、報道や映画と違った影響があると考えています。
CEROの件、詳しく知っているわけではないですが、今回ここに書く気になったのは、昨今の事件に加えて、Z指定が始まったニュースを最近読んで「これじゃあまり効果ないのでは?」と思ったことがあります。CEROの自主規制の問題は、映画などと同じように描写・表現に重きがおかれていて殺すという行為については問題としていないのではないでしょうか?上記の繰り返しになりますが、映画などと同列の描写・表現よりも体験に問題があると考えています。
そのとおりだと思います。ゲームだと「その行為に参加している」ということが問題だと思います。この点が、映画や報道と決定的に違うのです。「殺されるシーンを見ること」と「自らの操作で殺すこと」には大きな違いがあるのではないでしょうか。それから、ご提案の危機感について言えば、バーチャルの問題は「痛くない」「傷つかない」ことだと思います。もっとリアルで喧嘩して怪我をしてこそ自分の感覚として身につくと思うのです。
「危ないモノを近づけるな?」の主旨、賛同します。リアルな「危ないもの」を遠ざけて、「バーチャル」な体験ばかりになってしまっていくことが問題だと思います。子供も過保護になって自分で痛い思いもしない、怖い思いもしない。バーチャルだけが体験になってしまっていくことは怖いと思います。Kazu'Sさんの論点でデフォルメして言えば、私の考えは「リアルな危ないモノを近づけろ」ということになるでしょうか。
今の少年犯罪が多いのは、ゲーム等からの影響以上に、こういった様々な「加減」具合を知らない、知る機会の少ない環境(外で遊ばない、相手に対する不満を溜め込む等)にあるためではないかと思います。
アンダーグラウンド化する、という恐れはどうでしょうか?禁酒法の例を引き合いに出すのは安易かもしれませんが、規制を強化することによって、逆に規制の及ばないブラックマーケットを生み出してしまうという危険性について考えておく必要があると思います。
「人を殺すシーンが見たい」というニーズが本能に基づくものなのか、ゲームや映画、TVの影響によるものかは分かりませんが、現状でそのようなものが溢れている以上、禁止してもニーズはすぐに消えないでしょう。欲望があれば、それを満たす手段が必ず現れる・・・と思うのですが、どうでしょうか。
私はこの統計が正しいものなのかちゃんと確認していないのですが、この統計が正しいならゲームにはそれ程大きな影響力は無いのではないかと感じます。
ヒーローごっこ、スポーツ選手なったり車を運転したり、チャンバラをしたり。昔はそれを友達同士、新聞を丸めてやっていた事を今はテレビに向かい機械が相手をしている。
若い人が命を軽んじている?それは単に大人が命の大切さを教えていないからでしょ?(年配の異様な殺人もニュースで多々あるのに)
ゲームは元々教科書や教材ではありません。気分転換、娯楽といった遊びの道具ですよ。人間、娯楽に現実では味わえない刺激を求めるのはごく当然。
映画で超能力で気持ちよく空を飛んでいるのを見て「子供が真似して窓から飛び降りたらどーするんだ」と言っているようなもの。
大切なのは親が子供と向き合う時間を作る事。結局のところゲームをしたからそーなったのではなく、親がゲームを買い与え放置し続けるだけで、本来子供の成長時に得るべき他の大切な経験や時間が著しく低下した結果、判断力の無い子供が増えている。それだけです。
成長過程における子供への年齢制限等の規制はゲーム業界はすべきだと思いますが、ゲームをする時間の制限、自然や生き物と触れるきっかけ、親、友人と接する時間を作るのは親の役目ですよ。
ただ、これを隠したらこちらが出てくる、という事実もあるのではないでしょうか。モグラ叩きになってしまう可能性があるんじゃないだろうか、と思います。
このデータを見る限り、どちらかといえば現代のゲームは少年の凶悪犯罪の抑制に効いているのではないか、という仮説を立てるほうがむしろ自然だという気がします。
上記にも「たった一、二件の残虐な殺人事件を、マスコミが大袈裟に騒ぎ立てることで、いかに大衆に誤ったイメージを植えつけることが可能か。情報操作の恐ろしさを、まざまざと見せつけられます。」とありますが、これにまんまと引っかかっただけじゃないのでしょうか。
確かに、最近痛ましい事件を見聞きする事が多いと思いましたが、痛ましい事件が多いからなのか、痛ましい事件を知る機会が増えたからなのか、誰かがわざと事件を痛ましくしているのか、もはやそれすら区別がつかなくなりつつある気がします。
そんな中、とりあえず、残酷なゲームが本当に真に残酷な事件に関連しているのか、それを統計学的にまとめてからの禁止法かなと思います。
俺も、AVのように悪影響があるのが明らかなゲームを、子供が買えない様にするような仕組みは必要なのかもしれないとは思います。でもいきなり禁止というのは、上の禁酒法の例にもあるように、タバコや酒をいきなり完全禁止にするような無謀なのではないですか。
CEROやZ指定が機能してない? 俺も判定基準などには疑問です。なら機能するようにするのが最初なのではないですか? それが無理だというのなら、いっそのこと全てのゲームを全部18禁にしてくれてもいいです。子供に害があるだなんだと、自分たちの責任からは目をそらし、ゲームに全てを押し付ける大人からゲームが逃れられるなら、その方がよっぽどいいです。
殺傷ゲームだけが悪いのであって、他は関係ないとでも言いますか? 一度そんな暴挙が通ったのなら、いずれまた他の物に責任を押し付け、規制をし続けるでしょう。
というか、誰にも悪影響のない娯楽なんてあるんですか? もしあるのなら、それを子供にやらせればいいんじゃないですか。ゲームを与えたのは大人です。
酒やタバコが生活に欠かせないものになっている人がいるように、俺はFPSや、その他のゲームをやる事が生きがいなんです。それをなぜあなたは取り上げてしまうんですか?いい年してゲームやってないで他に生きがいを見つけろって事なんでしょうか。同じように酒やタバコは子供に悪影響だからやめろって周りの人に言えますか?
