走るとは?/ アイフル
[ 488] 走る!飲む!読む!
[引用サイト] http://rundrink.exblog.jp/
今日は午前中に、都内の某私立大学で講義でした。1年生が多いようで、さすがに若いですね〜。僕が大学を卒業した頃に生まれた子たちですからね。 偏差値的には比較的高い大学ですが、格好はどこにでもいる普通の若者です。でも、さすがに居眠りをしている学生は少なく、やんちゃそうな男子学生も真面目に真正面で受講していました。 持っていったパワーポイントのデータが上手く開けずに、ハンドアウトを書画カメラで写しての、なんだかアナログな講義でしたが、準備に時間を掛けただけのことがあり、なかなかよかったのではないかと自画自賛。しかし、ちょっと寝不足でして、会社に戻ってからの午後の会議で寝そうになったことは、学生達には内緒です。 夜は、会食。初めてのお店でした。渋谷は百軒店商店街を少し入った、やや怪しげなところにある「月世界」です。ここは、基本は中華なのですが、お野菜の料理がオススメなのだそうです。 いただいたのは、涼拌豆腐絲(細切り豆腐の香味和え) 麺の様に見えるものが、細切り豆腐です。これは、なかなか秀逸なひと品でした。 6月7日(土)、アキレス腱は痛むが、我慢できるレベル。スキー場での激下りは膝をかばって、ちょいスピード規制。 少し心配を抱えて参加した霧ケ峰でのトレランツアーですが、終わってみると、足にはいい調整になったような気がします。まだ、ちゃんと走っていないので、ぬか喜びかもしれませんが。でも、歩いても痛い状態から、歩くくらいでは気にならない状態まできているので、快復していることには違いないと思います。 さて、今週は大学での講義などもあり、やや忙しいのですが、金曜日には代々木RCの集まりなどあり、楽しみにしています。時間が作ることが出来れば、会合の前に皇居をクルクルと回っておきたいところです。 この週末は、霧ケ峰までトレイルランニングのセミナーに参加しに行ってきました。徐々に山足の調子を上げていきたいと思っていたので、申し込んだのですが、膝の調子やアキレス腱の具合も思わしくなく、直前ちょっと躊躇したのですが、やはり行って良かったですね。お天気にも恵まれ、参加者のレベルが高いので、自分ひとりでは追い込めないペースまで上げることができました。 7日土曜日6時に集合し、4名で蓼科方面に向かいます。まず、ピラタススキー場のロープウェイに乗って山頂駅まで昇ります。お天気もまずまずで、観光のお客さんも多いです。坪庭を少し回り、北横岳山頂を目指します。 途中、雪がところどころに残っていますが、まあ登れます。雪に埋まった腕時計などを掘り出しながら、約35分で山頂へ。南峰では、ヤマケイの方の取材を受けました。 午後は、白樺湖畔に集合して、トレイルランニングツアーの開始です。1日目は、女乃神茶屋から東急トレッキングコースを回ります。 東京近辺ではなかなかないトレイルに、気分は最高。気持ちよく走ることができます。しかし、Aコース(パフォーマンスアップを目指す人向け)の参加者のレベルは高く、付いて行くのがやっとです。思いがけず、追い込みトレーニングになりました。 ツアーの途中では、講師によるセミナーが行われます。Aコースの講師は、渡邊千春さん、鈴木博子さん。いずれもトップクラスの人たちです。レースのスタート前に見かけることはよくあるのですが、さっさと先に行ってしまうため、彼らの走りをジックリ見る機会は、意外とないのです。 1日目は、約18km走って終了。風呂の後は、装備などに関する座学。ハイドレーションの中は、真水派が多いことがわかりました。 8日は、車山方面へ。まずは、殿城山への登り。アキレス腱が傷みますが、なんとか付いていきます。ここから先は、気もちの良いトレイルが続きます。 今まで、下りを目一杯の速度で下ることは、なんとなく封印していました。理由は、怪我をしたくないからです。それは、下りに自信がないからでもあります。しかし、今回腰を高い位置に保ち、ストライドを伸ばして下ると、あの気持ちよさを取り戻しました。 再びトレイルに戻り、車山の肩を目指します。ここで、Bコースの人たちと合流しました。待っている間に、信濃毎日新聞の記者の方から、取材を受けました。 風呂で汗を流した後は、解散式。その時の抽選で、ハイドレーションをいただきました。その後湖畔で蕎麦を食べて、高速に乗って自宅に帰ると21時でした。充実した週末となりました。 梅雨時にいい感じに晴れて、しかも昼休み前後に余裕がある、そんな時走らずにはいられるでしょうか。速攻で着替えて皇居に向かって走り出しました。リハビリモードでそろそろと走るのですが、足の調子はまずまずの様です。10分も走ると、汗が吹き出てきます。 会社に戻り、着替えてからハナマサでランチ。960円のハナマサステーキであります。ここは、生のお肉が、熱々の鉄板の上乗せられて出てきます。自分で適当に裏返して、好きな焼き具合で食べるというシステムです。「やわらか加工」という謎の加工が施されているようですが、どんな加工なのかは不明。あまり深く追求しない方がいいかもしれません。ただ、それほど柔らかくはなかったですね。 さて、土日は霧ケ峰トレイルランニングセミナーに参加です。どうやらお天気も、悪くなさそうです。まだまだ本調子ではないので、ゆるゆると楽しんで来ようと思っています。 