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無知とは?/ アイフル

[ 568] 「無知」に対し、中途半端に絡むのが一番タチが悪い :Heartlogic
[引用サイト]  http://www.heartlogic.jp/archives/2006/12/post_57.html

はじめて入った出版社の先輩編集者にすごい人がいた。読者から(たぶん)の電話にキレ調子で応対していたかと思ったら、電話を置いて「まったく、○○(なんかのソフトの名前)のことも知らないで電話してくるなっての」とかおっしゃるのだ。
雑誌、特に専門誌というのは、読者が知らない情報や読者が持ち得ない視点を提供することによっておまんまの種を稼いでいるわけで、読者がモノを知らないのは普通だ(超マニア向けのせまーい専門誌になるとまた事情が違いますが)。編集者として根本的に間違った思想じゃないかと、非常にイヤな感じだった。
「無知は罪」という言葉があるが、これは「知らないことは悪。知らない奴は罪人」という意味ではなく、「人は、知識がないと罪に当たることをしてしまうこともある。でもそれは、知識がなかったことが問題だっただけで、その人が悪いわけではない。無知こそが罪であり、人に罪はない」といった解釈が適切だと、どっかで聞いたことがありますよ。ソース見つけられませんでしたが。
「知らない」ことを非難したりバカにしたりするのは、一定のルールを双方が共有している場合(互いに知識競争をしているとか)以外では、無意味だし無作法だろう。健康のためにジョギングをしている老人をダッシュで追い抜いて、勝った勝ったと騒いでいるようなものだ。そういう俺ルールの勝負で勝利宣言して喜んでいる姿が微笑ましいのは、せいぜい小学5年生ぐらいまで。
多くの前提を共有できる「わかっている人」同士の会話は、いきなり本題に入れるから楽だし、ストレスなく突っ込んだ会話ができるから、とても楽しい。ただ、ある分野における「わかっている人」は増えにくく、閉鎖的なコミュニティになってしまいやすいという問題がある。ビジネス用語で言うところの「パイが小さい」ってやつ?
「わかっている人」を増やしたい、周りの人を「わかっている人」に仕立て上げたいと思った時には、「わかっていない人」に伝えるための言葉選びや話し方ができないといけない。実はこれはなかなか難しく、コミュニケーションがうまくいかないことも多いからストレスにもなる。
このブログだって基本的には「ある程度わかっている人」向けの言葉で書いている。「わかっていない人」を「わかっている人」に引き上げるための文章を書くことは非常にコストが高く難しいため、希少性が高く、商売として成立しやすい。だから、そういうスキルが高い人はあまりブログにやってきていないように思う。
わかってない人の解釈がそれをよく知らない人たちの間に広まるのが許せないのなら、自分から知らない人たちに向けた情報発信をすべし(ARTIFACT)
上記エントリはその標題から続く部分にはおおむね同意なのだけど、「カウンターの書き方」みたいな方向にも行ってるのが気になった。加野瀬さんは文脈の中で「わかってない人」側の当事者でもあるため、「俺を凹ませたければこれくらいやってみせろよ」という挑発なんだと誤読されるおそれがある。当然それは折り込み済みだとは思うけど。
また、この前後の文脈の中での「わかってない人の解釈がそれをよく知らない人たちの間に広まるのが許せない」的情報への対応法としては、シンプルに誤解の訂正や疑問の提示という形でやる方法もあるし、「知らない人たちに向けた情報発信」という方法が唯一の解ではないと思う。
それにしても、中途半端に誤解を指摘して(感情的なものだけを表明して)、「なにが違うのか?」といいう当然相手が持つであろう疑問にちゃんと答えてあげないのは、とりあえず不親切な人だなという印象になる。