最近いくつかあった少年犯罪でもゲームのしすぎではなく 「勉強のしすぎ」や「スポーツのしすぎ」と思えるものもいくつもあったように思います。
それらも、べつに勉強やスポーツが悪、勉強をしたから犯罪を起こすようになったわけではないですよね。勉強ばかりして他の大切な経験を得る時間を逃してしまい判断力の無い子供なった、それだけです。
ゲーム(遊び)もそれ自体が悪なわけでは決してありません。親子間で遊んだり時間をしっかり制限すればコミュニケーションの潤滑油、薬にもなります。
もちろん、ゲームだけでなく、新聞、TV、小説、映画、演劇、歌詞、漫画、ラジオなどなどあらゆるメディアに同様の規制をするのですよね? もちろん、殺人とか強姦とかそういう言葉、概念自体も禁止するのでしょう? 当然、ワイドショー等で殺人事件を報道するのも禁止ですよね? 現実の事件の模倣が起きるのはよくあることですから。
最近でも江戸川乱歩の小説の影響を受けて犯罪をした人がいましたし(犯人自身がそう供述していました)、昔ですが、大藪晴彦の小説を読んでそれを元に銀行強盗の計画を立て実行した人もいました。その人はそれだけでなく、直前に見た映画を参考に人質にした行員にひどいことをしました。TVドラマで飛び出しナイフを使っているシーンを見て、実際の犯罪に使った人もいましたし、悪影響といったら、映画、小説、TVドラマも例外ではないようです。
実際、犯罪統計を読む限り、TVゲーム出現以前の方が犯罪が圧倒的に多いわけですから、ゲームの影響はごく僅かと考えざるえません。その僅かな影響でも見逃さないと言うのなら、上記のように実際影響を受けて事件が起きている他のメディアも見逃しには出来ないでしょう。
それから、アメフト等のスポーツ選手などもちょくちょく強姦事件などを起こしますし、部活動で暴力沙汰が耐えませんから、当然、一部のスポーツも禁止するのでしょう。酒、パチンコ等の犯罪や幼児の死亡の原因になっている娯楽も禁止ですね。
そんなわけでこの世を安全にするにはゲームを規制するだけでは足りないと思いますので、タイトルは2010年「殺傷暴力表現喚起禁止法」制定にするべきではないでしょうか?
もし、そうでなければバーチャルだろうがリアルだろうが、そもそも、あなたのいう「体験」には成りえないと思います。
つぎに、娯楽とかそんな問題の以前にゲームは果たしていわゆる少年犯罪に対してそれを助長しているのでしょうか?
これを証明するには過去に少年犯罪を起こした人の生活や性格やその人の周辺の環境などを詳しく分析して、間違いなくゲームが彼らを犯罪に駆り立てた、という明白な結果が必要です。(実際にその結果を実践し本当にそうなることも確かめる必要があるでしょう。)それが出ない限りこの法案は社会に対して無為な負担を強いるだけのものとなるでしょう。
これは個人的な意見ですが、暴力シーンなどのあるゲームは少年犯罪を助長するという人に限ってほとんどと言って良いほどゲームに触れたことがないような気がします。
だれも、実際に見ていない映画の感想などいえないように、やってもいないゲームが果たしてどんなものかなどわかるわけが無い。
ゲームが子供に影響を及ぼすことはたくさんあると思います。実際ゲームを見て殺人をやったと供述する少年も過去にいたように思います。
まず自分はどうやって育ったのか? どのようにして人を殺すことを悪いことだと理解し、そうした行為を抑制できるようになったのか?
自分の経験に即していえば、なぜ殺人を犯さないかといえば、人の「生」の尊さを身近な「死」によって知ったからであると思います。
例えば、幼い頃にすごく自分を可愛がってくれた祖父が死に、もう決して生き返ることはないと教えられたことや、初めて飼い、熱心に育てたペットが死んでしまったことなどです。こうした事から生命は一度死ねばもう還ってくることのない尊いものであり、その「生」は大事にしなければならないということを「本能的」に知るのです。
また、暴力行為や破壊行為、いじめ、けんかといった行為は、私たちの世代は、親や学校、もしくは地域の人などにとてもこっぴどく叱られました。ある時は、相手の立場に立って考えればどんなに辛いかということを理論的に納得させられたり、ある時は感情的に殴られたり、もしくは自分の代わりになって相手に謝る親の姿を見て、そうした行為が重大な事であると「社会的」に知るのです。
私が思うに、現代の子どもにとって、一番不足している事はこうした経験であるように感じます。親戚が死んでも迷惑を掛ける事を嫌って子供を家において葬式に連れて行かない親。受験勉強や過保護さゆえに生物や自然との接触をさせない親。嫌われるのを恐れて叱らない友達親。腫れ物に触るようにこどもに接する学校や社会。
こうした環境で育ったこどもというのは圧倒的に経験・体験不足に陥り、殺人や暴力シーンを含むゲームや映画・テレビの影響をより受けやすくなってしまうのではないのかと感じます。
「殺傷ゲーム禁止法」という法律は、こうしたこどもへの影響を避けるという意味ではとても効果があるのではないかと感じますが、これは結局その場しのぎの法律であり、真に議論すべきは、どうしたらこうした表現に影響を受けにくい子供を育成できるのかという抜本的な部分なのではないでしょうか?
実際に、同人誌ならぬ『同人ゲーム』や、オンラインで配布されているフリーソフトが、数えるのもばかばかしくなるほど溢れています。
仮に規制対象が商業ゲームに絞られれば、当然同人・個人制作ゲームによるブラックマーケット形成が起こりえます。
バイオハザードやGTA等のような暴力表現も、プレイヤー自身がただ娯楽として楽しんでいるだけだし、まだまだ甘い方だしOKじゃないかという見方だってあり得ます。
あの遊びを子供たちが近所の公園で今でもやっているのを観るとぺしょぺしょの棒で叩いていて、実際に切られたときの痛みなど考えていないようです。
また上記の「殺傷暴力表現喚起禁止法」ですが、人を傷つける心配のあるものを無くすためには、表現の自由程度のものは無くしても良いと思うので大賛成です。
nra44376さん、とおりすがりさん、LBさんに調査の資料を示していただきました。確かにこれら4つのの資料を見ると近年凶悪犯罪が増えているとは言えないし、ロングスパンで見ると減少しています。しかし、最近の報道では「少年少女の凶悪犯が増えている」とコメントしています。これは、とおりすがりさんからし示していただいた2番目の資料の結論のとおりマスコミの捏造なのか?それともスラーさんの指摘のように触れる機会が増えたことでそういうイメージを持っているだけなのか?それから、とおりすがりさんから示していただいた一番目の資料にある法務省の統計と警察庁の統計(短期的に見れば増加)が違うというのも興味深いですね。いずれにしても、ここで示していただいたデータ群からは、ゲームの無かった時代と統計データ比べると少年少女の凶悪犯が増加しているという前提は間違いであるということが導きだされます。この点について、他に情報や意見をお持ちのかたがいらっしゃればコメントお願いします。
アキヒトさん、大木豊成さん、すてぃんがーさんのご指摘のアンダーグラウンド化は確かに大きな問題で、ある意味避けられないと思います。ただ、「麻薬」や「売春」もアンダーグラウンド化しているのは事実ですし、だからといって立法化の意味がないとは言えないと思います。どうでしょうか。
慶さん、キキさんにチャンバラの話をいただきました。私は、チャンバラこそすべき体験と思います。それは「痛い」からです。つよく打てば痛いし怪我をすることだってあります。チャンバラとゲームの大きな違いは、痛くないことです。この点から考えると、もしかしたら業界の進むべき方向は、よりリアリティを高めて打たれたら痛いゲームにすべしということかもしれませんね。
とおりすがりさんから、「ゲームだけでなく、新聞、TV、小説、映画、演劇、歌詞、漫画、ラジオなどなどあらゆるメディアに同様の規制をするのですよね?」という質問をいただきましたが、私の案は、「自分が実行する」という点にフォーカスしていますので、その点からいくと「新聞、TV、小説、映画、演劇、歌詞、漫画、ラジオ」は対象にはなりません。多くの方の指摘では、「表現」と「バーチャルな実行」を区別されていないようですし、CEROの規制も「表現」に重きが置かれていますが、私は違うのではないかと思っています。他の方の意見はどうでしょうか?