新作が出ると必ず読んでいる作家のひとりが、ジェフリー・アーチャーです。『百万ドルをとり返せ!』から、邦訳されたものは全て読んでいますので、もう30年以上にわたり愛読していることになります。(『百万ドル・・・』の邦訳出版は1977年) 聞いた話がベースになっているからでしょうか、彼一流の切れ味にはやや欠ける気はします。あと、何度読んでも少し理解できないところも。これは、僕の理解力の問題かもしれません。 と、やや辛口に書いてみたものの、やはり軽妙な語り口は秀逸です。もちろん、長年訳を担当している永井淳さんの能力に負うところも多いような気がします。 話は変わりますが、最近フレデリック・フォーサイスも新作が出ています。まだ、読んでいないのですが、作風こそ異なるものも、往年のベストセラー作家が健在なようで嬉しいですね。 良く良く考えてみたら、僕のこれまでのランニング人生は、膝の故障の繰り返しでした。これでも、最近少しは強くなったかなとは思うのですけどね。 そして、膝が痛くて走ることが出来ない時には、階段で鍛錬していたわけです。そういう意味では、階段鍛練が僕のトレーニングの原点ともいえます。2006年ごろは、ほとんど走らず、寸暇を惜しんで階段を昇っていました。 膝の調子があまり良くない今こそ、初心に帰り、トレーニングの原点に戻るべきかと。痛い時には、痛いなりのトレーニングがあります。階段を地道にこなしながら、膝の快復を待ちましょう。幸い、さほど重度ではないので、6月中の調整でなんとか復調しそうです。 というわけで、トレッドミルで高傾斜ウォーキングの後は、階段4本。この時期になると、空調の効いていない非常階段は、それなりに暑くなります。(真夏などは、ひどいものです。)汗ダラダラかきながら、ガシガシ4本昇ってきました。 日本山岳耐久レースのランネット申込が、6月2日17時で締め切られたのですね。今年から、ランネットでも都岳連個人会員申込が出来ると知らなかった僕は、昨日申込書が届いていたので、先ほど郵便局で振込みをしてきたのです。昨日の夕方時点で締め切っていたとは!早過ぎです!来年からは、本当に抽選になるかもしれませんね。 それにしても、ランネットを事前に見ておけば、日曜日に個人会員申込していたのに...今年は、参加できないかもしれません。まぁ、正直言って、10月のことまで考えている余裕など全くないのですけどね。でも、昨年が不甲斐ない結果だっただけに、漠然とではありますが、今年はもう少しマシな走りをしたいと思っていたのでした。自分のミスなので、仕方ないですね。これは、ますます「夏」に集中しないと! 日曜日は、始発に乗って奥武蔵の練習コースへ。6時40分頃に正丸駅をスタート。朝起きた時から、なんとなく左膝に違和感があったのですが、走り始めてしばらくすると腸脛靭帯が痛み始めました。うーん、嫌な展開だなぁ。 舗装路を登り詰め、トレイルに入り、再び舗装路へ。せっかくのいいお天気なのに、気持ちよく走ることが出来ません。伊豆ヶ岳山頂まで55分くらい?タイムはいつもとあまり変わりません。山頂で、モニターのジャケットを着込んで、自己撮影。 ウエットな路面に、久しぶりのレオナが滑り気味です。昨日替えた車のタイヤのことを思い出しました。でも、もともとレオナは横滑りには弱いのですよね。特に濡れた岩の上では、横滑りを起し易いと思います。このあたりは、バスクの方がグリップ力に優れているかもしれません。 子の権現まで2時間弱。これもいつもと同じ。茶店の自動販売機でペプシを買って、一気飲み。前坂、大高山、天覚山、東吾野駅着10時25分。着替える暇なく電車に乗ったので、周囲の人に迷惑だったかもしれません。 12時前に帰宅できるので、効率よく練習が出来るので気に入っているコースなのですが、そろそろ膝の調子も良くなってきたかと思いきや、久しぶりの腸脛靭帯炎。まだ軽度なので、早めに治しておきたいところです。 なかなか、気持ちよく走らせてもらえません。6月は調子を上げていくぞ!と意気込んでいただけに、出鼻をくじかれた感じです。6月をどう過ごすか、この夏に向けて重要な分かれ目になりそうです。 本好きの僕もここ数年は、増え続ける本の量に危機感を覚え、ハードカバーの本は控ええいます。そんな状況においても買うのが、ジェフリー・アーチャー、ジョン・グリシャム、そして服部真澄です。 本書は、エネルギー問題、海洋問題をテーマにした作品です。前作の『テラバイト』といい、彼女の作品は現代的なテーマを上手く取り入れています。参考資料を見ていると、本作品で扱っているテーマも、全く荒唐無稽なことではなさそうです。 しかし、エンディングはちょっと物足りないかな。エンタテインメント性を高めるためには、もう少し意表をつく、あるいは盛り上がる展開が欲しいかと。月刊雑誌の連載なのだそうで、やはり書き下ろしの方が、トータルのバランスは良くなるのかもしれません。 |
[ 489] 走ることは考えること - livedoor Blog(ブログ)
[引用サイト] http://blog.livedoor.jp/payuta/