「わかってない人」と何も分かち合う気がないなら単に無視すればいいし、「わかってる人」になってほしいならきちんと教えてあげないと意味がない。また、コミュニケーションはしなくていいが誤解は正したい、という場合は、その「正したい」というミッションを達成するために、それなりにコストをかける必要があるのではないだろうか。まとまった「知らない人たちに向けた情報」のアーカイブがひとつあれば、類似の「わかってない人」に対してそこを読むように言えば全部解決する、という効果もある。
このエントリへの反応として「知らない人向けに情報発信するのはコスト(時間、難易度両面で)が高くてできない」的なものが多いみたいだ。そりゃ当たり前で、スキルと時間がそれなりに必要な作業であることは間違いない。
ひとつは「Wikiとか使えばいいんじゃね?」ということ。まずは自分の分かってることだけとりあえず書いて、後はほかの人に委ねる。個人の編集スキルのかわりに集合知に頼るわけだ。はてなグループって、こういうことをするためにあるんじゃないのだろうか。あと、いわゆる「まとめサイト」的なものを指向して作れば、自分の作業は最低限にできる。Web上にあまり情報リソースがないジャンルでは難しいけど。
もうひとつは「狂気(自分が感じたミッションに対する使命感とでも呼ぶべきもの)が足りない」という指摘。好き(趣味)で何かをするときに「難しいから/時間がないからやらない」というのはつまり、その壁を何とかして乗り越えたいと思うほどには好きじゃない、ということだ。中途半端に突っ込むのが悪い。「わかってない奴」が目障りだとしても、最後まで面倒みきれないならほっとけばいいのに。ケンちゃんが全部面倒見るっていったから飼っていいって言ったんじゃない! ポチだってちゃんと面倒見てくれる人に拾われた方が幸せなのよ!
ただ、上記エントリの件でいえば、一方の当事者が加野瀬さんといういささか特殊な存在なので、「オタク全般について深い知識を持ってると思ってた加野瀬さんに意外な弱点があるという発見に興奮しました」とか、「あなたのような発言力のある人が間違った情報を流すのはとても困ります」といったことがある(特に後者)ので、単に「中途半端に突っ込むのが悪い」という言い方はちと公正な見解とは言い難いかもしれない。すいません。
そして、狂気が足りないのは別に悪いことじゃないし、私もそれを批判したいわけではない。ただ「凡庸だ」というだけ。
このように「わかっていない人」のために文章を書くことは難しいが、書かなければならなくなることもある。
たまに「上手に文章を書くにはどうすればいいんですかね?」的な質問を受けることがあって、すごく困る。何しろ私は編集や文章について体系だった教育を受けたことがなくオール我流なので、こういった時に上手に教えられなくて苦労する。
文章にもいろいろあるが、「わかっていない人」のための文章を上手く書く方法として、ひとつ、わりと自信を持って言えるアドバイスがある。それは「相手の気持ちや知識を想像すべし」ということ。世の一般的な人はインターネットに対してどのような認識・知識を持っているのか。クラシック音楽にこれまで興味を持ってこなかった人はなにゆえ興味を持てずにいて、どうすれば興味を持ってくれるんだろうか。よくある誤解、よくある障壁は何なんだろうか。そういえば、俺が興味を持ったきっかけは何だったかな、とか。
「わかっていない(し興味もない)」と「わかっている」の間にはどんな隔たりがあるのか、どういうものによってその間を繋げばいいのか、のイメージができれば、何を書けばいいのかもおのずと見えてくる。
ただ、意外と金持ちが貧乏暮らしをイメージできないように、「わかっている人」は「わかっていない人」をなかなかイメージできない。ここが難しいが、ネットを使えば「わかっていない人」の言い分を探すのもわりと容易だし、その人に直接ヒアリングすることだってわりと容易だ。
「わかってない人」のため良記事として今パッと思い浮かぶものがないんだけど、これを読んだおかげで対象に対する興味が湧いた、というサイトはいくつかあったと思う。思い出したら追加する予定。
よくある誤解や疑問を拾ってQ&A形式で解説されており、それほど興味がない人も引きつけられるし、ぐいぐい読み込まされてしまう。この形式は他のテーマにも応用しやすく、作りやすいのではないだろうか。Q&Aははてな等のQ&Aコミュニティサイトから拾ってくるという手もある。