おやすみさんの「社会的な影響力を持つ『ビデオゲーム好き』が少ない」は、まさに指摘の通りと思います。またyokazo〜さん指摘の「暴力シーンなどのあるゲームは少年犯罪を助長するという人に限ってほとんどと言って良いほどゲームに触れたことがないような気がします。」というのも、確かにテレビコメンテータや活字媒体に意見を書く人には多分ゲームマニアは少ないのだろうと感じます。私の近くに社会的に大きな発言力はないけれども大のゲーム好きは何人かいますので、ゲーム好き人間からの意見を聞いてみたいと思います。ちなみに、私自身は以前はゲーム開発にも携わっていたこともありますし、ゲームそのものは好きです。時間の都合で最近はプレイしませんが、以前はドラクエにもはまっていました。この案は、「ゲーム=悪」という前提ではないのでよろしくおねがいします。ゲームソフトはソフトウェア産業のなかで唯一輸出に成功している分野なので、これはこれからも成長して欲しいし、見習いたいと考えています。
ねこさん、慶さん、UNIONさんのご指摘の、親と子の問題については、まさにおっしゃるとおりと思います。特にUNIONさんのおっしゃることは、深く共感します。私自身、田舎で育ってイカダや鉄砲やカートも自作したり、悪いことをしたらこっぴどく叱られたり、溺れかけたり火傷したり、いろんな経験をしたことが今の自分の心身形成にに役立っていると思います。一方ゲームでは、いろんな体験はできるでしょうが、親にこっぴどく叱られるわけでもなく自分が痛いわけでもない。親や子供の遊ぶ環境を変えればということもできるのですが、もともとの発想の「IT業界でなにかできることはないか」という点で考えると、何かできることがあるでしょうか。うーむ。ちょっと考えて、一つ思いつきました。「子育てシミュレーション」です。生まれたときから子供を育てて、ちゃんと叱ったり実体験させてあげるというゲーム。しかし、これもまたシミュレーションの通りにいかないだろうし(笑)。もう少し考えて見ます。
などのリアルワールドでの犯罪行為については具体的に「禁止」の対処になっているのに、「殺人」「暴行」についてだけは、
だけが禁止で、非常に甘い規制となっているということです。なぜ、「殺人」「暴行」だけが他の違法行為と違う形で甘く規制されているか?また、それでOKとされているのかご存知の方いらっしゃいませんか?
平野さんのURLにあったCERO倫理規定を読みました。6ページの禁止表現のことだと思いますが、これは確かにおかしいですね。「麻薬」「強姦」は禁止なのに「殺人」「暴行」は禁止じゃないのはメーカーの都合としか思えませんね。
ゲーム・漫画・アニメなどによって犯罪が誘発されると「そのメディアに正面から触れたことが無い人」がおっしゃるのは、
申し訳ありません。「そのメディアに正面から触れたことが無い人」といいましたが、コメントにまでは目を通していませんでした。
どちらかといえば最近は50歳とか、70歳の殺人事件の報道などのほうが気になります。若者の起こした痛ましい事件、というのはすでにフィルターのかかった見方で、実は単に社会不安が全体に広がっている中での現象の一つに過ぎないのではないかと。つまり明るい未来を提示できなくした大人の責任で、若者が将来の不安から刹那的な傾向になることを何かの理由を付けて目を逸らしたいだけではないか、とこれは私の印象です。
あるいは世代間の確執と見ることも出来ます。こういった規制は子供への悪影響を大義名分として掲げますが、大人が理解可能な扱いやすい子供にしたいという意図が含まれているように思います。自分たちと同じ思考、思想を植えつけたいという大人の願望の押し付けです。
話の始まりが「〜ではないか」という単なる印象からなので、突っ込みを入れるのもどうかとは思いますが、発想の出所が論理的な思考か、感情的なものなのかを分離して考える必要があるかと思います。論理的なものなら、もう少し客観的な根拠が欲しいですし、感情的に法律まで提案されると反発は大きいかと思います。スケープゴートとしてとりあえずコレを規制してみよう、ということならばなおさら徹底的に根拠を提示していく必要があるかと思います。
ただその場合はむしろ、信仰により(または単純に嫌いだから)殺傷ゲームは規制すべきだ、と言われたほうが意見としては納得がいきますが。
言葉遊びをするならば例えば「親は近所の子供(または自分の子供)を殺す事があるので、子供はすべて国が保護して養育する」という制度を思考実験することも出来るかと思いますがいかがでしょう。つまりこれは、何を原因にしたいか、という大人の都合のお話だと思うのです。
犯罪が増えていると書いて見えますが、このような資料に最低一度は目を通して物事考えてほしいものですね。
自分を理解してくれない大人の元で自由も何一つない場所で、子供がまっとうな教育にしたがうことはまずないでしょう。
>人の命を軽く扱うようになった最も大きな原因は、家庭でも学校でもなくテレビゲームではないかと危惧している
まあ、ここで書かれた『残虐ゲーム』はある程度、判断の出来る子で、『想像』出来る子供にしか薦めません(基本的には考えるゲームを薦めていますが)
そして、ここに書かれた部分で判断すると、ゲームをプレイしておらず、いわゆる自分の考え、空想のみで結論を出してるように見受けられます。
私自身が子供を理解する立場でありたいので、子供のやっている事、流行っている事はほんの少しであろうとも体験してから話をするようにしています。
少し乱暴な言い方かもしれませんが、理解しない大人には子供は絶対ついてきませんし、それは大人になっても無意識に残るものです。
犯罪心理学的な立場に立った場合、ゲームが犯罪を誘引していると考えるのは明らかに無理です、それは現在メディアと犯罪の関係において最も有力とされている限定効果論や犯罪統計等を見れば直ぐにわかります、ゲームが教育において何かしらの悪影響を与えているかどうかはさておき、こと少年犯罪の増加において議論の余地はないと思います。
ですが少年犯罪が増加していてそれはゲームが原因であるという説は根強く、また前述のような統計や論文を知らない人が聞けば「ああ、確かにそうかもな」と思わせられるある種の説得力を持っているように思えます、実際私も色々と調べてみるまで少年犯罪は増えていると思っていました。