初の24時間走は不思議な世界だった。まだ余韻に浸っている。親切なスタッフの方々、エイドの美味しい食べ物、ひたすら走り続けた他の選手たちが、気持ちと身体が最後までもった大きな要因であることは間違いない。ただ不思議に頭に残っているのは「ハイ、10番さん、いま通過!」という周回計測のかたの言葉。136回も聞いた言葉だが、途中、深夜などランナーがまばらになって、何のために走っているのか分からなくなってきても、エイド手前でこの言葉を聞くと何故かうれしくなって、さあもう1周と思えたのだった。もしこの大会がチップによる自動計測だったらもっと早くイヤになっていたかもしれない。最初に挑戦したのが、こういう少人数の人間味あふれる大会で良かったと本当に思える。満足できる距離を楽しんで走れたし、24時間走はしばらくいいか、と終わった時は思ったが、ちょっとたってから振り返ってみると、頑張ればもうちょっとどうにかなったのではないかと欲も出てきたのである。終了時に「最後の方ずっと歩いていたのに意外と距離が伸びましたねぇ。走っていたら200kmいったんじゃないの?」とかスタッフに言われたけど、走れないから歩いていたわけで、そんなに甘くはない。それに最後4時間ぐらい歩いていた間も時速6km近く出ていたわけだし、終盤走れたとしてエイド休みを入れたら時速8km(k7.5分)ぐらいがせいぜいだろう。だから最後までなんとか走れる脚を作ったとして、この4時間で8kmぐらい距離がのばすのがやっと。190kmどまりである。自分の場合、長い休みをどこにも入れなかったので、休みを減らして距離を伸ばす余地はあまり無い。となると、もし200kmを狙ったりするなら全体的にスピードアップする必要があり、最後まで走り続けることとの両立が更に難しくなる。補給法、脚のケアなども考え直さないと。などといろいろ考えるのは楽しいなぁ。来年3月のお台場に向けて24時間走の戦略も練ってみようかと思ってみたりするのだった。 よく長い距離を走ると下腿や足が腫れると言うが、目で見て分かるほど腫れなかった。あ、SKINSの効果か?足の裏は腫れぼったい感じはするがマメなどはなし。靴下を替えずに走っていたら小指側に穴が空いていて、そこは多少腫れて痛くなった。翌日は大腿四頭筋、大腿筋膜張筋などにかなり痛みがでて、腰を下ろしたり、階段を下りるのが辛かったが、火曜には治まってきたので、今朝脚の状態チェックに朝練コース3周だけ走ってみた。両脚は全体に重くゆっくりしか走れないが、腰にも膝にも響かず、アキレス腱、ふくらはぎなども問題なし。このまま順調に回復してくれればサロマに間に合いそうかな。今月の走行距離 261.4km ☆2008あきるの24時間走チャレンジカップin東京学芸大学&フレンドシップラン初めての24時間走に参加してきました。東京学芸大学構内を24時間ひたすらぐるぐるまわる大会である。構内は並木が美しく、木陰は走りやすそう。受付で布製の肩から掛けるゼッケンを受取り、卓球場の隅で着替える。なんと24時間の部の参加者は男性13人、女性6人の19人だけとのこと。今年は昨年までより長めの1340mのコースを周回する。10時にスタート。かなり暑くなりそうでペースを決めるのが難しい。最初、馬のかぶり物をした有名ランナーさんと同じようなペースで走っていたが、この方は100kmを8時間半ばで走られ、200km目標の凄い方で、付いていくだけなら楽だがペースを考え直すことにした。基本的にずっと重視したのは「楽なペース」ではなく「楽しいと感じるペース」である。24時間も走るのだから積極的に楽しいと思えないと続かない。エイドは飲み物以外は最初タッパーとかに果物などがしまわれていて気づくのが遅れたが、そのうちそうめん、きなこもち、カレーライス、おじや、パスタ、カップラーメンなどが用意されて見つけると必ず立ち寄った。暑い昼間は時々そうめんを汁ごと食すといい塩分補給になった。午後にはMatsuさんがシュークリームをもって応援に来てくれ、本部席の後ろでしばらく観戦していた。夜10時頃にはネオスさんも自転車で駆け付けてくれた。長い単調なレースでの応援は本当に励みになる。ありがとうございました。昼間暑かった分だけ夕方の涼しい風が心地よかった。夜は多少蒸して、照明がまばらで走りにくいところもあった。ヒロ児玉さんのご近所ランナーで昨年見事スパルタスロンを完走されたことみさんが参加されていて、夜中は超ウルトラの心得を伺いながら並走させていただいたので、退屈せずに済んだ。ことみさんは長い風邪からの回復途中とのことで今回はセーブして休みを入れながら走っていた。1日目の14時間はペース設定もうまくいって、エード以外で休むことも歩くこともなく90周120.6kmを走り切ったが、レースは日付をこえてそのまま続く。2日目に入って徐々に足の疲れが出てきて歩きを混ぜたりもしてみるが、萩の時と違って歩きっぱなしになることはなく、走り出すとまた走れたのでそこそこ距離を稼いでいた。30周、50周、70周、90周、100周、110周でアミノバイタルプロとメダリストを摂取。100kmを超えた75周で上着を着替えた。結局一睡もしなかったしほとんど眠くもならなかった。給水などの休憩は2〜3周に一回入れていたが、24時間の間、10分を超える長い休憩はとらなかった。膝を全くプロテクトしていなかったためか、120周(160km)を超えてから走ると膝に響くようになり、サロマも控えているのでここ以降は全て歩くことにした。それでもエイドにほとんどよらずに歩き続けると1時間で4周ほどできるので、意外と効率がいい。結局、終了10分前まで走って(歩いて)136周で182.2kmも走ることができて大満足。