 

[ 569] 羨望は無知
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/ConquestArrow/

日本の開発者の職種には「プランナー」という職種があるようだね。なんでも、プロジェクトマネージャーとデザイナー*1を兼ねたような仕事らしいね。
本来別職種・別スキルの必要な2つの職を兼ねる「プランナー」は欧米開発者の目には相当奇異に映るようだ、と感じた。考えてみれば、プロジェクトマネジメントとゲームデザインはそれぞれひとつの学問を形成するぐらい(特に前者)であり、究めればキリがない。その2つのスキル*2を同時に要求するプランナーは、ある意味スーパーマンを要求するようなものであり普通に考えれば成り立たない。彼らにしてみれば、そのような分業化があいまいな中、一体どうやってプロジェクトを進めているのか相当の関心事であることは想像に難くない。
そういう考え方もできるが、お金が必要な時期に1か月分のサラリーが入ってくるのはとてもありがたい。
欧米の開発だと、消費者と直接メールのやり取りをしたりフォーラムを設けたりして消費者と直接かかわり合うことが重要視されているけれども日本ではどうだい?
ただ、「2ちゃんねる」という有名なメッセージボードの書き込みはスタッフみんながチェックしている
直接メールなどでやりとりしたからといって、本音を言ってくれるとは限らない。そういう意味ではメッセージボードの方はいいことも悪いことも本音で書かれるのでとても参考になる
ま、「スタッフひとりひとりが消費者の意見をそうやって汲み取っている」と言われると大層なことをしているように見えますがね。
前提として、欧米ではPCの市場があるので日本のコンシューマーよりも消費者と開発者の間の対話が重視されてきた、という市場と歴史の違いがある(そういう意味では、オンラインゲーム市場ではコンシューマーよりも欧米に近いかもしれない)。ただ、PC市場が日本でしっかりしていたとしても、面と向かって批判しないことを美徳とする文化圏ではうまく消費者の意見を汲み取れない、ということも容易に想像のつくことではある。どちら方式がよい、とは言い切れない。下手に聞きすぎても、声の大きなユーザーの趣味に合わせてしまって、大多数の「現状で満足」という無言のオピニオンを見逃すこともある。どの業界でも消費者のニーズの汲み取りは難しいもの。
ここで代弁して答えておくと、「散発的な事例を除き、つながりはほとんどない」。まあ、以前に比べれば状況は改善しつつあるが、欧米の開発者が日本の事例に学ぶことは、「脳トレ」の事例くらい*3ではないか。
日本のジャーナリストはとても頑張っている、と個人的に思う。業界が良く分かっていない、という批判もあるが、鎖国主義のこの業界ならある意味当然である。学生時代の私の経験からすると、英語の文章で国内の業界の様子を探るぐらいしか情報がなく、その情報もやはり数ヶ月のアルバイトで得た経験にはとても適わない量であった。ゲームジャーナリストの苦労は想像以上だろう。
ここ数年GDCやCEDEC、DiGRAなどのカンファレンス・学会の情報を日本語で伝えてくれるお陰で開発の現場としてはとても助かっている。実際に参加したほうがそれはもちろん得るものは多いが、そうそう行けないのが世の常、記事には頭が下がる思いである。「あの記事見といて」とURLを送るだけでコンセンサスが取れる利便性に適うものはそうそうない。鎖国主義は国外に向けてではなく社外にむけてのものなので、些細な日本の他社の状況だけでも現場としてはかなり価値のある情報なのだ。
「脳トレ」をはじめとするDSブームは、市場のパイをこれまで対象でなかった人々にまで広げた。この傾向は今後も続き、「1億総プレイヤー時代」が近い未来に訪れることだろう。その社会に対する大きな責任が生まれる未来にゲーム企業・業界が求められるのは「公共性」とそれを支える「透明性」である。では、現状の透明性は如何?
「映画の作り方わかりますか?」と一般人に質問して監督とカメラと俳優の違いが分からない人はいない。では、ゲームの作り方は?…あれ?新聞に「ゲームクリエイター」なる謎の職業名が踊ってる!?オレもこれになんの?えー!
…現状の情報公開度合いでは、この業界にその責任を負う資格はない。いつまでも趣味の延長線上ではいられない。子どもが大人にならないのは死ぬ時だけだ。