何故増加していない少年犯罪を増加しているように見せかけるのか、そして何故あたかもゲームが原因であるかのようにのたまうのか、この不自然さにこそ見せかけの少年犯罪増加などとは全く異なる社会が抱える真の病巣があるように思えます。
まず、ゲームの影響力についてですが、まだ明確なデータは出ていないのでなんともいえません(ゲーム脳や脳内汚染はインチキなようなので手を出してはいけませんよ)。ゲームの影響で事件を起こす人もいるかもしれませんが、そういった人は他のメディアの影響で事件を起こすかもしれませんし、何者にも影響されなくても起こすかもしれません。
一つだけいえることは、マスコミは視聴率のためなら世間を煽ります。実際に犯罪が増えていなくても、犯罪が増えているように見せかけないと、視聴率が取れないのでしょう。
売春や麻薬は形があります。そこがゲームとは違うところです。ゲームはデータ化できるので、他の禁止されているものに比べれば伝播がはるかに簡単です。それにゲームは既に相当量出回っています。麻薬などと違い、ゲームは減ることはありませんので、新規をとめても効果はあまりありません。
いくら自分が痛みを感じたとしても、可能なことはせいぜい「殴られたら痛いだろうな」といった程度のことです。相手の痛みを実際に感じることは生物学的に不可能なので、結局個人の理性、想像力に任せるしかありません。そうなのであれば結局ゲームも実体験もあまり大きな変化がありません。
私としては、ゲームを規制するなら他の表現媒体であるテレビ、映画、本、ラジオ、演劇なども含むべきだと思います。いくらゲームの描写力が優れているとしても、実写とは明らかに違いますので影響力だけを考えれば映画やテレビなどの方が強いでしょうし、昔からのことを考えれば信用度から言って活字媒体の影響力には計り知れないものがあります。
あと、ゲームが子供に悪影響を与えないことを証明してみろ、なんてことは言わないでください。悪魔の証明になってしまいます。
関係ないかもしれないですが、過去に比べれば犯罪件数も下がっていることを考えれば、ゲームのおかげで犯罪が減ったという結論も導けますね。
なお、何かあったらリセットすれば良い、なんて安直な考えをしている人は、ゲームやっている人にはいないと思われます(あくまでも体感ですが)。ゲームだってリセットすればやり直せるような甘いものではありません。
うまくいえないのですが、バーチャル(昔の流行語?)な影響と言う意味において、私はゲームは映画に比べると、実は割り切っているので、リアリティがないと思います。
それは、ゲームはプレイヤーが操作をするため、時間の流れなどの制限があり、深い部分で演出的な壁を感じてしらける場面が多いと感じるからです。(例:同じ場面が繰り返される)
私はゲーム大好きですが、ゲームの面白さは記号を動かす面白さやルールであって、突き詰めれば将棋やスポーツのようなものだと思います。絵や世界設定はきっかけではありますが本質ではなく、それは最初だけと感じます。
ヒットしているゲームがある場合、操作性がよく考えられており、ルールが練られているから、時間を忘れて楽しめているのであると思います。ゲームをやらない方は、怖いゲームを見たとき、絵がリアルなので、傍から見るとギョっとされるかも知れませんが、それは単に流行のジャンルなのです。面白いゲームが害というならば、議論の意味があると思います。
うまくいえないのですが、バーチャル(昔の流行語?)な影響と言う意味において、私はゲームは映画に比べると、実は割り切っているので、リアリティがないと思います。
それは、ゲームはプレイヤーが操作をするため、時間の流れなどの制限があり、深い部分で演出的な壁を感じてしらける場面が多いと感じるからです。(例:同じ場面が繰り返される)
私はゲーム大好きですが、ゲームの面白さは記号を動かす面白さやルールであって、突き詰めれば将棋やスポーツのようなものだと思います。絵や世界設定はきっかけではありますが本質ではなく、それは最初だけと感じます。
ヒットしている残酷なゲームがある場合、操作性がよく考えられており、ルールが練られているから、時間を忘れて楽しめているのであって、残酷な世界観に陶酔しているからではありません。(「偉い人」がよく間違えて、何でも作れば売れると、思ったりする)ゲームをやらない人は、絵がリアルなので、傍から見るとギョっとされるかも知れませんが、それは単に流行のジャンルなのです。ゲーム好きはゾンビもやれば、蛙が飛び跳ねるようなゲームも同じゲームとしてやるのです。
実はこの話は最近友人と食事をしたときに結構盛り上がった話題で、ブログで話題を出してみるとどうなるだろうかという話になって書いたものです。ところで、その時に出た意見の中で、今回も出るだろうと思っていたけれどもまだ出ていない話題が3つあります。1つは、この話の発端ともなった最近米国で広がるゲーム規制法(イリノイ、ミシガン、ミネソタ、オクラホマ、カリフォルニア、ルイジアナなどの州で制定、ただしイリノイ、ミシガンなどでは違憲判決)の話題、2つめは「ゲームで人を殺したり暴行することで、ストレスが発散されて逆に精神的には良い効果を生むということがないだろうか」というゲームの効果面を考える話題、3つめは、ゲームベンダーのビジネス上の利害と責任をどう考えるかの話題です。逆に、監督さん指摘の「ボーリングフォーコロンバイン」(映画)や、社内ブログ(でも話題に:)で指摘された「反社会学講座」(書籍)あたりは全く話題に上りませんでしたので新たな発見です。
高橋さんのトラックバックにあるとおり、ある程度の規制はあってよいと思いますけどね。「規制の強い米国の方が犯罪が多いんじゃないの?」と言われそうな気もしますが。
意見というより統計上の事実ととらえています。統計の話はリアルの話の時にも出ていました。しかし、これを書いてしまうと議論の広がりを制限してしまうので、表現を工夫したつもりでしたが、ゲームで犯罪が増加したと前提を置いたように誤解された部分があったと思います。
ははは。カミングアウトしてしまうと、高校時代は教育委員会で禁止されていた学校をまたがったロックバンドを組んで、髪はメッシュ入れてリーゼント風でした(笑)。