(一日目14時間120.6km、二日目10時間61.6km)順位は確認し忘れたので記録を待たなければならないが、たぶん全体で5位ぐらい。ラップも取っていたが、ナイキの時計が実は20時間までしか測れないことがわかって、最後のほうが不明。お馬さんにもことみさんにも初挑戦で素晴らしいと言われて、すっかりいい気になった大会でした。200kmをこえて走ったランナーの安定した走りにも感動しました。終わった直後は元気だったが、さすがに24時間の不眠と疲労がこたえたのか、帰りの混んだ中央線で脳貧血のような症状が出て、中野で途中下車してベンチでしばらく休んでから帰ったのは内緒。24時間走り続けるには、壊れない脚となにより気力が必要なことがよくわかったが、思っていたほど辛くはなく、楽しく走れた大会でした。 24時間走が終了しました。ギリギリまで走って182.3kmでした。最後は歩きでしたが、満足できる結果でした。ダメージはそんなに強く無さそうだし良かった。 7日土曜日朝10時スタートの24時間走に初チャレンジする。今年3月に参加するつもりで準備してきたお台場の24時間走に急遽参加できなくなり、「出たら一体どれだけ走れたんだろう?」という疑問だけが残ってしまったので、土俵をあらため6月に走ってみることにした。「2008あきるの24時間走チャレンジカップin東京学芸大学&フレンドシップラン」という長々しい名前の大会。2年前までは選考で選ばれた30名ほどの有力選手が参加するエリートレースだったが、昨年から若干名称も変わり、選考が無くなった。とはいっても、おそらく30名程度の少数の大会であることは変わらず、きっと日本の24時間走を代表する有名人も一部参加していると思う。そういう人たちの走りを見てみたい、というミーハー的な考えもあるが、同時に自分もあまり恥ずかしくない走りをしたいという気持ちがある。短い周回や寝ないで走ることはそれほど苦にならないし、ひょっとしたら24時間走にある程度の適性が有るんじゃないか、という予感がある(勝手に思っているだけ!)まあ実際には早々に走れなくなって、この世界の厳しさを思い知ることになる可能性が高いが、それはそれで大事なこと。とりあえず脚の調子は良いので、一ヶ月前の萩往還の140kmは越えることを目標に、脚に故障が出ない範囲で頑張ってきます。サロマが控えていることだし。真面目に走るつもりなので、途中でモブログするかどうかは微妙。 重いシューズが好きである。アキレス腱が弱点なので、ターサー系で堅いロード主体の練習だとすぐに踵が痛くなってくることもあって、いつも底が厚いNewYorkばかり履いて走っている。レース前の特別なペース走やインターバルの時は別だが、ビルドアップでキロ4分まで上げる時でも、気が付くと足はNewYorkである。重い靴の方がフォームが安定する気がするし、練習で重いシューズで足の曲げ伸ばしにかかるトルクを増やしてやれば、脚力を鍛えるのに効果的だと考えている部分もある。さすがにタイムを狙うフルやハーフのレースはジェネレーサーなど、10kmレースはカタナレーサーII、と軽めのシューズを使っているが、ここのところメインになっているウルトラ系の大会は距離にかかわらずすべてNewYorkで走ってきているので、NewYorkの消耗が激しい。GT-2100、2110、2120、2130と4代を履いてきて、現役は2120(おもに練習)と2130(おもにレース)である。100kmの自己ベストを出した2年前のえちごくびき野もGT-2120で走っているはずだから、タイムを狙う今回のサロマだって重いNewYorkでいいっか、と思う反面、速いウルトラランナーが結構軽いシューズで走ってたりするのを見ると、記録を伸ばすために軽量化にトライするか、と思ってみたりもする。でも薄底のシューズで踵や足の裏のトラブルが起きたらタイムどころではなくなるし、迷うところである。55kmのレストポイントに軽めのシューズを預けておくのもいいが、多分履きかえたりしないだろうなぁ。とりあえず今週末の24時間走で、多少の試行錯誤はしてみるつもりである。というか、24時間走は限界まで走り続けるつもりなのか。そうすると2週間後のサロマにもろに影響が残るのではないか。などなど、いろいろ悩んでいる最中である。 海浜幕張駅からビル群を抜けた浜田川沿いの広場が集合・スタート地点。手作りの大会で、ゼッケン引換証も送られてこないので、当日名簿と照らし合わせてゼッケンが渡される。よく晴れて、今年も暑くて辛いレースになるかも。これから重要な大会も控えているので、身体の不調や脚の違和感があったら途中で上がろうと思っていた。今年は知り合いがだれも参加していないのでちょっと盛り上がりに欠ける。 8時スタートで、逆方向に2.2km分折り返しの後、3.4kmの川の両岸のコースの周回17周で60km走る大会である。脚の調子はよく、サロマのために少し速めのペースで走ろうと思っていたら、最初のうちキロ5分ちょっとで走っていた。その後の暑さのダメージを考えたらもう少し体力を温存したほうがよかったかも。 スタッフ不足とのことで、今年から周回数は、3、5、8周目と10以降1周ごとに名前を書いたボードにシールを張る形式になった。昨年までカウントミスなどもしばしばあったからこの方式のほうがいいと思う。 