何故こんな話を書くかと言えば、キーになるのはジャーナリストだからだ。開発者の皆さん、もっとジャーナリストの人たちと仲良く、情報公開しましょう*4。ジャーナリストの皆さん、開発者も唸るいい記事書いてね!
この業界には政治に積極的に介入できるほどのロビイストは居ない。精々、コンテンツという呼称に涙を飲んでCoFesta/CEDECセミナーをタダにするのが関の山。逆に政治側からの介入は地方自治体レベルではあるが、まあ、それでもたいしたことはない。北米の事情に比べるとなんとも薄い関係である。
売れてはいないが、開発者は大分欧米のゲームをプレイしている。欧米のゲームが好きな人も沢山いる。
暴力表現に対して文化的な違いがあるとか?たしか、体の一部がちぎれるような表現はだめだとか?なんでも、体と魂が別であるという考え方ではなく一緒であるという考え方が強いので受け入れられないと聞いたが?
デラロッカ氏はどうも日本の文化に対して勘違いしているところがあるようだ。かつての首切りの風習が文化的背景となって暴力表現の受容度合いに影響を与えている可能性はあるが、正直売れない理由を文化に求めるのは賢明な判断ではない。
なんといっても最大の理由はマーケティングである。日本製タイトル並みなら売れるとは決して言わない。だが、同程度以上にやらなければ売れることもまたないだろう。結局は、何故か欧米で売れない日本製タイトルと同じ。市場にタイトルを合わせるのだけがマーケティングじゃない。タイトルに市場を合わせるのもまたマーケティングだと思う。
日本で働く上で人種差別みたいなのはあるかい?"ガイジン"だから、ということで差別されたりすることは?
日本の社会や企業には官僚主義的なところがあると聞くが、そういうところはあるのか?"ガイジン"の開発者の出世が制限されているとか?
他の業界でも問題になる事だが、2・3番目の問題は比較的この業界は恵まれていると言えるだろう。なんだかんだいってATARIカルチャーの継承者なのは洋の東西を問わず。
「ドラゴンクエスト」のようにこれが出ると他のソフトが売れないというような日本ではとても影響のあるタイトルがあるが、欧米では全く知られていないのもある
神話化する日本発イノベーション。ただし、日本の老舗系企業(任天堂や旧ナムコなど)にはイノベーションを育てる*5ノウハウがあるように外部からは見受けられる。生のイノベーションは食えないことを良く理解し、調理法を心得ていることが結果的にイノベーションとして評価されてきたとも言えるだろう。
「安い予算の中、ハングリー精神で云々」という美談も結構だが、精神論ではなくノウハウの形で理解しないのは賢明ではない。
(既に開発者比率は欧米と変わらない、アーティストの場合は比率が高いという話がされたという説明)
オブリビオンのようによくできているがこのグラフィックが日本では、というような例があるが、日本のゲームでこうすればよかった、というものは。
外から見ると良く見える、とはよく言ったもので大変興味深いシンポジウムだった。第3者的視点はいつも有効だが、交流が少なく、文化的な島国根性・鎖国主義の中に居ると、その事実すら認識できないことには恐ろしささえ感じる。
残念なのは、ディラン・カスバート氏が欠席だったこと。他のパネリストでは答えられない質問がいくつかあったが、氏の経営者としての経験、日本在住の長さを考えればもっといろいろ興味深い話が聞けただろうに実に残念である。
なにが凄いかって、二日かけて12のプログラムがありながら無料。普通はありえない。これぐらいの規模なら5000円から1万円ぐらいの参加費はかかるのが普通である。
9月24日はしかも休日なので、時間が取れない、仕事が忙しい、という人もそういう言い訳は通用しない念願の機会に違いない。
シグナルトークでは、社会人や学生から開発メンバーを広く一般公募し、毎週日曜日に集まって製品化を前提としたゲームを作るプロジェクトをスタート。
あと気になるのは、Keyクラス周りか。Wiiリモコンはマウスポインタとしては受け取れているので、その他のボタンやクラコン操作が出来るかどうか気になるところだ*5。
※なお、今回のコードは機能があるかどうかのチェックだけなので、本当に正しく動作するかどうかをチェックしたわけではない事に注意。たとえば、通信ポートが塞がれていればXMLSocket系の機能は実装されていても使えない。

 

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