社会問題としてはそういう側面はありますね。ただ、少年少女に対しては大人の責任は大きいと思います。そして、ここの場所の性格としてIT業界として何かアクションはできないか(アイディアが出ないか)と考えてみたいと思ったわけです。
>発想の出所が論理的な思考か、感情的なものなのかを分離して考える必要が〜〜〜と言われたほうが意見としては納得がいきますが。
そうですね。もとが時事ネタですし、どちらかといわれると感情的なものですが、ここでより多く意見をいただきたく法律という形をとってみました。
その通りだと思います。他にもゲーム自体を否定しているように取られているケースがありますが、案はあくまでも「人を殺す」ことを禁止するということで、ゲームを禁止するわけではありません。たとえば、下記URLの左上にあるビデオ(60munitesのダイジェスト)のようなものです。こういうものがないとゲームやゲーム業界が成り立たないということはないと思いますが、いかがでしょうか。
>カウンセリングで子供と心が傷ついた子供と向き合う機会が多い立場として気になった点へコメントします。
直接携わっておられる方の意見は説得力ありますね。質問させていただければ、「心に傷を負う」ことが「人の命を軽く扱う」ことの原因だという意味でしょうか。私としては、「傷つく」こととそれに対する「行動」は別ではないか、つまり、ゲームで「心に傷を負う」ことはそうそうないでしょうが、そのゲームの体験が行動に影響を与えることがあるのではないかと思うのですが、ぜひ意見をきかせてください。
まさに、おっしゃる通りですね。私自身も一人の親として経営者としてこの点、心していきたいと考えています。同様に、まだ出ていない話題として、ゲームベンダー側の話題と先に書きましたが、ゲーム開発企業の経営における倫理感、社会責任も問われるところだと議論しました。
先にも述べましたが、ゲームが誘引しているということではなく、誘引されたあとの行動に影響を及ぼすことはないでしょうか。お詳しいようですので、もう少し意見をいただければと思います。
>この不自然さにこそ見せかけの少年犯罪増加などとは全く異なる社会が抱える真の病巣があるように思えます。
これは、マスコミなどが何か別の狙いを意図的にイメージを操作しているということでしょうか。視聴率のため?どこかの業界が儲かるか?
そうですね。先にも述べたように、誘引されるかどうかではなく行動に影響が出るかに興味があります。だから殺戮シーンを見ることと、殺戮を実行することの違いに言及しています。
なるほど、確かに違いますね。長期スパンで見るとプラットフォームの陳腐化という問題はあると思いますが。
私の仮説は、見ることではなく自分が操作することで影響がでるというものですが、Kさんとしては、自分が操作することよりも視覚のほうがよっぽど影響が大きいのではないかということですね。いずれもすぐに検証できるものではありませんが、実験をするとしたら有効な対比だと思います。
>これは、マスコミなどが何か別の狙いを意図的にイメージを操作しているということでしょうか。視聴率のため?どこかの業界が儲かるか?
私はゲームよりも現実性の高い、ドラマや映画、凶悪事件の報道などの方がよっぽど犯罪との因果関係が強いと思います。つまり、マスコミが「暴力ゲームが犯罪を誘発している」と煽る事が、「マスコミの流す報道や番組が、一方で犯罪を誘発している」という指摘から目を逸らさせている事になります。
このような「人を殺す」規制ではなく、ゲームと現実は別物、現実では人は殺してはいけない。ゲームを別物として考えて楽しめる理性の豊かさや理解力、判断力をみにつける教育の指導をすべきでしょう。
理性、判断力、理解力が未熟なうちは、あなたが表示した限度のこえる(やりすぎ)な無意味な人殺しゲームをあたえてはいけないと思います。
ただし年齢規制の商品はきびしい規定でとりあつかうように各業界ではなしあって、年齢規制商品の取り扱いの協定などをつくっていくべきです。
平野さんがおっしゃっている殺傷ゲームというのは、無意味な殺人を目的としたゲーム、もっと端的に言えば”殺戮”をテーマにしたゲームのことなのですよね?
これまでの議論を読む限りでは、多くの方は平野さんと同じ認識には立っていないように思えます。(殺傷という表現に関する認識の相違がありそう)
ここまでのところだと、goroさんの意見がよくまとまっているようで、私も似たような思いを持っています。
はじめまして、意見をお待ちしているとのことでしたのでトラックバックをおくらせていただきました。異論、疑問などありましたならば逆にお教えください。
Carry labのころお知り合いだった(そのはずですよね?)、現アルファシステムの佐々木社長が、いまでも熊本でゲーム開発でがんばっていらっしゃいます。ゲームの世界や、ゲームで遊ぶ子供がどのような存在かお忘れになったのでしたら、ご連絡を取ってみてみはいかがでしょうか。
まず、なぜ人を殺してはいけないのか?この命題に対する明確な答えを私は今日まで目にしたことがありません。
現実にしろ作り物にしろ、さまざまな経験の中で己の価値観を決定し、その結果殺人はいけないことであるという解を全員で持てればよいのですが、解を得る過程が本人任せではどんな解にたどり着いたとしても仕方がありません。同じ経験をしたとしても殺人はいけないことだと思う人間と、殺人に罪の意識を持たない人間が生まれても不思議ではないでしょう。
子供も大人も人が殺人を初めとする犯罪行為を自分の中でどう位置づけるのか?その辺は親の子供に対する責任の問題でしょう。次に教育政策を含め現在の大人達の責任でしょう。"なぜ人を殺してはいけないのか?"という問いに対する明確な解を持った人はいないのだとしても、子供には"悪いことは悪い"と教えなければなりません。たとえ他人の子供にでも"悪いことは悪い"とぶん殴ってでも教えることの出来ない社会を作ってしまった大人達の問題です。
娯楽作品中の表現を禁止するのは最後の話ではないでしょうか?その前にすべきことが沢山あると思います。浅知恵による小手先の施策は事態を複雑化させるだけでしょう。例えばゲームの殺戮シーンを禁止する前に児童虐待を撲滅すべきではないですか?自己中心的な大人を社会から減らすのが先ではないでしょうか?