強い日差しを遮るものが少なく、10周を超えてからはっきりビルドダウン。顔・腕、脚が塩でジャリジャリになって一周ごとに水分や梅干しなどを補給しても最後の方はヘロヘロに。 最後2周になってエイドに長居するのをやめ少しペースアップした。5時間半で何とかゴールしたが、途中棄権した人も多かったようで、このタイムでも126人エントリ中5位だった。同じく暑かった昨年より50分速いタイムで、涼しかった2年前とほぼ同じ記録。かなり暑熱順化になったし、持久力も少しアップしたかな。全身の疲労感はあったが、脚は問題なくてよかった。 1)右ふくらはぎ一昨年秋に右ふくらはぎを痛めてから、しばらくたっても脚の疲労がたまっている時にキロ4分近くまでスピードを上げると、肉離れの再発を起こすことがある。それが分かってから、なるべくスピード練習を避けながらずっと過ごすうちに、前のようなスピード(大したことないが)が出せなくなった。さすがにもう良いかと4月の駅伝の前に久〜しぶりにスピードを鍛え直そうとしたら、やっぱり右ふくらはぎが悲鳴を上げてがっくり。ふしぎなことにゆっくりならかなりの距離走っても大丈夫みたい。本当に再び10kmの自己ベスト更新とかねらえる日が来るのだろうか。2)両アキレス腱以前からスピード練習や坂トレをするとアキレス腱が痛くなることがあったが、中でも急坂は特にアキレス腱に良くないようで、昨年の奥武蔵UMのあと右のアキレス腱炎が悪化して、一ヶ月後の北海道マラソンは強い痛みに耐えながらのレースになった。ここのところずっと平地をゆっくり走るだけの練習にしたら、もう忘れてしまうぐらいに良くなって、萩往還ぐらいの山道でもアキレス腱はびくともしなかった。でも先週末に奥武蔵の急坂をゆっくりながら走り続けたら、今週はわずかに忘れかけていたアキレス腱の張りが・・・。痛いというほどでもないし走るのに全然問題ないが、以前の悪夢がちらつく。目標レースもいろいろ迫ってきたので、しばらく急坂は封じといた方が良いかな。というわけで北海道マラソンを考え、今年は奥武蔵UMには申し込みませんでした。練習のバリエーションも少なくなって、平日短く走り、週末長く走るだけ。平らなところを長く走るレースにしか出られなくなっていきそう・・・といいつつ今悩んでいるのは・・・雁坂峠越え・・・果たして参加資格があるのかも疑問。★朝練 周回コース27日 8.4km28日 12.0km30日 12.0km今日は疲れが抜けて、ちゃんとビルドアップをかけて走れた。今月の走行距離 375.2km 土曜日は昼から天気が崩れるとの予報で、朝一のバスで出発。東武東上線武州長瀬駅がスタート地点で、駅構内のロッカーに着替えなどを預けて7:40に走り始めた。今回は今後のためGPSで正確な距離を測ったものの、ふくらはぎに不安が残るのでゆっくり最後まで走ることだけを目標にした。武州長瀬駅↓(2.8km)毛呂山運動公園↓(2.6km)鎌北湖(駐車場)↓(2.4km)北向き地蔵↓(8.1km)顔振峠↓(4.5km)高山不動↓(6.2km)刈場坂峠(ここまで26.6km)途中、野生の藤の花がきれいに咲いていた。ここのりんどう茶屋で味噌煮込みおでんと持っていったあんパンとドーナツを食べたら、復路はずっと胃が重かった。平地よりはましなのだろうが暑さのため給水量が多かった。シーズンで多くのランナーとすれ違うと思っていたのに、車やバイクが思っていたより多く、ランナーは行きに2人、帰りに1人のみ。帰りの顔振峠には何人かランナーと思しき集団がたむろしていたfが、天候も考えて躊躇しているのか?帰路のユガテの坂あたりは暑さと湿気にもやられてヘロヘロだったが、何とか最後まで走り続けることだけはできた。武州長瀬の駅に着いたのがちょうど午後2時。家に着くまで全く雨にもたたられずラッキーだった。往復で53.2kmは、もちろんかなり脚にこたえ、日曜日の今日もしっかり足の付け根から臀部に筋肉痛が残っているが、それでも昨年よりは余裕をもって走れるようになった気がする。昨日の走行距離 53.2km今日の走行距離 6.0km今月の走行距離 342.8km(先週の平日2回だけ朝練したのにブログに書いておりません。最近ブログをさぼり気味) 昨年はいわて銀河ウルトラマラソンに重なって出られなかった玉川上水遡上ランに2年ぶりに参加。距離稼ぎに家から走っていこうかとも少し思っていたが、やはり昨日のダメージが残っていてあきらめ、電車で集合場所の千駄ヶ谷・東京体育館へ。★東京体育館−新宿御苑四谷大木門(上水終点)-笹塚-井の頭公園-三鷹-小金井公園-玉川上水駅-スタ丼休憩-羽村取水口(玉川兄弟像)マハロ会長、たぬぼうさん、ロヒさん、あくびさん、wiwiさん、Emilineさん、かみのさん、まささん、kurisukeさんと最初のうちだけゆりさんの11人で出発。2年前に1回走っただけだが、印象的なコースなのでほとんどの所を覚えていた。コースの詳細はあくびさんのブログを参照。(また手抜き!)最初のうち、昨日の暑いLSDの後遺症で脚が重かったが、木々に囲まれた上水沿いの道を気持ちよく走るうちに徐々にほぐれてきて、尻上がり的に調子が良くなってきた。46kmの距離を、実質6時間半ぐらいかけてゆっくり走るのは大変いい練習になった。非舗装路も多く、脚に優しい。最後、玉川兄弟の像が近づくとうれしくって、Wind Sprint(ラストスパートではない)を入れて銅像の脚にタッチ。