ゲームの殺傷シーンが命の重みに実感のない子供達を作り出しているわけではありません。親、大人、社会の怠慢が生み出しているのです。ここで「殺傷ゲーム禁止法」というテーマが出てくること自体、本質を追求せずに上っ面だけの理想論だとしか受け取れません。
その前提で平野さんの思考実験のテーマである、ゲームの殺戮シーンを失くせば現実の凶悪犯罪が減少するのかという問いに対しては、平野さんの思っているほど関連はない。と答えます。なぜならゲームは殺人方法の参考には成るだろうが、殺人それ自体の動機となっている例は少ないのではないかと思うからです。これは殺人を扱うすべての表現、現実に起こった事件に関しても言えることで、ことさらゲームに限って言えることだけではないと思います。
報道も統計も、作成者の意図で如何様にも印象操作できますので、何が本当なのかはわかりませんが、もし凶悪な少年犯罪の数が増えていない、もしくは減少傾向あるのであれば"ゲームの殺人シーンが現実の殺人、凶悪犯罪の動機足りうるのか?動機足りえるのであれば少年による凶悪犯罪のうちどの位の割合なのか?"ということが「殺傷ゲーム禁止法」に関する議論の最初の論点に成ると思います。ゲーム内の殺人や凶悪事件を模倣したくて凶悪犯罪を犯した例にはどんなものがあるでしょうか?
"なぜ人を殺してはいけないのか?"に対する一つの不完全な解として"自分がやられて嫌なことは他人にしない"と言う観念があると思います。平野さんは思い至らなかったのかもしれませんが、思考実験とは言え他人の家に土足で踏み込むような真似をしたのですから、大変なことだとは思いますがせめて責任を持ってこの思考実験に決着をつけてくださいね。
こうした「ゲームが少年犯罪の根源」的な発言は多々出てくるが、どれを見ても釈然としないのは、ゲームに起因していると思われる少年犯罪がどれだけあるのか、裏付けやデータがあっていってるのかが疑問だということだ。
ほとんどがエンタメワイドショーとなってしまったマスコミによる「坊主憎けりゃ」情報操作を受けた妄想ではないのか?つまり、ワイドショー見て「やっぱりね」といっているおばちゃんの感想文レベルではないか?
個人ブログとはいえ、プロフィールを公開しているんだし、そんな人が社長をしている会社のソフトってどうよ、なんか検閲ツールやスパイウェア入ってないかとかまで考えてしまうのですが。
少年犯罪の統計についてはすでに既出コメントにある通りだが、そうしたマクロ視点でなくとも、禁止するより先に、ゲームに起因されると(妄想)されている少年犯罪にゲーム単体がどれだけ影響しているのか、個々の事例をたとえば少年院なり家裁なりでちゃんと調べられる(精神鑑定とか供述の資料を非公開とかにせず)ようにすることが先決だろう。
マスコミが「少年はゾンビ殺戮ゲームにはまっていた」とか、そりゃ100万本売れたソフトなんだからはまっていた母数は多いだろ、というつっこみはあっても、そうしたスケープゴートがあったほうが視聴者も「やっぱりそれで」と納得してくれるし、メディアのうわべの説得力が高くなるからやめない。
先日の奈良の医者の息子の放火殺人にしても、(これも報道しか根拠がないから)想像するほかないが、幼稚園の頃から父親にスパルタ的に勉強させられ、でも理想の父でもあり、学力が落ちて父の望む理想の自分とのギャップが広がったという狭間で起こったようで、たぶんゲームはしていない(させてもらえなかった)だろう。それでもコメンテーターは「ゲームをリセットするように」とコメントしていた。どうしてもゲームを悪者にしたいのだろう。
ほとんどの子供がゲームをしている状況で、その子が他のまともだった子とゲーム「だけ」の影響がどう違ったのかまでフォローしてくれよ。
ゲーム禁止、報道も戦争や殺人関係は禁止、哲学書も自殺する人が増えそうだから禁止、サスペンスミステリーなどの映画・ドラマ・書籍も当然犯罪の教科書となるから禁止、掲示板やブログなんてもってのほか、短絡的に悪影響がありそうなものを「禁止」していけば「みんな幸せに暮らしましたとさ」になる・・・わけないだろ。
ゲームがない頃だって社会の中の何%かは壊れた人が出て犯罪を犯す。情報が限られた時代でも津山三十人殺しのような事件は起こる。
もし禁止するというなら、汝殺すなかれと殺人を禁止されたキリスト教徒が十字軍の昔からイラクの今に至るまで殺人を繰り返しているかという矛盾を子供にきちんと説明してからだろう。
私自身、殴り合いのケンカで相手の主張、痛みなどを感じ友人を増やしてきた経験もあり、そういう事は例としてアドバイスしますが、さすがに「殴り合え」とは言えませんので、「趣味を増やし視野を広く持つ」と言う事をアドバイスしてます。
それは他人の夢中になるものを全否定してしまうのではなく、まずは「体験し」少しでも相手の心をわかり合うという事に繋がりますので。
他人を「理解」と言うのははっきり言って不可能ですので、1%でもわかる糸口があれば、それを使う事それが大切だと思います。
ただし、「野球は乱暴な人がいるから、やってはいけない」とか「否定」で教えてしまえば、その分野自体を子供はイヤになってしまい、せっかくのチャンスを潰す結果にもなりかねないという事です。
ニュースなどの不祥事報道で「警察官になって正義を貫きたい」とか言わないんですよ(中には逆に奮起する子もいますが)
「否定」と言うのは簡単なんです。現在、マスコミで取り上げられベストセラーになっている本を見ればわかりますが、「反」とか「嫌」とかそういう物が来てますよね。
それなのに、犯人の属性として「ゲームをやっていた」ことばかりがクローズアップされるのっておかしくありませんか?
また、私は「リアルな表現ほど悪影響が強い」と仰る人も沢山見てきましたが、これを裏付ける学術的根拠といたものを一切目にしたことがありません。
リアルな表現よりも、むしろ与えられる情報の限定されたチープな表現、あるいは映像自体が存在しない小説のようなもののほうが想像力を書き立てられ、作品に深くのめりこんでしまう。だからチープな表現のほうがむしろ悪影響は強いのではないか―と。
それに、世の中にはどうにも「殺生を描くことは非文化的である」と考えておられる方が多いように感じますが、これだってほんの少し文学をかじっただけの私ですら、間違いであると確信できるものです。
ドイツ文学の名著なんて、大部分が淫欲・頽廃・不道徳といった要素(もちろん殺生も)を含んでますし、伝説上の英雄ジークフリードだって、人もドラゴンも殺せば(事情があるにせよ)義兄の妻を強姦するような真似もしていますからね。
じゃあこれらを規制しましょう、なんて言ったら、ドイツはもとより世界中の有識者から大顰蹙を買うのは目に見えていますね。
そんなもの昔からあるじゃないですか。チャンバラとか。こっちのほうが自分の身体を使っている分、体験としてはリアルですし。
「リセット症候群」については、「リセット」を悪用しているのが自称分別のある大人達(警察など)ですが。
>マスコミが「暴力ゲームが犯罪を誘発している」と煽る事が、「マスコミの流す報道や番組が、一方で犯罪を誘発している」という指摘から目を逸らさせている事になります。
ありがとうございます。なるほど。それが真で意識的にやっているとすれば犯罪の領域にはいりますね。ちなみに、「マスコミの流す報道や番組が、一方で犯罪を誘発している指摘」については具体的にURLなどを提示していただるとありがたいです。
まさにここを考察したいのです。「殺人」を入れないと業界が成り立たないのか?他の刑法犯罪は「既に」ことごとくすでに禁止しているのに殺人は禁止していません。本当に業界が成り立たなくなるのか?
このあたりは、ちょっと思考のヒントになるかも知れません。私は、先にも述べたとおりCEROの禁止表現が何故そうなっているのかを知りたいのですが、これを、
と変えると、少し違和感を覚えます。うーむ。ただ、私は、どうしても人の行為を見たり想像するのと、自分の行為として行うことに違いがあるような気がしています。だから、過去の名作における殺人シーンはこの法案では範囲外となります。
「良いゲーム」の定義を、この法案に抵触しないゲームということであれば、自らが人を殺すことのないゲームです。多くのゲームに自分が人を殺すシーンは入っていませんね。ですから現存する多くのゲームは抵触しないと考えています。
>これまでの議論を読む限りでは、多くの方は平野さんと同じ認識には立っていないように思えます。(殺傷という表現に関する認識の相違がありそう)
ありがとうございます。確かに指摘の通り「殺傷」に関しての定義があいまいだったようです。私は本文中にもコメントでも一貫して「人を殺す」ということを前提としていましたが、「殺傷」そのものの意味には傷つけるだけの意味も含まれますので、明確に定義すればよかったと思います。ご指摘ありがとうございました。
お知り合いどころか、一緒に大学を辞めた人です(笑)。繰り返しますが、「ゲーム=悪」とは考えているわけではありませんので、よろしくお願いします。
>まず、なぜ人を殺してはいけないのか?この命題に対する明確な答えを私は今日まで目にしたことがありません。
深いですね。この思考実験はそこまで考えられませんので、現在の刑法に準じて「殺人=悪」という前提で話をさせていただきます。
>例えばゲームの殺戮シーンを禁止する前に児童虐待を撲滅すべきではないですか?自己中心的な大人を社会から減らすのが先ではないでしょうか?
「〜をする前にやることがある」というのはよくある意見ですが、個別に検討してGOであれば並行してやるでよいと思います。仕事においても、いろいろな問題点に対して「〜をする前にやることがある」という話はよくありますが、そうしていると問題解決のアクションがすべてシリアライズされてしまいタイミングを逸したり手遅れになったりすることはあります。
>報道も統計も、作成者の意図で如何様にも印象操作できますので、何が本当なのかはわかりませんが〜最初の論点に成ると思います。
おっしゃるとおりですね。少年殺人が増えていても減っていてもいずれにしても因果関係の証明にはなりません。因果関係については、実際の研究などで確認するしかないのではないでしょうか?
>思考実験とは言え他人の家に土足で踏み込むような真似をしたのですから、大変なことだとは思いますがせめて責任を持ってこの思考実験に決着をつけてくださいね。
土足で踏み込むつもりはまったくありませんでしたが、そう感じられたようですので、この点はお詫びいたします。決着についてmmtさんの望む形かはわかりませんが、皆さんから出た意見をまとめて新しいエントリを立ててました。
>個人ブログとはいえ、プロフィールを公開しているんだし、そんな人が社長をしている会社のソフトってどうよ、なんか検閲ツールやスパイウェア入ってないかとかまで考えてしまうのですが。
実名で書いていますし、会社の立場も公開していますから、私としては常に真剣勝負です。私自身、社会には多様性があるべきと考えていて、また会社の中についても同様と考えています。これまで、会社は意見がひとつにまとまっていることがよしとされていましたが、私はいろんな意見があって刺激しあうことのできる会社にしたいと考えています。だから、会社でも外部での自由な発言や活動を奨励しています。そのような考えの一環として私自身も外部でブログを書いているわけです。
ところで、老婆心ながら、ご意見は自由ですが意見と人格や製品を関連付けるのはあまり利口な方法ではないので、今後あまりやられないほうが良いと思います。議論の際には「人」と「意見」を分離して考えるべきです。外人には日本人は人と意見の分離が苦手だなどといわれることがありますが、人の中傷に走ってはまともな議論はできません。
また誤解を生んでいるようで申し訳ありませんが、「ゲーム禁止」ではありません。ましてはゲーム=悪影響とも言っていません。よろしくお願いします。
>それは他人の夢中になるものを全否定してしまうのではなく、まずは「体験し」少しでも相手の心をわかり合うという事に繋がりますので。
>ただし、「野球は乱暴な人がいるから、やってはいけない」とか「否定」で教えてしまえば、その分野自体を子供はイヤになってしまい、せっかくのチャンスを潰す結果にもなりかねないという事です。
やりとりするほど、toruさんとは近いスタンスのような気がしてなりません。自分自身でのリアルな体験が大事だと思います。野球でもなんでも怪我する危険があろうが、どんどんやったらという考えです。
ちなみに、私が小学校に入るころになりたかったものは「汽車の運転手」でした。あ、これも現実的過ぎますか(笑)。
>その夢を持ったきっかけがゲームであり、今マスコミなどでバッシングを受けているジャンルであるのです。
この点、もう少し聞かせていただきたいのですが、ゲームがバッシングを受けていることで夢を諦める子供がいるということですか?