途中、12時半ごろ小金井公園の昼休みでアイスモナカ、大福、おにぎり ★河川敷40kmLSD+行き帰り2kmジョグ朝、しっかり食べてから遅めに出たのは失敗だったかも。まだそこはかとない疲労感や肩の張りが残る中、気軽に河川敷をリハビリLSDでもしようかとウエストポーチだけで朝9時に出発。新調したCW-Xハーフタイツもためし履き。久しぶりの河川敷は晴れて暑くなりそうな予感はあったが、スポドリ500mlのみ腰につけて出発。ラップは気にせずタラタラ走り出して、おそらくキロ6:30かそれ以下。日差しが時々強くなって、こんな日はサングラスがあったほうがよさそうである。野原にはアカツメクサやシロツメクサがきれいに咲き広がり、寝転がりたい感じ。気温が上がってきて、やたらのどが渇き、行きの堀切駅まで18kmを500mlでなんとかもたせた。堀切駅で新しいボトルを買って少し飲んでからつけて走り出す。足の調子も考え20km行った8km地点で折り返し。帰りの堀切駅までに無理して一本飲みきり、また500ml追加で腰につけて走り出す。ちょっと気温が上がっただけで給水量が全く違う。帰りはかなり暑くなって最後10kmは真夏でもないのにバテバテもモード。手や顔には塩を吹いているし暑さに適応できていない。こんな時はハイドロバッグを使ってみればよかった。多少風があったのでかろうじて歩かずに走り切れた有様。40キロで4時間半、1.5Lの給水でした。暑熱順化にはなったが、この程度の暑さでバテるようじゃ夏場のウルトラを走りきれるのか、不安も大きくなった。明日は恒例の玉川上水遡上ラン。今月の走行距離 216.0km 初めてのサロマ湖100kmウルトラマラソンまであと一ヶ月ちょっと。萩往還は完踏だけを目標にしていて、それは無事達成できたので、サロマ湖ではある程度タイムを気にして走りたい。思い返せば2006年10月のえちごくびき野で初の100kmを意外とあっさり9時間45分(585分)で走ってから、長い故障のスパイラルに迷い込んでしまった。昨年はいわて銀河で辛うじて10時間は切ったものの、四万十川ではアキレス腱痛による練習不足も祟って11時間6分(666分)の大撃沈。その時、次回は666分ではなく555分を目指そうと、心のどこかで思ったのがこのプロジェクトのきっかけである。 何とか故障もなく萩をのりきった今、次はまさにサロマで555分(9時間15分)に挑戦するチャンスである。現実的にはサブテンに復活とか、自己ベストとかをめざすべきだろうが、まあ挑戦だから目標は高い方が良い。4月には戸田彩湖70kmを6時間20分(5:26/km)でのりきることが出来たので調子は悪くないし、これからの練習次第では100kmを5:33/kmで走りきることは絶対不可能ではないかもしれない。とはいっても、あと1ヶ月ちょっとで大したことが出来るわけではないが、距離に対する耐性だけは更に強化しておこうと思う。それに2週間前の24時間走で故障するまで走らないこと。無理かもしれないけど、挑戦する目標があると走る気力がわいてきて良い感じである。さあ、サロマに向けてGO!GO!GO! 萩往還後、仕事も立て込み雨も重なってほとんど走っていない。股関節あたりに長引いた疲労感もあったが、それも消えたので、そろそろ次の目標に向けて始動しようと思う。過去にはウルトラの疲れを甘く見て故障につながったこともあったので、しっかり休み過ぎぐらいに休んで、一度ダメージをリセットしてから次に進むぐらいでちょうど良いかもしれない。今回の萩往還を振り返って、気が付いたことをとりとめもなく。・終盤は無理して走るより楽に歩くことを選択したので、ゴールに向かって進み続けるのが辛く感じることはなかった。痛み止めを必要とするような脚の痛みが出なかったのも幸い。 ・何人もの人に「SKINSはどうですか?」と聞かれた。確かにこのロゴは目立つ。まだハシリで注目のアイテムなのか。私も初めて使ったので分からないが、結局ふくらはぎは痛みも出ず、張ってくることすらなかったので大正解だったのかもしれない。・ただ、途中で悩まされた痛みは二つ。1)坂堂峠を越えて舗装路に出たあたりから、しばらく左下腹部の痛みがあり。その後下すこともなかったので原因は良くわからず、1〜2時間ほどで消えてしまった。2)帰りの往還道ぐらいから、両肩の痛みが耐え難いほど強くなり、リュックを肩掛け鞄のように右肩にかけたりしながら走っていた。リュックを背負って走るのは練習でも時々は行っていたが、半日以上背負っていることには肩が対応できなかったらしい。・腹痛らしきものはあったのに、20時間の間でトイレに行ったのはどう思いだしても虎ヶ崎の小1回のみで、もちろん野外も無し。これはあまりにも少ない。意識してなかったがずっと脱水気味で推移していたのかもしれない。・防府までの往復をもう少しゆっくり走っても良かったか。100kmを越えてからほとんど走る気がしなくなってしまったのが残念。これは昨年の四万十川ウルトラの時にもあったが、どう転んでも制限時間には間に合いそうだと分かって、まあ無理しなくて良いか、という妥協の心が入ってしまったのは確か。自分なりの目標タイムを持っておけば幾らか良いのかもしれないが、脚に余力が無くなり走りにくくなっていたのもまた確か。・ライトはティカXPがとても使いやすかった。WideとSpotの切り替えが出来るのがイイ!