おっしゃるとおりです。悪いところを指摘するのは簡単ですが、物事を正面に捉えて進めていくことはその何倍ものエネルギーが必要です。私はよく「観客になるな、プレーヤーになれ」と言っています。観客になっていろいろ言うのは簡単ですが、プレーするのはそれはそれは大変なことです。しかし、なぜプレーヤーになれと言うかというと、それは結果として得られるものも大きく違うからです。
>リアルな表現よりも、むしろ与えられる情報の限定されたチープな表現、あるいは映像自体が存在しない小説のようなもののほうが想像力を書き立てられ、作品に深くのめりこんでしまう。だからチープな表現のほうがむしろ悪影響は強いのではないか―と。
これはこれで仮説として、いろいろな意見を聞く意味があると思います。私の法案も、エントリに書いているとおり、アイディアを皆で考えてみようという主旨です。
>ドイツ文学の名著なんて、大部分が淫欲・頽廃・不道徳といった要素(もちろん殺生も)を含んでますし、伝説上の英雄ジークフリードだって、人もドラゴンも殺せば(事情があるにせよ)義兄の妻を強姦するような真似もしていますからね。
そこで、わたしがいま理解できないのは、すでに存在する業界の自主規制の禁止事項で、「強姦」「麻薬」は禁止され、「殺人」「暴行」は禁止されていないと扱いが違うことです。黒屋さんの意見に従うといずれも禁止時事項にあたらないほうがいいとうことですね。
今まで色々な規制論者を見てきましたが、ここまで紳士的な対応の人は非常に珍しいです。しかし、申し訳ないが、論破されつくしている意見で、少々食あたり気味です。
映画も規制だ小説も規制だ漫画も規制だスポーツ系の婦女暴行が多いきっとスポーツのせいだスポーツも規制だ模倣犯がいる報道も規制だ自動車事故が後を絶たない自動車も規制だ自転車も危ない自転車も規制だ児童が目撃する可能性もある悪影響だから性行為も規制だ親日派は悪だ親日な本も規制だ団塊世代の犯罪が多い団塊の連中も規制だDHMOが麻薬中毒者の尿から検出されるDHMOも規制だ火事の原因だストーブも規制だライタ(ry
でも、「なんとなく」「気がする」での規制を突き詰めると、ゲーム規制論と同程度の論理レベルなわけでありまして。
そして、「なんとなく」で規制がまかりとおる悪しき前例を作った人間がどこぞの神奈川県知事で、批判を集めているわけです。
多くの方のご指摘のとおり、ゲームと人間の犯罪、暴力的行動との関連性はほとんどありません。「ごく若干の相関が見られる」といった程度です。
ピラミッドを建造した古代の人々のように「最近の若い者は」といった当て推量があるように思われます。一度「ボウリングフォーコロンバイン」でも見てはいかがでしょうか? あの悪名高いマイケルムーア監督の作品ですが、しっかりとしたドキュメンタリー映画なので、きっとここにいらっしゃる多くの方のご指摘がご理解いただけると思います。
こういった規制論議はゲームに限った話ではないと思うのです。低俗なTV番組を規制しろ、氾濫する性風俗から子供を取り締まれ、子供の前で汚い言葉を吐かせるな、ゲームという狙いやすいターゲットのみならず、およそ小説や映画、教師といった子供に関わる全ての要素に対して、責任を問う声があがります。
殺人犯曰く「ゲームと同じように人を殺したかった」とか、「ゲームを遊んでみて人を殺したくなった」といった報道は今まで幾つありましたか?
もちろんそれくらいのデータは把握されているかと思いますが、まずそれよりも先に子供を産むことを免許制にすべきだと思いませんか?
他にもそう思われている方もいらっしゃるようですが、ネットの一部、実際に規制のある一部ではそうでしょうが、他の世の中の大半の人はそう感じていないと思います。これだけ反対意見やその元になる資料を出していただいた後の投票においても「賛成」票があれだけ出ているということは、世の中的に議論が尽くされているとは受け取れません。
この案の前提は「ゲームが悪影響を及ぼす」というのではなく、「自ら操作するゲームは影響を及ぼす」です。ですから殺人などを自ら行うことに視点を向けています。
次のエントリで触れましたが、少年犯罪の増減だけでは、いずれにしても不要必要どちらの論拠にもならないと思います。
「なんとなく」でまかり通ることはないでしょうが、論理的な根拠なく賛否だけで決められた法や規制は歴史的に存在します。そのようなことを減らす意味でも多くの人がちゃんと考えてみることは意味のあることではないでしょうか?
>もちろんそれは何故かおわかりになるくらいのデータ収集は出来てるかと思われますので理由は書きません。
新しい意見ですね。申し訳ありませんが、「子供を産むことを免許制」にすべきなのが何故かというデータは持ち合わせていません。本論とは外れますが、興味の対象として理由やデータを提示していただければ幸いです。
犯罪を犯す少年は、親からのDVが原因であったり、親からの軽蔑や軽視、強いては子供自身が抱く疎外感や束縛から逃れたい気持ちを具現化した事によるものが大半を占めると考えます。
ゲームを殺人の動機として批判の対象とする前に、その関連性の実際のデータをもっと調べて見ては?あまりにも根拠が無い議論だと思います。単にマスコミや世間をみて騒がれているからこう思う的なステレオタイプな意見としか聞こえません。そもそも、殺傷シーンが、人間の命の大切さを説明する、または表現するためにどうしても必要であるならそれはどうするのでしょう?我々は、命の尊さというものを周りの親しい人間やペットがもたらす、「死」という概念から得るところが非常に多いです。あなたの言うように、リアルすぎる描写、が感情移入のし易いストーリーで表現された時にそれと同じか、もしくは近い感覚を教えてくれるのではないでしょうか?
オルタナティブ・ブログは、専門スタッフにより、企画・構成されています。入力頂いた内容は、アイティメディアの他、オルタナティブ・ブログ、及び本記事執筆会社に提供されます。
リアリティが映画並に高くてもゲームは所詮ゲームでしかありません。もし、犯罪を犯した連中がゲームに影響を受けて犯行に及んだというのが事実だとしたら、殺傷ゲームを禁止して...
一理はあると思うのだけど、一理しかない。要するに殺傷のイメージの量と質の問題なわけだ。少量でも深く浸透すれば効果は高いから、インタラクティブ性の高いゲームが狙われやすいのだろうけど、そこに辿り着くのは安直でナンセンスだ。ということを理解するのには、おそらく物心ついたときからいろんなテレビゲ...
社内ブログのほうでフォローしようと思ってたんですけど、最近(自分的に)流行の私信晒しモードで書いてみようかなと。
なお、たまたま前回のエントリが「平野啓一郎」への私信で、今回のお相手は「平野洋一郎」で、名前はクリソツですがこの二者間には何も関係がありませんので、お間違えなきよう念のため。平野洋一郎というのは、インフォテリアUSAの親会社にあたるインフォテリアのCEO、つまりぼくのボスです。
いまだに、残虐ゲームを規制すれば子供の心にゆとりができると言うような空虚な言論を並べ立てているものがいるのかと思うと呆れるとともに悲しくなる。
と、いうことでゲーム規制1年の節目と言うことでそれに関する自分の意見を交えてこの問題に突っ込んでいきたい。

 

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