特に1Wでも暗いとは感じなかったが、足下の凸凹を気にしながら走る時は、3Wのマグライトで足下を照らすと安心感が増した。白い矢印探しにもマグライトがあって助かった。・地図と多くの完走記・コース案内を見比べてイメージしていたので、「そろそろ右に白い矢印が」とか、「そろそろ橋があって」とか予期しながら走ると、一人でも大きく迷いそうなところはなかった。ただ暗い山道は怖いので単独走は避けたい。・初挑戦で緊張していたためか、眠気にやられることはなかった。対面の35kmや70kmの部のランナーに応援され続けるのも良い刺激になった。・エイドの方々の親切な気遣い、町の応援の暖かさが疲れてくると身に浸みて、うるっとくることもしばしばで、本当に思い出に残る素晴らしい大会でした。あ、あと帰りの草餅エイドの草餅は大きくて美味しくて絶品。コースに戻ってからもう一個いただけば良かったと後悔したぐらいでした。★10日土曜日に12km走ってみたが、やや脚が重いが普通に走れた。日曜日は午前雨、午後外出で走れず。次のレースまで珍しく期間があいているのでしっかり休足も練習のうち、と言い訳している。今月の走行距離 146.4km次の目標は6月7日のあきるの24時間走と6月22日のサロマ100kmである。24時間走は自己最長距離を、サロマは自己ベストを狙う!! ☆萩往還マラニック140km完踏記初めての100km越え+夜間走+山道の大会である。地図を見ながらコースは頭の中で何回もたどったけど、脚に不安も抱えているし、実際には何が待ち受けているのだろうか?そんな緊張感・不安感の中で臨んだこの大会。そもそもは1604年から300年間にわたり萩城から防府(ほうふ)市をつなぐ街道として、参勤交代の殿様や維新の志士が行き来した萩往還道を、昔に思いを馳せながら走り歩きましょう、という大会である。参加した140kmのコースは、山口を起点にして防府まで行って戻り。萩まで行って(少し大回りして)戻るという、まさにこの萩往還道に沿った「萩往還」ならではのコースである。前日の深夜まで準備が食い込んで、早朝の新幹線の中で睡眠を補充したが、寝足りない感じは残る。新山口からバスのような一両編成の在来線で山口へ。足がないので瑠璃光寺まではタクシー。山口はよく晴れ、夏のような陽気。250kの部の人は大変だろう。受付は本堂右と書かれていたが、目立たずやっていたので(写真のダンボール箱の所)しばらく気づかなかった。境内はツツジの花盛りで五重塔との組み合わせが素晴らしい。ただ、歩いていても観光客がほとんどで本当に300人もの人が夕方にはここからスタートするのか疑わしい。荷物置き場である隣の洞春寺に移動して買ってきた食べ物を食べたりしていたら、四万十ウルトラでもご一緒だったテリーさんに声をかけて頂く。時間があったので約1km離れた山口福祉センターに、防府から戻ってきてから持つ予定のリュックと荷物を預けに行った。今、預けておけば行きに素通りできると思ってだが、自分の他には選手が一人だけで係の人もまだ。そのAさんは車でコースの下見を済ませたとのことで、帰り洞春寺まで車で送ってもらった上に、コース上で疑問だった点をいくつも教えて頂いた。その後、テリーさんと共に教育会館で開かれる説明会へ。噂に聞く萩往還の有名人、小野さんの話も聞くことが出来て、この大会独特の手作りの雰囲気が伝わってきた。色々な質問は出たが、基本的には自分自身で地図を見たり、必要なものは背負ったりして、問題の解決をして行かなくてはならないということを再確認した。再び洞春寺に戻ると、近くに愛媛のスーパーランナーまゆみさんをゼッケン番号で発見してご挨拶。その後、瑠璃光寺のスタート地点に移動。計時用マットが敷かれている以外はとてもスタート地点とは思えない。スタートは夕方6時からのウェーブスタートだが、第4ブロックぐらいに混ざり、明日の午後に絶対ここに戻ってくることを心に誓ってスタート。町中はよく信号で止まるので、練習会と勘違いする雰囲気だし、スピードもそんな感じ。やはり福祉センターで多くの人が荷物を預けに寄り道をする中、前の方のウェーブと混ざっていった。昼に降りた山口駅前を通過する。ゼッケンや特製の丸いネームプレートに書かれた出身県を見ながら関東のランナーに話しかけたり話しかけられたりする。南に向かい日も暮れかかる頃、その事件は起きた。大きなイヌを連れたおじさんとすれ違おうとした時、イヌが突然寄ってじゃれついてきて、おじさんもひもを引いたしこちらも避けたのだが、左の尻を前足でひっかかれた。止まるわけにも行かず、走りつつ触ってみると小さく裂けている様子。あちゃぁ。くやしいけど下着もつけているので、気にせず走り続けることにした。ここまで舗装路で平地なので、のんびりでもキロ6分弱では走っており、鯖山峠への登り道が始まるしゃもじエイドに着いてもまだ空はわずかに明るさが残っていた。行きはおにぎりといなり寿司を頂いただけで、ライトをセットして登り道へ。体力温存のため早歩きも混ぜて登ったが意外と短く、あっという間に急な下りになって県道に戻ってしまった。立派な橋を渡ると防府の市街地に入る。ここからはまた信号待ちも増える。要所要所では係の人が立っているので、道を間違えようがなかった。案内されるままに最初のチェックポイント英雲荘へ。ここでチェックシートに最初のパンチを入れてもらい、ジャムパンと飲み物を頂いて特に休むこともなく折り返す。ここまで22.4km休みを入れてキロ6分ぐらい。戻り道は英雲荘から萩まで60kmを歩くEグループを追い抜きつつ走った。鯖山峠は登りは歩き下りは走る。早めについたので帰りのしゃもじエイドはすいてて、チケットで肉うどんを頼む。熱かったのに急いで食べすぎて口の中をやけど気味。ただ疲労がたまってきたところだったので、山口への長く平坦な道を乗り切る気力のもとになった。福祉センター43.4kmに10時半前には到着。ここまで4時間半はちょっと速すぎたか。おにぎり2個と味噌汁を頂きながら、ゼッケンをリュックに付け替え、長袖に着替え、これからの山道に備える。やはりショートタイツには穴があいているが、替えもないので知らんぷり。SKINSソックスの効果かふくらはぎの痛みは全く出てこない。とりあえずゆっくり走りだしたが、ダムの横で道に詳しい地元山口の方と一緒になってこれ幸いとばかり往還道を坂堂峠を越えるまでついて行かせていただいた。本当に助かったが、後で考えるとこの方が大変お世話になった詳細にわたるコース説明をアップして下さったカサブランカさんだった(かも)。ここの峠越えは小石がごろごろした石畳や砂利道の急坂ですべて歩いた。苦手な山道で消耗して、舗装路の下りになってもしばらく歩いたりマイペースで進んだ。ここから往還道は一人で走る部分も多かったが、大体の地図を把握していて、白い矢印を見逃さいようにしていたので最後一ヶ所以外は間違えなかった。佐々並エイドではポカリを空きボトルに詰めてくれた。長い一升谷の下りを終えると明木エイド。お饅頭を2種類頂く。ここまででほぼ半分。川沿いの道を気持ち良く走り、一つ峠を越えて有料道路に出ると気が抜けてしまい、そのあと涙松址を通る往還道の入り口を見逃して大回りしてしまった。路線橋を越えて萩駅の方に曲がる道も工事中なのかわかりにくかったが、ちょうど後ろから来たランナーと相談して正しい道へ。萩駅から玉江駅までの一駅が本当に長く感じたが、脚はそこそこ元気になっていた。萩城跡79.2kmには朝4時25分着。第2チェックポイント。着替えてライトを預けようと思ったが、まだちょいと暗いので、預けてあったロールケーキなどを食べながら一休み。15分も休んだら薄明るくなってきたので出発。かなり疲れはたまってきて歩きの比率も増えるが、250kmのAグループと合流しているので、疲れ切っても歩を進めている人に力をいただくこともしばしば。夜明けの日本海が美しい。ここから笠山までが長かったが、萩焼会館を過ぎると大勢のランナーとすれ違い、zephiyamaさん、こじろうさんとも出会って声を掛け合う。戻ってくるのはまだほとんどAグループの人だが、笠山に近付くと自分と同じBグループもパラパラと見かけだす。やっとで辿り着いた3番目の笠山のチェックポイントはパンチが置いてあるだけ。そこから坂を下りて次のチェックポイント虎ヶ崎のつばきの館まではそう長くない距離。下り坂を気持ち良く走っていたらAグループの集団に「来年は250にでろよぉ〜」と声をかけられた。休憩所の手前のトイレに寄る。このあたりで初日の昼間お世話になったAさんにも再会。虎ヶ崎CP91.5km地点に朝6時30分着。ここまで12時間半。幸いなことに食欲は全く衰えず、この食堂の名物のカレーライスを美味しく頂いた。残りの距離はちょうどフルの距離だが、あの往還道に再び挑まなければならないかと思うと気が重い。ただ、どこも取りたてて痛いわけでないので、あとは歩いてでも制限時間には間に合いそうだと思うと気が楽になった。実際この後、ばったりと走れなくなった。東光寺の最終チェックポイントのあたりはすべて歩きで写真も撮り忘れた。帰りは明るかったので萩市を出てからちゃんと涙松址への往還道を見つけて通った。何回も走ろうとしても両側の疲れ切った股関節に響く感じがイヤで歩きだしてしまう。明木市ではぱらだいむさんが応援ランをしていた。その後一升谷から延々と続く上りは3kmでも本当に長く感じる。佐々並エイドで名物の豆腐がいただけたので美味しくて2つも食べていたら、後ろから来たアロハさんに見つかった。ここでちょうどこじろうさんも休んでいた。このあとの草餅エイドもしっかり楽しんで、このあたりは歩いてしっかり楽しんで行こうという気分になっていた。帰りの坂堂峠越えは、真っ暗な往路に比べるとはるかに楽に感じた。復路は35kmや70kmの部の人が声をかけてくれるのが大きな力になった。往還道を抜けて、天花畑に出ると終点が近付いたためかどこからか力が湧いてきた。ダムの横からゴールまではずっと走り続けながら、なぜ今まで走れなかったのかと疑問に思っていた。「すごいよ!」と拍手して声をかけてくれる町の人や、応援に来てくれていたうりこさんに手を振りながら気分良くゴール!!! いろいろ考えれば反省点や今後の課題は見つかってくるが、まあ何よりも楽しい20時間18分でした。最後まで激しい眠気には一回も襲われることはなかったし、脚も筋肉痛以外の痛みに悩まされることはなかった。今回はアミノバイタルプロを4袋ほど飲んだ以外は痛み止めも胃薬も使わなかったが、ある程度疲労がたまってからどうやって走り続けるのかは今後の課題である。 序盤の飛ばしすぎと脚が山仕様になってなかったために100k以降歩きメインになってしまった。でもふくらはぎが大丈夫だったし楽しかったからいいか。 |
アイフルのサイトです。